午前 平和記念公園、ひめゆりの塔などを訪問

李登輝元総統は、本日午前8時過ぎ、台北桃園国際空港に姿を見せ、中華航空CI120便で沖縄を初訪問した。那覇空港国際線ロビーでは本会会員ら約100名が李元総統を歓声と拍手で出迎えた。

SONY DSC午前6時に起床したという李元総統はそのまま南部へ向かい、摩文仁丘にある沖縄県営平和祈念公園を訪れた。

一行は12時過ぎに到着。まず、沖縄平和祈念堂に献花した後、同じ園内にある「平和の礎」へ向かわれた。

「平和の礎」は、沖縄での戦没者の名前が国籍を問わず刻まれており、その石碑が扇上に並べられている。

沖縄で戦没した台湾人は総勢34柱。李元総統は石碑に深々と一礼された。

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平和祈念講演で報道陣の質問に答える李登輝元総統

また、園内では待ち構えていたメディア陣に囲まれ、「なぜ沖縄を訪問先に選ばれたのか」、「沖縄の印象は」などの質問に答えられた(質疑応答の内容については本会特集ブログをご覧下さい)。

続いて午後から、一行は糸満市の「ひめゆりの塔」を訪問。ぐずついた天気で湿気が台湾より強い感じだ。

李元総統は「ひめゆりの塔」に対峙すると、深々と3度頭を下げた。

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案内の新崎さん(左)に質問する李元総統

隣接する「ひめゆり平和祈念資料館」では、沖縄戦を実際に体験し、現在は語り部を務める新崎昌子(あらさきまさこ)さんの案内で、塔がある第三外科壕跡地や資料館を見学した。

新岬さんは今年80歳。亡くなったご主人は、1943年(昭和18年)から終戦まで台湾の新竹や台中大甲郡で教師をされていたとのこと。数年前に亡くなるまで、当時の教え子と交流があったそうだ。

ご自身も陸軍少尉として終戦を迎えている李元総統は、新岬さんの説明に耳を傾けながら、李氏はゆっくりと館内を見回り、時々質問を挟む。当時の学徒の写真パネルの前へ来ると、新岬さんに「あなたはどれ?」「綺麗な人だったね」。

年間90万人が資料館を訪れると聞くと、李氏は「日本の総理大臣はここへ来ますか」と尋ねる。「来ない」との返答に、「総理大臣になったら、まずここを見学して沖縄のことを知ってから東京で仕事するべきだ」と語った。

見学を終え、一行が資料館を後にした途端、スコールに見舞われた。この後、李元総統は投宿先である宜野湾市内のホテルに入って休憩。夕方からは那覇市内で開かれる本会および李登輝学校日本校友会主催の歓迎晩餐会に出席される。

夕方 本会および李登輝学校日本校友会主催の歓迎晩餐会にご出席

李登輝元総統は、到着した22日夕方から那覇市内の琉球料理レストラン「四つ竹」で開かれた本会および李登輝学校日本校友会主催の歓迎晩餐会に出席された。

午後6時半から開かれた会には、李元総統をはじめ、警護人員もみな沖縄独特のかりゆしウェアに着替えて参加。60名あまりの会場総立ちで出迎えられると、笑顔で出席者と握手をしながら席についた。

SONY DSC柚原正敬・本会常務理事の歓迎挨拶の後、挨拶に立った李元総統はわざわざこの日のために原稿を用意。「ちょっと長いですよ」と前置き、「現在の台湾は『五里霧中』の状態。民主化に貢献した勢力が、今では民主化を阻害している。馬政権は好き勝手なことをやり始めている。『愛国』と口で言いながらいい加減なことをしている。台湾は今後、自己統治能力を備えた現代人にならないと国を失いかねない。悪い習慣を超越する能力を身につけるべきだ。そして、日台関係の心の絆をより一層強くすることが必要」などと述べた。

その後の乾杯では、注がれたビールを一気飲み。いつもながらのサービス精神に一同から大拍手ながら、台湾から同行してきた李元総統の主治医の陳先生は何ともいえない表情。

厳重な警備の中でも、本会会員限定の晩餐会とあって和やかな雰囲気で会は進み、李氏と握手したり記念撮影を求める会員の姿も。

舞台で披露された琉球舞踊には李氏も箸を止め、熱心に見入っていた。

SONY DSC琉球舞踊の一つ「護身舞踊」は元来、武器を持たずに生活していた琉球の人々が身を守るために身につけていた空手などの動きを取り入れたもの。演者の方に「あなたは相当の段を持ってるでしょう」と尋ねる李氏。関係者によると、日本でも有数の舞手の方とのこと。

記念撮影後、今回の講演会主催者である永井獏・琉球大学工学部教授が閉会の辞を述べた。

「私は勝手に十数年前から、李登輝元総統を氏と仰いできました。師弟の関係には2つの約束があると思います。一つは、いつかは師を乗り越えなくてはならないこと。もう一つは、師より先に逝かないこと。私が李元総統の年齢になる時、李元総統は106歳になる計算になります。今日の李元総統の若々しさ、お元気さを拝見したらきっと106歳までお元気でいらっしゃるんじゃないかと確信しました。明日の講演を楽しみにしております」と締めくくった。

SONY DSC午後9時過ぎ、李元総統一行は投宿先に戻り休まれた。

23日午前はホテルで休息を取られ、午後から宜野湾市の沖縄コンベンションセンターで『学問のすすめと日本文化の特徴』をテーマに講演される。

※本会HPに載せきれない写真、詳細レポートは2008年特集ブログをご覧ください。