第8回 日本李登輝学校台湾研修団

平成19年11月30日(金)~4日(火)15名(竹市敬二団長)

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【第1日目・台中】第8回目となる李登輝学校台湾研修団は11月30日から12月4日までの4泊5日の日程で開催。第8回の団長を務めるのは、7回目の参加という竹市敬二さん。帝国海軍出身の81歳の竹市さんは滋賀県から参加。帝国陸軍出身の李登輝校長から「竹市さん、若いね」とお褒めにあずかったとか。

成田空港を午後に飛び立った中華航空機は午後5時過ぎに無事台北桃園国際空港に到着。今回の参加者15名は早速研修先の台中市へと向かった。毎回30名から40名の参加をいただいている李登輝学校研修団にしてはやや小規模。国会開会中で、参加を希望していた国会議員の方々が断念されたり、年の瀬ということ、例年2回の開催を今年初めて3回行ったことなどが重なってしまったようだ。台湾は年明けから立法院選挙、総統選挙、5月の総統就任式典まで政治的日程が重なっており、日程調整の点から、来年上半期の開催は難しいために、この時期の開催になった次第。日程の関係で参加できなかった方々には何卒ご了承頂きたい。

バスで台中市に移動した一行は「活力珈琲館」にて夕食。会場には、台中市在住の李登輝学校卒業生も駆けつけていただいた。

SONY DSCその一人、黄杰寿さんは李登輝前総統が5月に訪日された際にもメディア陣のコーディネーターとして随行され、お嬢さんは日本留学中。日本の古民家が大好きで関連雑誌も日本から定期購読中という筋金入り(?)の親日派。毎回、何かとお手伝いをしていただいているので、研修生には既に顔なじみの仲。

そもそもこの「活力珈琲館」は台湾中部では”知る人ぞ知る”カフェだという。中に足を一歩踏み入れると、巨大なスピーカーからクラシックが流れており、壁には作曲家の肖像画が所狭しと掛かっている。一見、”名曲喫茶”の印象なのだが、壁の一角には台湾の文化や歴史を紹介したDVD、原住民音楽のCD、Tシャツ、帽子などが並べられている。

SONY DSC一足先に到着した我々が「李登輝学校のスタッフ」と告げると、オーナーの高嵩明さんが美味しいコーヒーをご馳走してくれた。高さんも、祖父母や父母の影響を受け、日本の歴史や文化が大好きだという。芳しいコーヒーを楽しみながら高さんが見せてくれたアルバムには、独立派の大物の顔がズラリ。そう、ここはサルトルやボーヴォワールが語り合ったパリのカフェの如く、台湾派が集まる”サロン”として親しまれているとのことだ。

金曜日夜のため高速道路が渋滞。予定よりやや遅れて、お腹を空かせた一行が到着した。一行に振舞われたのは、明日午前の研修会場が台湾鉄路局の彰化支社ということで、「鉄路弁当」。台湾の駅弁は日本時代からの歴史があり、今も観光客には大人気。醤油で甘辛く煮付けられた排骨飯(鶏腿)に味付け玉子や台湾の野菜などが盛りだくさんの弁当のほか、お土産にもなる昔懐かしい銀色の弁当箱が付いてくる。このデザインは毎年変更されているようであり、日本人観光客にも人気とのこと。台北駅コンコースでも購入できるので、興味のある方は覗いてみては如何だろうか。

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そこへ今夜の特別ゲストが登場。新書発表会で台湾に帰国されていた黄文雄先生(本会常務理事)が偶然にも台中市内に滞在中。お忙しいところを研修生一行の激励のため、タクシーを飛ばして駆けつけてくださった。突然のゲスト登場に一行からは拍手が。前回このカフェを訪ねた際は休みだったという黄先生もこのカフェのアルバムに納まったようだ。

夕食を終えた一行は、市内のホテルへ。明日から北京オリンピック野球予選が台中市内の球場で開催されるため、台中のホテルは一ヶ月前から満室だったとか。繁華街にあるホテルの周りにも一見して日本人とわかる団体がそぞろ歩いている。台中市は台湾人に言わせると「台湾で最も住みやすい街」だそうだ。確かに台北に比べると、雨も少なく気温もそれほど下がらない。道は広く緑も多いため、住みやすいのは確かだ。

