第21回 日本李登輝学校台湾研修団

平成26年5月8日~12日 38名(山本厚秀団長)

真の日本を先人の背中に学ぶ

藤倉 聡子(東海大学政治学科国際関係組一年)

今年の春も「第21回日本李登輝学校台湾研修団」が5月8日から12日にかけて行われました。団長は山本厚秀さん、副団長は岡真樹子さんがお務めになり、スタッフ含め総勢38名での参加でした。皆さんの自己紹介では、初めて参加 されるという方々が多く、年齢層も幅広いという印象を受けました。

第1日・5月8日 一日日は、淡水の李登輝基金会において始業式が行われると、早速、淡江大学助教授の蔡錫勲先生による「台湾から見る安倍政権の外交・安全保障の再生戦略」の講義。先生の対中見解は以下の通りです。

「東日本大震災による日本弱体化によって大陸との一強一弱の構造が生まれ、日中関係が一時的に改善された。しか しあれから三年が経ち、ある程度落ち着いてきた状況で日本が国力を取り戻してきた今日、日中関係がうまくいかないのは両国が強者対強者の関係になりつつあるからである」

私は、日本のこれからは国力と外交能力を高めることが大切なポイントになってくると思いました。

講義後は蔡先生と共に「海中天」で美味しい台湾料理をいただきました。

第2日・5月9日 二日目は、朝から午後にかけて三人の先生の講義がありました。まず始めは総統府元国策顧問の黄天麟先生による「台日の経済問題と展望」と題した講義。円高はいい悪いがあるが、今の日本は悪い円高が進んでいる。また台湾は現在、ECFAや両岸サービス貿易協定、馬・習会談など多くの経済問題を抱えていると強調され、黄先生は具体的な数字を示して説明してくださったので、台日の経済について理解を深めることができました。

20140508-01次の講義は、中日新聞特約記者の追田勝敏先生による「台湾2014年『七合一』統一地方選挙の観察」。追田先生は、11月末に行われる台湾の統一地方選挙で台中市が民進党にひっくり返ると状況が変わってくると指摘。また、台湾の学生たちが立法院の議場を占拠した三一八学生運動に関しても具体的に説明してくださり、テレビや新聞では報道されなかった部分やストーリーを知ることができました。

昼食を挟んで、この日最後の講義は元朝日新聞台北支局顧問の駱文森先生による「白色テロとメディア」。駱先生は82歳になられますが、今でも新聞を毎日読まないと気が済まないと仰っていました。そして、恐怖政治がもたらした白色テロ、歌や本が禁止された戒厳令について、当時のエピソードをお話しくださいました。また、現在に至るまでの新聞史の説明も非常に詳しく、勉強になりました。一番心に残ったのは、今の台湾には当たり前のように「言論の自由」がありますが、それを勝ち取るため、つい最近までどれだけの人々が苦労してきたかということです。自分の主張を自由に表現できることがいかに素晴らしいことか、駱先生の講義を聞いて改めて感じました。

御三方の講義を受けた一同は、新幹線で一路台南へ。有名な担仔麺の店で夕飯をいただきましたが、台南ならではの甘い味付けの料理に驚きながらも皆さん舌鼓を打っていました。

第3日・5月10日 三日日は作家の片倉住史先生が同行され、「台湾の民間信仰と文化ー台湾で神様になった日本人」をテーマに野外見学をしました。

20140508-02まず向かったのは「鎮安堂飛虎将軍廟」。ここは、部落を戦火から救うため、自分の生命を犠牲にしたという海軍兵曹長の杉浦茂峯命を祀っている廟で、毎日「君が代」と「海ゆかば」を祝詞として、タバコを線香としてあげているそうです。廟には、もしこの場に杉浦命の霊がいらしているならタバコの煙は中に入っていくという言い伝えがあるそうで、なんとこの日は煙が中に吸い込まれていったのです!私たち日本人の参拝者たちの思いを受けてこの場にいらしてくださったのだなと思ったら、心が温かくなりました。

続いては、屏東県にある「霊聖堂」 へ。当時は屏東県東港にも海軍基地が置かれ、軍人の火葬場が設けられてい ました。その後、夜ごとに行軍足音が聞こえるので、日本海軍を慰霊するための霊聖堂を建てたということです。廟の中に入ると、げっぶを繰り返している現地女性の姿があり、多くの人たちがその光景に驚いていました。片倉先生によると、神様がこの方に乗り移り、日本から来た参加者を歓迎しているのだそうです。廟側は神様にお伺いを立て、特別に祠の後方にある煉瓦作りの窯と霊骨箱を見せていただきました。その後は、現地の方々が小豆かき氷やフルーツなどのおやつを振る舞ってくださいました。

