姉妹提携を伝える愛媛新聞の記事

5月9日付の愛媛新聞ONLINEに「伊予農業高校(愛媛県伊予市下吾川)は9日、創立100周年を記念し、台湾の台中市立新社高級中学と姉妹校提携の締結式を現地で行った。県教育委員会によると、台湾の学校と姉妹校提携する県立学校は6校目で、台中市内では初めて」というベタ記事が掲載されていた。

いまや日本と台湾の高校が姉妹提携するのは珍しくない。文部科学省の調査「姉妹校提携について」(2016年5月1日現在)によれば、日本の高校が海外の高校と姉妹校を結んでいるのは1,977校にのぼり、日台間でも173校ある。

愛媛県のローカルニュースなのかと思いつつ、どうしてニュースになったのだろうと念のため伊予農業高校のホームページに当たってみると、愛媛新聞とほぼ同じ内容ではあるが「山岡栄先生の御遺徳によって結ばれた縁」とあった。なるほど、そういう背景があったのかと合点がいった。

この山岡栄(やまおか・さかえ)という先生のことは本会メールマガジン『日台共栄』誌上でも紹介したことがある。1930年(昭和5年)5月9日、突然の豪雨に川の中州に取り残された小学生7人を含む9人の台湾人を救助するため、我が身をかえりみず濁流に飛び込んで殉職された日本人教師だ。

1902年(明治35年)10月、愛媛県伊予郡出淵村に生まれた山岡先生は、伊予農業高校前身の伊予実業学校を卒業後の1930年1月に渡台し、現在の台中市立新社高級中学(旧・台中州東勢街二庄組合立農林国民学校)に赴任して間もなくこの事件に遭遇し命を落した。妻帯し3人の子供の父ではあったが、まだ28歳という若さだった。

地元の人たちはその年の11月に「殉職山岡先生の碑」を建立し、毎年、命日の5月9日に追悼式を行って慰霊顕彰していたという。

戦後、蒋介石政権となったことから50年以上も山岡先生のことは顧みられなかったが、1999年の921大地震後の区画整理の際に記念碑の存在が明らかとなり、2006年から毎年、地元住民の手によって慰霊祭が行われているそうだ。

2014年の慰霊祭について、中央通信社は「新社高校の生徒や教師、台中市台日文化経済交流協会などの関係者のほか、山岡先生の孫にあたる駄場美恵子さんと、中州に取り残されながらもその後救助された邱阿添さんの息子、邱湧忠さんも出席。長栄大学台湾研究所の温振華所長は、勇気ある行動を長きにわたり伝えていかなければならないと語った」(2014年5月11日)と伝えている。

一方、日本でも山岡先生が亡くなった1935年に青年団が故郷である伊予市中山町の盛景寺(じょうけいじ)山門に殉職記念碑を建てた。ただ、80年以上を経たことで文字の判別も難しくなったことから、2016年12月に地元の史談会により新たな記念碑が建立されているという。

伊予農業高校と台中市立新社高級中学が姉妹校を締結する背景には、山岡栄という勇気ある日本人教師の存在があり、うるわしい日台交流のエピソードがあった。日台両校が80年を超える歴史を育んで姉妹校になったことに心から祝意を表したい。

なお、新社高級中学がある台中市新社区には、八田與一技師の直属の後輩である磯田謙雄(いそだ・のりお)技師が昭和7年(1932年)秋に通水させた白冷[土川](はくれいしゅう)という逆サイフォン式の水路があり、今も当時のまま新社台地を潤している。

また、今春3月1日に本会が台日文化経済協会に寄贈した桜の苗木200本は、仮植え期間の1年を経て台中市(林佳龍市長)に寄贈され、台中市はこの新社区内に本植えして桜公園をつくる予定となっていて、伊予農業高校と台中市立新社高級中学の姉妹校締結は、このような日本と縁の深い台中市新社区に、また新たな日台の絆が結ばれたことになる。


新社高級中学との姉妹校締結式

【愛媛県立伊予農業高等学校「H30 伊予農日記」:2018年5月9日】

5月9日(水) 本日、伊予農業高校は台湾台中市立新社高級中学で姉妹校締結式を行い、同校と正式に姉妹校提携を結びました。台中市の学校との姉妹校提携は、県立高校初です。創立100周年を機に山岡栄先生の御遺徳によって結ばれた縁をこれから末永く大切にしていきます。