筆者など、留学する際に「台中に留学します」と林建良・本会常務理事(台中出身)に告げたところ、「なに!台中?台中は人は優しいし食べ物も美味しい。気候もいいし、女性も綺麗。あまりの住み心地の良さに”人間がダメになってしまう”から気をつけなさい」と有り難い(?)助言をいただいたほどだ。

ホテル周辺には日系デパートもあり、ちょっとした散策も可能。一晩だけの台中泊だったが、台北とは一味ちがう台湾を研修生には感じていただけたかと思う。

【第2日目・台中/彰化】午前8時半にホテルを出発した一行は、本日最初の野外研修地である彰化市の台湾鉄路局・彰化車庫へ。台中市からお隣の彰化市までは高速道路で約30分の快適な移動。一行が到着すると、入り口には我々を歓迎するプレートが掲げられていた。

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この彰化車庫の目玉は「扇形車庫」だという。
筆者を含め、一般的には「扇形車庫」と聞いてもピンと来ないと思うので、この車庫が2005年に修復完成された際の『台湾週報(台北駐日経済文化代表処発行の機関誌)』の記事を下記に引用してみたい。

「台湾の鉄道誕生から118年、扇形車庫が修復完成」

1887年に台湾に鉄道が誕生して今年で118年、さらに台湾の大動脈にあたる西部幹線が開通してちょうど100年目にあたる。これを記念するとともに、このほど修復工事を終えて完成した扇形車庫の落成を祝う式典が6月7日、彰化駅で行われた。

扇形車庫はその昔、蒸気機関車の時代に先頭車両のメンテナンス基地として建設され、その名が示すように、扇を開いた形に似ているのが特徴だ。当時は台北、新竹、彰化、嘉義、高雄の5カ所に設置されたが、時代とともに蒸気機関車が電車にとって替わられ、扇形車庫も次々と姿を消していった。そうしたなかで唯一彰化の車庫だけが、鉄道ファンの熱心な働きかけで県の文化財として保存されることになった。

1922年に建設された彰化の扇形車庫は、10年間かけて補修工事が行われ、当時の姿そのままに蘇った。落成式には陳水扁総統をはじめ林陵三・交通部長、翁金珠・彰化県長らが出席し、陳総統は彰化駅に隣接した鉄道文物館を見学したあと、扇形車庫の転車台に停車している蒸気機関車の先頭車両に乗り込み、みずから汽笛をならし、車庫の完成を祝った。

陳総統は式典のなかで、台湾で唯一残された機関庫としての歴史的文化価値を指摘するとともに、今後も鉄道の施設や文化財の補修と整理を進め、台湾の鉄道の歴史を積極的に保存していく考えを示した。

なお、この扇形車庫は、今後博物館として一般に開放されることになっている。【後略・台湾週報 2005年6月9日号より】

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右が宋鴻康・段長。左は研修団スタッフ・通訳としてお馴染みの李清興さん。

我々を歓迎して下さったのは、彰化機関区の段長(彰化地区の最高責任者)を務める宋鴻康さん。若い頃、フランスで3年間の研修経験があるという宋さんはただいま日本語勉強中(フランスでは雅子妃殿下と同窓だったとか)。やや照れながらも簡単な挨拶を日本語でしていただき研修団からは大きな拍手が。

一行は、最初に会議室に通されコーヒーやお茶を振舞われながら台湾鉄路局の紹介ビデオを鑑賞。1ヶ月ほど前、本会事務局の関係者が下見に訪れた際に拝見した際には日本語版が無かったというから、もしかしたら急遽製作してくれたのかもしれない。

内容は、鉄道にさほど興味がない人でも楽しめる旅情豊かな内容。確かに台湾を走る列車はどれも、どこかしら懐かしさを覚えるような車両が多い。ただ、懐かしさのみならず最新の車両を日本から輸入したり、自動改札を導入したりなどの努力も進めていることが良く分かる映像だった。

