第10回 日本李登輝学校台湾研修団

平成20年10月10日(金)~14日(火) 22名(伊藤英樹団長)

第10回目の節目を迎えた李登輝学校台湾研修団は、語呂も良く10月10日から4泊5日の日程で開催され、22名が参加した。今回は、李登輝元総統の特別講義が最終日ではなく第3日目に組み込まれ、野外での研修が増えるなど、前回までの研修団とはプログラムを変更して実施された。5日間の模様を参加者の杉本拓朗さんのレポートで振り返りたい。

「第10回李登輝学校研修団リポート 日台交流の大事を再認識」 杉本 拓朗

今回、第10期李登輝学校研修団は、伊藤英樹団長・近藤和雄副団長はじめ計21名が参加し、10月10日(金)~10月14日(火)の4泊5日で開催された。実際の授業は11日からであったが、これには訳がある。我々が台湾に着いた10月10日は中華民国の国慶節であり、そのため11日のチケットが取れなかったという。しかし1日余裕ができたため、繁華街や夜市へ行くなど、思わぬ恩恵を被った者もいた(筆者もその一人)。

テレビでは国慶節の記念式典の様子が流れ、街中にはやけくその様に晴天白日旗が掲げられていたが、市民は国慶節というより三連休を単純に喜んでいたのが印象的であった(ちなみに昼間は30度の暑さだった為、儀仗兵が熱射病で倒れる風景もテレビで流されていた)。

【第一日目】初日は郭生玉秘書長のご挨拶の後、林明徳先生の講義「台湾の歴史」が行われた。現在馬政権によって中国化が促進されているが、その結果、中華民国体制への反発が徐々に出てきたことと、本土化・中国化からの脱却することが重要であると力説された。

SONY DSC

おなじみの郭秘書長の歓迎挨拶から研修団スタート

SONY DSC

林明徳先生のいつもながらの緻密な講義

SONY DSC

二二八紀念館前で集合写真

午後からは、二二八紀念館・十三行博物館へ野外見学に行った。

十三行博物館とは、約二千年前の遺跡「十三行遺跡」を保存し、発掘物を展示した博物館である。十三行人は製鉄・交易を行っていた人たちであるが、彼らの末裔はいまだに不明であると言う。ここにも日本語ボランティアの方が一人おられ、数日前に申し込めば関西訛りの解説を受けることができる。

SONY DSC

ボランティアの王朝陽さんは昭和9年生まれ。終戦後は工業系の学校に進み、そこでは能力不足の国民党政府が日本人の教師を台湾に残らせて徴用していたこと、日本と取引のある仕事を長年続けてきたことから、流暢な日本語をパワフルに話す

SONY DSC

十三行博物館(十三行は地名にちなむ)の代表的展示となっている「人面土壷」は、十三行遺跡から出土し復元されたもの

SONY DSC

博物館は建物自体もモダンなデザイン。ガラス張りの床には注意書きが。「スカートをお履きの方は、端をお歩きなさい」と

夕食は本日はじめて研修団が全員揃ったという事で、レストランで夕食会を行った。そこでは日本語ボランティアでお馴染みの蕭錦文さん等ゲストも特別参加するなど楽しい会であった。

【第二日目】二日目の講義は、迫田勝敏先生の「台湾マスコミの現状と問題」、城仲模先生の「台湾の法的地位」、張炎憲先生の「台湾と蒋介石」が行われた。

迫田先生…台湾マスコミは報道姿勢、報道題材の取捨選択などに非常に政治色が強く、過熱報道がおきやすいと台湾メディアの特徴を示唆。馬総統および、中国に接近しようとする政権を問題視した内容であった。

城先生…城先生は李登輝友の会会長に就任された方で、講義となった。「人間は過去を知り、今後を良くする」と言うお言葉と共に、台湾の法的地位を歴史的経緯と解釈をユーモアを交えながら解説された。

