2009年 李登輝総統訪日

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5回目の訪日で突破あり 李登輝氏、政治的話題を生き生きと語る

李登輝元総統は台湾時間の10日午前11時すぎ、曽文恵夫人とともに長栄航空機で福岡空港から帰国。6泊7日の訪日を終えた。今回の訪日は2000年に総統退任以来5回目だが、いくつかの突破が見られた。政治的な言葉が最も多かったのが今回だと言える。

4日、彼は東京到着後、晩餐会に百名に上る日本の友人を招いたが、そのなかには森喜朗元首相、与党の自民党議員、そして9月中旬に政権をとる民主党の議員など約20人も含まれていた。前4回の訪日では、日本の政界要人、議員とはプライベートな形で面会していたが、今回はそれと異なり、公開のパーティーの場で会っている。これは一大突破と言えるだろう。

5日、東京青年会議所の創立60週年を記念して行われた「新日本創生フォーラム」に出席した。この日のテーマは「この国に誇りと希望を」。彼は明治維新の英雄、坂本龍馬の「船中八策」を中心に、日本の青年たちに提言を行った。講演が終わると、約2000人もの聴衆が割れんばかりの拍手を送った。

彼は日本に対し、日米協調路線を基軸に、中国とは節度ある交流を行うとともに、すでに独立した存在である台湾との協力関係を強化するのが最も望ましいとアピールもしている。台湾と日本は、国家の主体性を持たなければならないとも強調した。つまり坂本龍馬「船中八策」のように、国家運営の方向性を示し、「脱古改新」、クリーンな政治で人民を幸福にしなければならないと言うことだ。

時はあたかも日本の最大野党、民主党が衆議院選挙で大勝をおさめ、中旬には政権を握るところである。日本のメディアは李登輝氏に行った質問の多くは、民主党に対する期待についてだった。

それに対して彼は「民主党が東アジア共同体の理念を重視するのはいいが、アジアでは目下、宗教、文化、経済発展などの面で違いが見られ、欧州共同体のような条件が整っていない。そのため最も好ましいのは先ず台日関係を強化し、日韓のような国家関係にすることだ」と答えた。

また「日本の指導者は日米同盟の重要性を正視しなければならない。たしかに日本は更なる主体性を持って勇気ある主張を行うべきだが、しかしただちに米国から離れ、中国と結盟することはできない。なぜなら中国には多くの不確定要素があるからだ」との見方を示した。

そして「政権を獲得したばかりの政党は通常、人を驚かす主張をするものだが、それが通じるだろうか。それが国家、人民に有益だろうか。為政者はそれを考えながら修正を行っていくものだ」と話した。

李登輝氏は一つの重要な点を指摘している。それは西太平洋での主導権を誰が握るかの問題を日本に考えてもらいたいと言うことだ。日本はどのように日米同盟を運用し、西太平洋での主導権行使に参与できるか考えるべきだと言うのだ。また、日本国民は真剣に憲法改正問題を考えるべきだともアピールした。

台日関係に関して李登輝氏は、「日本は台湾を失えばどうなるかを先ず考えるべきだ」と述べた。日本はだんだん中国の影響を受けつつあるが、もし台日関係を強化しないなら、それは崩壊へと向かうだろうとも指摘した。

ある日本人が匿名で明らかにしたところによると、李登輝氏は今回の訪日に先立ち、やはり日本側から特別な「指図」を事実上受けている。日本では「あまり政治的になるな」と希望されたそうだ。李登輝氏はこの一点を快く思っていない。

李登輝氏は「日本は中国の言うことをあまりにも聞きすぎだ。自主性ある判断をしなければならない」との考えで、「日本が過度の謙虚さで他国に叩頭外交を行えば、国際社会からは絶対に尊敬されない」とたびたび述べていた。

8月の日本での報道によれば、海上自衛隊の遠洋航海艦隊は香港で停泊する予定だったが、8月中旬になり、中国は北京の日本大使館に対し、「敏感な問題がある。時機に照らし同意できない」と伝えた。

聞くところによれば、日本政府が7月、米国に亡命中のラビア・カーディル世界ウイグル会議主席の訪日を受け入れ、そして9月の李登輝氏の訪日に同意したことに、中国が不満を抱いているからだと言う。

李登輝氏は中国政府から「台独ゴッドファーザー」「戦争メーカー」と看做されている。彼が総統退任後、初めて訪日したときの目的は病気治療だった。岡山県倉敷で心臓の手術を受けている。2度目の訪日は若いころの留学先である京都、従軍時に滞在した名古屋などを訪れた。これらの際、日本側は中国の圧力を受け、彼が講演や政治に関する話題に触れることに同意しなかった。

今でも彼は、2001年の訪日のとき、日本の大臣から「死ぬのに、なぜ日本で死ぬのか」と罵られたことを忘れていない。「このような人間(田中真紀子氏)には人道精神がない。なぜ官職に就いたのか」と。

2007年に至り、彼は「学術交流と奥の細道の旅」を行い、ようやく東京などで講演を行うことができた。昨年、彼は沖縄に招かれて講演をしている。聴衆は2000人にも達した。沖縄県の現職、前職の知事も堂々と昼食会に出席しており、外交上の突破を果たしたと言えた。

日本では李登輝氏の行くところ、旗を振りながら「万歳!」を叫ぶ「李登輝ファン」の姿をつねに見ることができる。今回、高知空港に着いたときも、子供を抱いた20歳代の夫婦が、はるばる遠くから車で出迎えに来ていた。

李登輝氏は京都や金沢を訪れたとき、日本の哲学者西田幾多郎の思想を語った。奥の細道を歩いたときには17世紀の俳人松雄芭蕉の詩句について語り、また日本文化の特質や武士道精神についても話している。今回は坂本龍馬の革新救国の理念を通じ、台日の政治や国際情勢を大いに論じた。

9日、彼は日本の記者から次の訪問の時期を聞かれた際、「日本は台湾人にノービザを実施している。私は平民だから、来たいときに来ることができる」と答えた。

若者たちに強い期待を抱く李登輝氏は、「今回東京青年会議所の厚意の要請で講演を行ったように、若者たちが話を聞きたいと言うのなら、体の状況が許す限り、必ず訪日する」と話している。

しかし87歳の李登輝氏自身は、すでに訪日の機会が残り少なくなっていることを十分に知っている。だから今回の訪日では、政治的な話題に関しても、言いたいことを生き生きと語る心境になったようだ。【9月10日 中央社】

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