次はバスに乗って、同じく屏東県の共和新村にある「日本軍魂廟」へ。共和新村は戦前、海軍航空隊の官舎として建築され、戦後は外省人の人々が住んでいます。王立皓さんという現地の方に案内していただいた風景はまさに昔の日本そのもので、タイムスリップした気分になりました。そこにある日本軍魂廟は今まで見てきた廟ほど大きくないものの、「しゃがんで下を見てごらん」と言われてそうすると、なんと神棚の口に日章旗が描かれていました。驚きながら聞きますと、台湾で日章旗が描かれた廟はここだけだそうです。しかし、現在このような素敵な村を取り壊して新しくマンションを建てようとする計画が進行しており、王さんはこの動きに抵抗しているそうです。

今回、私たちは王さんと片倉先生の説明を聞きながら、右手に昔ながらの日本家屋、左手に高層アパートという道を歩き、私はとても複雑な気持ちでその場所を後にしました。日本ではすでにこのような景色が見られる場所は多くないので、この村がいつまでも存続してほしいと願いました。

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この日最後の見学場所は、日本人の田中継常少将を祀る廟「枋寮東龍宮」です。この廟は、田中少将以外にも4人の日本人を一緒に祀っていることから特別な廟なのだと思いました。こちらにも日の丸の旗が飾ってあり、日本よりも日本らしい場所の一つであると感じました。驚いたことに、現地スタッフの方たちが食べきれないほどたくさんの蓮霧を用意してくださり、私たちは頼張るように甘い蓮霧を口にして水分補給をさせていただきました。

20140508-05第4日・5月11日 野外見学二日目は、まず高雄市にある「紅毛港保安堂」を見学。ここは、2メートル長の日本軍艦の模型をご神体として祀るとても立派な廟でした。神棚には「赤玉スイートワイン」があげられており、昔を懐かしがっていた参加者もいらっしゃいました。この廟の特徴として、現地スタッフの方たちが若いということ、またTシャツなどの記念品を販売しているということから、若い世代に親しみやすい廟だとい うことを感じました。

南部における片倉先生との野外見学を終えた一行は新幹線で台北に戻り、最後の見学場所である芝山厳へ。ここは、日本統治時代に初めて設けた「芝山巌学堂」があった場所で、匪賊よって殺害された六人の日本人教師(六士先生)を祀るお墓があり、小田村四郎会長の祖父の楫取道明命もそのお一人。林の中に静かに佇む六士先生のお墓を皆で取り囲むようにして祈りを捧げ、その場を後にしました。

第5日・5月12日 最終日の朝、私たちは残念な知らせを聞くことになりました。それは蔡焜燦先生が体調不良のため講義できなくなったとのこと。蔡先生の叙勲後初の講義だということもあり、皆さん楽しみにしていたことと思います。

そこで急遽、代わりに台湾高座会会長の李雪峰先生に駆けつけていただきました。李先生は高座会を同窓会と説明され、昨年5月に日本で行われた留日70周年歓迎大会を「70年遅れた卒業式」と仰っていました。講義の最後に「いつまでも、いつまでも台湾と日本は兄弟です」と強調されていたのがとても心に残りました。

20140508-06午前10時、今回最後の先生、李登輝元総統が皆さんの拍手の中、入室されました。李登輝先生は講義開始早々にペンを持ち、ホワイトボードに向かって「2014年は国際社会の大きな転機」として、世界経済についてお話しくださいました。

また日本国憲法にも触れ、最大の問題は第九条にあり、いち早く改正して本来の日本を取り戻してほしいと仰っていました。

続いて、指導者について「自らを激しく奮起させ、人々を導いて新たな未来を創造するのが指導者だ」と説かれ、台湾を民主化へと導かれた元総統の信仰と強い意志に感動しました。

この日の李登輝先生はとてもお元気で、講義は二時間にも及び、多くのことを日本人である私たちに伝えたかったのだろうと拝察いたしました。

20140508-07今回の李登輝学校を通して、私は日本の教科書には載っていない史実を数多く知りました。

そして多くの先人、人生の先輩方の立派な背中を見て、自分も日本人としての誇りを持ち、将来は日台の架け橋になれるように日々邁進していきたいと強く思いました。

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