被害にあった銅製の牛

台湾国内の報道によると、日本時代に建てられた「児玉総督および後藤民政長官記念博物館」の後身、国立台湾博物館の庭に置かれた銅製の牛に油状のものがかけられているのが発見され、博物館は警察に通報したという。
 
「児玉総督および後藤民政長官記念博物館」は1913年(大正2年)、台湾総督府によって建設されたもので、戦後は「国立台湾博物館」と名称を変更して現在に至っている。
 
9月19日午後、職員が博物館の庭に置かれた2頭の銅製の牛に油状のものがかけられているのを見つけた。職員らが2時間をかけて油状のものを取り除く作業を行ったという。清掃作業の結果、幸い2頭の牛は傷や汚れなど残らなかったという。
 
台湾博物館とともに80年の歴史を歩んできた2頭の銅製の牛は、博物館のシンボルともなっている。台湾博物館によると、東側のオス牛は1935年(昭和10年)に北海道の仏教団体「弘安海」が、1868年(明治元年)の箱館戦争で犠牲になった兵士を弔うために鋳造し台湾神社に奉納したもので、西側の銅製の牛は、1937年年6月30日付の『台湾日日新報』によれば、当時台北市京町に居住していた川本澤一氏が、『台湾日日新報』主催の南洋視察団に参加する際、視察団の成功と無事の帰還を願って台湾神社に奉納したものだという。
 
この牛はこれまでも何度となく損壊の危機に瀕していた。1944年(昭和19年)、当時置かれていた台湾神社に飛行機が墜落して大部分が焼け落ちた事件や1945年(昭和20年)の米軍の空襲などで、胴体には穴が空いた部分もあったという。また、戦後の1950年代には、胴体に刻まれていた絵柄や文言が削り取られたり、頭部を切断される事件も起きた。また、80年以上にわたって屋外に置かれているため、直射日光による変色などもみられるという。
 
博物館側ではすでに銅製の牛を保護するための防犯カメラを設置しており、再発防止措置を進めている。