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ビデオ鑑賞後、参加者からは台湾鉄路局の実態や台湾高速鉄道(新幹線)が完成してからの状況などについて次々と質問の手が挙がる。このままだと見学の時間が無くなってしまうので、後は実地に車庫を見学しながらということに。

車庫内には日本時代に製作されたSLも綺麗に磨かれて休息している。驚いたのは我々のために、一台の車両をわざわざ動かしてくれたこと。実際に扇形車庫が使われている姿を目の当たりにし、日本時代の遺産が大切にされ、かつ見学に来た後世の我々のために心尽くしの歓迎をしていただき感謝の念に堪えない。
自己紹介の中で「実は私も鉄道が大好きでして・・・」と話していただいた宋段長をはじめ、仕事としてだけでなく心底、鉄道を愛している人々によって大切にされている扇形車庫に列車たちが休息する姿は美しい。

彰化県政府の観光案内HPでも紹介されているので、中部に出かけた際には鉄道ファンならずともぜひ見学に立ち寄っていただきたい。

台中市に戻った一行は、続いて台中放送局へ。開局は日本時代の昭和10年(1935年)。修復されクリーム色に塗られた建物も現役なら、現在もラジオ局として使われており中身も現役。整備された中庭には国民党の破壊を逃れた美しい石灯籠を背の高い椰子の木が見下ろしている。

SONY DSC昼食後に訪れたのは「台湾の靖国神社」と称される宝覚禅寺。境内には大東亜戦争で日本人と共に散った台湾出身の兵隊さんを慰霊する、李登輝前総統の揮毫になる「霊安故郷」碑と、日本時代に台湾に埋葬されたものの、戦後長らく荒れ果てていた日本人墓地の遺骨をまとめて埋葬した日本人墓も建てられている。研修団はどちらにも感謝をこめて献花し頭を垂れた。
続いての研修は台中公園。ここでは日本時代の台中神社を偲ぶことができる。倒されたまま放置された台中神社の鳥居を見学。ふと見ると、鳥居の傍らにはプレートが立ち「日本時代の台中神社の鳥居」と説明が添えられている。そう言えば、この台中公園も戦後、「中山公園」(中山は孫文の号)と改称されたが、2000年に市民の要望で名称を復活させた。戦後、日本時代の歴史を抹殺しようとした国民党だが、「歴史は歴史」と割り切った台湾人との相容れなさを見たような気がする。

SONY DSCその後、台中市庁舎などの野外研修を終え、バスに乗り込んだ一行は一路、淡水へ。今回の宿泊および講義は従来の桃園・渇望学習センターではなく、李登輝学校のオフィスがある淡水で行われる。桃園は周囲から隔絶された研修地だったが、今回は夜市や台北市内にも出掛けて市井の人々の暮らしを実感してもらおうという台湾側の粋な計らいだ。

淡水に到着した一行は、赤レンガの古跡が美しい「紅楼」で夕食。台中での研修と移動でやや疲れたのか、夜市もそこそこに投宿先へ。

【第3日目・淡水】ホテルから講義教室までは徒歩5分ほどの距離。李登輝学校本部が入る瀟洒なビルの一室だ。

SONY DSC講義は林明徳先生(台湾師範大学教授)の「台湾主体性の追求」で幕開け。過去四百年の間、台湾の主人になることができなかった台湾人の悲哀とともに、「中国か台湾か」で揺れる台湾を守るためにはアイデンティティの確立が最重要であると断言した。

休憩時にはコーヒーや烏龍茶などが用意され、台湾側スタッフの気配りに感謝。研修生が講師の先生をコの字型に囲むように机が配置されているので、双方の距離が近く感じられ、質問の手も活発に挙がっている。

SONY DSC昼食後に休憩をしていたところに嬉しいハプニング。『共産中国にしてやられるアメリカ』などの著作で知られる阮銘先生(台湾綜合研究院顧問)が研究のためにオフィスに出勤しており、少しだけお話いただけることになったのだ。前総統府国策顧問で李登輝校長のブレーンとしても知られる阮銘先生には研修生から活発な質問の手が挙がり、時間切れで打ち切るほどだった。

