小笠原欣幸・准教授

東京外大の小笠原欣幸(おがさわら・よしゆき)准教授の台湾選挙の分析は精緻を極め、立法委員選挙や総統選挙などでは私どもも必ず参考にさせていただいている。

東京外大で公表しているプロフィールを拝見すると、もともとの専門はイギリス政治思想史だったが「日本政治の本質をもっと理解したいという欲求も強まって」きて、「イギリスだけを見ていてもイギリスの政治経済構造は理解できないし,日本だけを見ていても日本の政治経済構造は理解できない。あれこれ考えた末,思い切ってイギリスと反対側の台湾に研究対象を移す」ことにしたという。 

<とにかく1年間台湾に行くことにし,台北の語学学校に通って北京語の勉強を始めました。半年後,学生に交じって国立政治大学の授業を聴講しました。当初は政治経済学を媒介にして比較研究する予定でしたが,ちょっと脱線して台湾のアイデンティティやエスニシティの問題にすっかりはまってしまいました。

ここ数年は台湾の選挙の観察・調査・分析にどっぷりつかっています。……この小さな台湾でくりひろげられる選挙政治は実に奥が深く,なかなか研究書にまとめることができないのが悩みです。>

頼清徳・台南市長の行政院長就任を識者はどのように見ているのかについて、先に拓殖大学海外事情研究所の澁谷司教授の「頼清徳新首相の航海は、決して楽観は許されない」とする分析を本誌で紹介したが、小笠原氏も詳しく分析していた。いささか長い論考だが下記にご紹介したい。

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小笠原 欣幸 OGASAWARA Yoshiyuki
東京外国語大学大学院総合国際学研究院准教授。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了(社会学博士)。東京外国語大学外国語学部専任講師を経て2013年より現職。1999年4月〜2000年3月台湾国立政治大学中山研究所客員研究員。主な著書は『馬英九再選―2012年台湾総統選挙の結果とその影響』(小笠原欣幸・佐藤幸人編、アジア経済研究所、2012年)。

◆OGASAWARA Yoshiyuki PROFILE – 東京外国語大学


台湾行政院長交代を読み解く

小笠原 欣幸(東京外国語大学大学院総合国際学研究院准教授)

【nippon.comコラム:2017年9月21日】

台湾の蔡英文総統が行政院長(首相)交代に動いた。昨年5月の政権発足時から務めてきた林全が退任し、頼清徳台南市長が新しい行政院長に就任した。この背景と意図を読み解いてみたい。

◆蔡総統の計算

台湾のテレビ局TVBSの8月の世論調査では、蔡総統の満足度は24%、林行政院長の満足度は18%であった。野党国民党の党勢が低迷しているので政権の危機には至っていないが、このまま満足度の低迷が続けば改革の推進が難しくなり、来年の統一地方選挙、2020年の総統選挙の再選に悪影響を及ぼす。政権与党全体としては外に対して余裕を見せていたが、内部で警戒感が高まったのは当然であろう。

民進党内で蔡に取って代わりうる人物は、現時点では頼しかいない。台湾メディアで、頼はしばしば蔡の潜在的なライバルとして扱われている。単純な比較はできないが、頼の台南市長としての満足度は50〜80%で推移しており、蔡の満足度よりかなり高い。

蔡が党主席の時に煮え湯を飲まされたのが、2010年に台北市長選挙出馬を一方的に宣言した蘇貞昌の勝手な動きであった。その時、蘇の元へ一番に駆け付けたのが頼である。蔡からすると、できれば頼に行政院長はさせたくないのが本音であったろう。

しかし、満足度が低迷したままでは、さまざまな勢力・人物が動き出す。蔡にとって、国民党だけでなく、党内の不満分子(特に独立派)、柯文哲台北市長、友党である時代力量の動向も気になる。選挙区の立法委員らも落ち着かなくなる。選挙を控えた国会議員の悲鳴ほど面倒なものはない。

蔡としては林でできるだけ引っ張り、代えるにしても忠実に総統の意思を実行する人物に託したいと思っていたはずだ。しかし、そのような余裕はなくなった。蔡は自身のやりやすさとか求心力の維持といったことを超えて、民進党政権長期化という見通しに立って党内ナンバー2の頼と協力し、その力を借りる決断をしたのであろう。

◆頼市長の計算

頼は来年で2期8年の台南市長の任期を終える。57歳という年齢を考えると、総統を目指すには2020年か24年に出馬する必要がある。順当にいけば20年は蔡が再選される選挙になるので頼の出番はない。そうなると頼は6年間ぶらぶらしていることになる。その間、自分の勢力をどうやって維持するか悩みは大きい。来年、新北市長選挙に出て4年市長をするか、もしくは行政院長を狙うか、二つの選択肢となる。

新北市長は頼にとって誘因が薄い。一方、行政院長のポストは総統によって、いつでも更迭されるリスクがある。行政院長は予算・人事の行政資源と権力を持つ。しかし、常に総統府との調整が必要であり、総統の指図を受け、失敗すれば責任を負わされるという損な役回りを覚悟しなければならない。蔡に悪意があれば、つぶされることもあり得る。

だが、困難な状況で政権を安定させ改革を推進し満足度を上げることができれば、一躍ヒーローとなれる。リスクを取りに行き勝負する気概がないと、民進党内では評価されない。それが民進党の党内文化である。

頼としては使い捨てにされるのだけは避けたい。蔡が頼に打診してから、頼側は何らかの保証を求めたはずだ。それはこのようなものであろう。途中で首を切らない(蔡総統第1期の任期いっぱい、つまりこれから約2年半やらせる)。内政(政策と人事)については一定の授権をする。さらに、2020年総統選挙を共に戦うことでも暗黙の了解ができたはずだ。これにより両者は、完全に運命共同体になる。