張先生…研修団で初めて蒋介石について勉強することになった。張先生は二二八事件の元凶は蒋介石であるとはっきりと名指しした勇気ある方である。蒋介石は死刑の判決数を見て、内容如何を問わずその数を増やすよう指示したなど、信じがたいエピソードの数々を張先生が紹介された。張先生は蒋介石らへの罪を指弾しつつも、淡々とお話になられたのが印象的であった。

SONY DSC

SONY DSC

SONY DSC

その後は、野外見学として「国立台湾博物館」「自由広場」へ。

SONY DSC

日本時代と今も変わらぬ国立台湾博物館の天井に装飾されたステンドグラス

SONY DSC

国立台湾博物館の前身は児玉総督後藤民政長官記念館、竣工は1915年(大正4年)。今も御二方の銅像が大切に保管・展示されている。

SONY DSC【第三日目】いよいよ待ちに待った李登輝先生の講義である。研修団・スタッフの拍手の中、お元気そうに登場され講義をはじめられた。現在の台湾情勢を読み解くためのキーとしてハンチントン教授の「第三の民主化」を基に講義をされた。ご自身が台湾を民主化するに当たって何をされたか、そして今の民主台湾に起きている危機と、今必要なことをご指摘された。

「判断力」「道徳力」「超越・克服する力」を持ち、心と心の絆を持っての日台交流の提言。そして、馬総統の政治家としての能力を非難されたり、「市長はお母さんが向いている」というお話など、哲人政治家・李登輝としてのお話がふんだんになされ、一同そのお話に引き込まれ、圧倒された。

一人一人に卒業証書を渡された後は笑顔でお帰りとなられた。
午後からは、黄天麟先生による「日・台・中の経済発展~その軌跡と奇跡~」と馬薩道輝先生による「台湾原住民の歴史」が行われた

黄先生…日・台・中の経済発展には「通貨の切り下げ」「輸出ドライブ型経済」など共通点があり、なぜ経済発展したかを具体的にお話された。また、環太平洋経済圏の建設やや台・中共同市場を阻止することを提言された。

馬薩先生…原住民の歩んできた歴史と日本との関わりを説明された後、原住民の現状をお話になる。原住民の収入は平均年収の半分であり、半数が貧困状態で多くの負債を抱えていると報告された。その解決として国に奪われた土地を取り戻す運動をしているとのことである。

夜は研修団に参加されている丘博文先生主催の夕食会が行われ、これまでの講義内容や台湾情勢、お互いの話などを話し、研修団の親睦がさらに深まった。

【第四日目】最後の野外見学として総統府へ。日本の歴代総督の写真が外されたり、解説員の説明が以前に比べて国民党政権に対して慮ったものとなり「第三の民主化」を実感させられた。その総統府の周りでは、台湾独立建国連盟の車や独立派の人々が反馬英九をアピールしながら練り歩いているので我々も「台湾加油!」と声援を送る(聞くところによると後日捕まった人がいるらしい)。

SONY DSC総統府から台湾独立建国連盟へ移動し、最後の講義、黄昭堂先生の「台湾の安全保障」を受ける。台湾の安全保障とはアジア・日本の安全保障でもあると指摘される。現在メディア・情報戦等が行われており、台湾が防衛するための基本的な武器として「国家意識の形成」が必要であるお話になられた。他にも陳雲林と会見を行う馬総統が会見場所から晴天白日旗を外すつもりであるといったように様々な情報を披露してくださり、昼食会にもご参加してくださった(なんと近くに御用があった許世楷前駐日大使がお顔を出される嬉しいハプニングもあった)。

今回の李登輝学校は、李登輝先生から始まる自由・民主・台湾化の流れの中において、国民党政権になったことで何が起きたのか、台湾人が何を考えたのか、そして何が起こるかを考えるにあたって、重要なヒントを教えてくれたのではないかと思う。そして日台の交流・共栄こそ双方の国益に適うことであることを再認識した。

活動案内

活動案内

PAGETOP
Copyright © 日本李登輝友の会 All Rights Reserved.