SONY DSC午後は「原住民の発展」と題する馬薩道輝先生の講義だが、馬薩先生の美しい日本語には感動すら覚える。前回の研修の後、礼状を認めた筆者にいただいた返信も格調高い日本語で綴られており、思わず背筋が伸びた。

SONY DSC夕方からは最後の野外研修へ。来月に迫った立法委員選挙が2日前に告示されて初めての週末。そこかしこで選挙カーががなり立て、幟がはためいている。その選挙演説会場を視察しようと訪れたのは、台北県で立候補している荘孟学氏(台湾団結連盟)の会場。この名前にピンと来る人も多いだろう。荘氏の前職は李登輝学校教育部長だ。馴染みの顔が駆け付けたことで緊張気味の荘氏の顔もいくぶん綻ぶ。研修生も台湾の選挙を実感できて満足そうだ。

【第4日目・淡水】今日の講義は李登輝前総統と台湾民主化をテーマにしたDVD『台湾民主化之道』観賞でスタート。

SONY DSC続いて、郭生玉・李登輝学校秘書長から歓迎の挨拶を受け、引き続き黄昭堂・台湾独立建国連盟主席の講義へと突入。風雲急を告げてきた「立法委員選挙と総統選挙」をテーマに、黄主席は「国際法上、台湾が置かれた現状は歴史上今までなく、いわば判決を待っている状態。この現状を打破するにはさらに台湾人のアイデンティティを強化する必要がある」と喝破。

SONY DSC午後は、元東京新聞台北支局長の迫田勝敏先生の講義でスタート。「日本人の台湾生活経験」と題した講義は、台湾に魅せられたあまり退職後に住み着いてしまった迫田先生ならではの経験談を披露。「自分は台湾人」という確固たるアイデンティティを持った台湾人が飛躍的に増加した以上、台湾化の勢いは止まらないだろうとの分析は元新聞記者ならでは。
本日最後の講義は黄天麟先生(前総統府国策顧問)。財界の重鎮でもある黄先生は相変わらず柔らかな物腰で難解な経済を解き明かしていく。経済だけの状態を見れば、台湾が中国に飲み込まれるのは時間の問題とする黄先生の講義に、危機感を感じた研修生から次々と手が挙がる。

濃密な一日を終えた研修生は外出しない。今宵はアジア五輪予選の決勝「日本VS台湾」の生中継があるのだ。途中リードされながらも凱歌を揚げた日本チームに各部屋ではビールで乾杯。

【第5日目・淡水】あっという間の最終日。いよいよ校長でもある李登輝先生の講義である。午前10時、淡水河を望む大広間に颯爽と現れた李校長は、一行全員と握手してから講義開始。『文明の衝突』を著したサミュエル・ハンチントン氏が論じる「国家の民主化に加担した勢力が、後に民主化を妨げる勢力になる」という「ハンチントン現象」をとり上げ、台湾の民主化の停滞と今後の課題について話された。「民主化を成し遂げた国家の全てが自由を享受しているわけではない。むしろ後退し問題を抱えている国家の方が多い」とする李校長は、現在の台湾がまさに岐路に立っていると指摘。今一度、台湾人は奮起しなければ民主化の後退に繋がってしまうと危機感を表した。その後「最高指導者の力量」として安倍首相退陣にも言及、質問にも丁寧に答えられて一時間の講義はあっという間に終了。

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終業式では李校長自ら研修生一人ひとりに修了証書を手渡され、記念撮影。

「続きは食事しながらおしゃべりしましょう」と、大テーブルに李校長を一同が囲んだ昼食会では、講義の続きかのように研修生から質問が飛び、李校長も丁々発止と答えられて大盛り上がり。最高潮は、李校長が「一日中聞いている」という「千の風になって」を全員で大合唱。目を閉じて熱唱する李校長を囲み、今回も充実した李登輝学校研修団は幕を下した。

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