◆交代の効果

頼は7年間、直轄市台南の行政を担い、立法委員も3期やっている。頼の市政も細かく見れば問題・トラブルがいくつもあり、鉄道地下化など今も引きずる重荷もある。中央の行政はさらに難題が多く、過度の期待は禁物だ。だが、地元で高い評価を得てきたことはプラスの資質である。

交代により大きな改善が見込めるのは、政権の政策・意図を分かりやすく説明する能力だ。これは地方で選挙を戦ってきた政治家が長(た)けていて、蔡も林も苦手である。

また、林が不得意な立法委員との意思疎通も改善するであろう。林時代は、与党立法委員が常に「聞いていない!」状態に置かれていた。頼は陳水扁政権時代に立法院と行政院との橋渡しをした経験があるので、与党議員団と行政院の政策擦り合わせのプロセスが改善するのではないか。

交代が政権の満足度にプラスに働くのは間違いない。しかし、蔡政権が進める改革が多岐にわたり、それぞれが強い反対論を抱えているので、楽観視はできない。満足度は一度上がって徐々に下がり、林時代より少し高いところに落ち着くのではないか。蔡総統の満足度が30%半ばで推移すれば、十分効果があったと言える。

内政面では、軍人年金改革、税制改革、産業構造転換、司法改革など林内閣が敷いた改革レールの上を走るので基本的に継続となる。林内閣が導入し不評を買っている変則的週休二日制(一例一休)については修正に動く可能性がある。

対中政策、対日・対米政策は総統の専決事項であり、行政院長の交代で影響されるわけではない。頼は確かに信念の独立派であるが、政治家としては現実的で柔軟であり、蔡の中台関係現状維持政策を支持している。頼は中国に対しては蔡が総統就任時に行った「520就任演説」以上の譲歩は必要ないと考えているが、これは民進党内の一般的な考え方であり、蔡と足並みが乱れることはない。行政院長に頼が登場したことによって中台関係がさらに悪化するとの一部メディアの指摘は当たらない。

対日・対米政策では、戦略的観点から日米重視の程度は蔡と変わりはないが、日本に対する親近感という点で、頼は蔡より高いと言えるであろう。頼は市長時代に何度も訪日し、日台の交流を推し進めた。

◆党内権力構造

大型インフラ整備計画の予算成立が交代のめどであったようだが、蔡は8月15日の全島大規模停電での失態が、ユニバーシアード台北大会の成功と盛り上がりによって覆い隠された絶妙のタイミングを選んだ。これにより、林には傷がつかない形(つまり林を選んだ蔡の威信に傷がつかない形)で円満な交代を印象付けることに成功した。

民進党の立法委員や県市長らは、フェイスブックで林への称賛と惜別を次々に発信した。最近まで陰に陽に林に不満を漏らしていたのがうそのようである。民進党はこうした演出が非常にうまい。

民進党内を大きく分けると、新潮流派(+蘇派)と反新潮流派の各派(謝派や游派など)が競合し、旧陳水扁派もいて、その上に蔡派が乗る形になっている。蔡への党内支持は固いが、林主導の人事への不満があり、それが独立派の長老の口を通じて明かされ、最近は批判の口調が高まっていた。頼は独立派(特に独立派の長老の世代)の受けが良いので、これで独立派の批判はかなり静まるであろう。

頼は新潮流派で、他派のやっかみは受けるが、党内のナンバー1と2の協力態勢ができたことで、蔡政権は安定する。頼は蔡を支え、蔡も頼を切れない。雑音は常に発生するが、新潮流派があまりにひどいポスト専有をしなければ、20年までは党内の各派・各人とも蔡頼体制を支えるであろう。

新潮流派は民進党立法委員団の最大派であり、同派を中心に民進党立法委員が行政院長の頼を積極的に擁護するようになる。これも林時代よりプラスに転じる要因だ。蔡頼体制ができたことで、民進党は選挙に突き進んでいく推進力を得たと言える。

◆2020年対策

20年総統選挙に波乱が起きるとしたら、それは台北市長の柯以外に考えられない。柯はユニバーシアード台北大会を成功させ勢いに乗り、世論調査の数字も上昇している。来年の台北市長選挙で再選され、さらに第3勢力を結集して総統を狙う動きを見せるであろう。

蔡政権も野党国民党も、共に支持率が低迷した状態が続くと、柯が旋風を起こす可能性がある。しかし、蔡頼体制が機能すれば、柯は24年に照準を合わせざるを得なくなる。これについて、20年の波乱の芽を摘んだと結論を出すのは早いし、柯はぎりぎりまで挑戦を考えるであろうが、蔡が良い手を打ったことは間違いない。

蔡政権は馬政権と非常に似た動きをしている。共に高支持率で選挙に圧勝、立法院でも過半数を得て高い期待でスタートした。しかし、すぐに失望に覆われる。行政院長には学者あがりの人物を充てたが、どちらも1年3か月で交代した。後任はバリバリの政治家であることも同じだ。呉敦義は一定の実績を上げて、行政院長のまま副総統候補となり、馬は再選に成功した。行政院長が職を維持しながら副総統候補となることを野党は「選挙利用」と批判するが、与党には有利になる。蔡と頼もその道をたどるであろう。

頼の指名は蔡が党内の支持基盤を固め、独立派を静かにさせ、柯の挑戦をけん制し、20年の再選を引き寄せる老練な一手である。自分より人気が高い潜在的なライバルを遠ざけるのではなく、その力を活用する人事であり、民進党にとって現時点で最も有利な党内体制ができたことになる。蔡はここにきて、ようやく政治家らしい決断をしたと言える。