第22回 日本李登輝学校台湾研修団

平成26年11月7日~11日 29名(岡真樹子団長)

映画「KANO」の足跡を訪ねて

李久椎(青年部部員・マルチリンガル語学講師)

第一日・1月7日(金) 総勢29名が参加した第22回 日本李登輝学校台湾研修団(略称・李登輝学校研修団。岡真樹子団長・竹石淳子副団長)が去る11月7日より11日まで台湾で行われ、参加者の一人ひとりにとって誠に生涯忘れがたい研修となったようです。

全国から集まった団員が李登輝基金会に着くとすぐ始業式に臨み、王燕軍秘書長によるご挨拶と歓迎の言葉、そして李登輝基金会の活動のご紹介を含めてお話しいただいたところから今回の訪問団初日が始まりました。

その後、第一講は蔡焜燦先生(李登輝民主協会名誉会長)による「日本の皆さんへー老台北放談」と題した講義 を拝聴。日本各地の気象や作柄、国民のことを常に気にかけられていた昭和天皇のエピソードや、蔡先生ご自身の陛下への思いなどを話されました。また、岐阜陸軍航空整備学校奈良教育隊の思い出や、終戦直後の日本の食糧事情の惨状などのお話の後に、明治天皇の「新高の山のふもとの民草も茂りまさると聞くぞうれしき」など御製三首、そして明治節・紀元節・天長節の歌詞を滔々と諳んじて聴かせていただき、本日の講話を終えられました。

講義終了後、ホテル近くにある夕食会会場のレストラン「海中天」へ徒歩で移動。岡団長や竹石副団長の挨拶の後、美味しい台湾料理に舌鼓を打ちながら、スタッフと参加者同士が懇親。 研修団への参加意識を急速に深める貴重な時間となりました。

第二日・1月3日(土) 午前9時、蔡焜燦先生の実弟でもある蔡焜霖先生による第二講は「世界一となった台湾野球少年団」の講義。ご自身の生い立ちから、共産党員参加者のいる読書会に参加しただけで逮捕され、緑島へ投獄された冤罪の体験談にじっくりと耳を傾けました。蔡先生は釈放後、様々な出版編集を経験した後に「王子雑誌半月刊」を創刊。また、極貧の紅葉少年野球チームが資金難のため台北での決勝大会に出られないことを知り、そこで交通や宿泊・食事など費用の面で惜しまぬ援助を行ったそうです。このチームが国内チャンピオンとなり、続いて世界チャンピオンになる奇跡を起こし、台湾全土に野球ブームをもたらしたというお話には感動を覚えました。

午後は、第三講として戦後台湾メディアの生き字引と言ってもいい駱文森先生による「駱文森が見た台湾メディア史」の講義。これまで朝日新聞、首都早報、自由時報で記者をつとめた駱先生は、清国時代の「邸報」に始まる台湾メディアの歩みと、現在の台湾の主要四大紙と30社ほどのケーブルテレビ(チャンネル数は約120)が地上波放送に代わってテレビ産業の重要な地位を占めるに至ったという、一連の台湾におけるメディア史について話されました。

次の第四講は、外交官出身の林尊賢先生による「外交官が見た台湾・日本・韓国」の講義。林先生は、日本や韓国など数々の国で駐在経験を持つ方です。林先生から見た日本は、とても調和された美が見られる素晴らしい国で、日本時代に受けた諸々の教育のおかげで、仕事や人間関係など、人生において大変役に立っていると話されました。また、韓国と台湾の国交が断絶してから7年半もソウルに駐在されていたそうで、韓国は北朝鮮と対峙している関係で殺伐としていて、中国人よりも中国人的な面と少し日本人的な面もあると指摘されました。優しく優秀な人もいる一面、気性の激しい面を持っているので理解しにくいなど、うなづきながらお聞きしました。

講義終了後はMRTに乗車、台北市内の映画館で第五講として映画「KANO」の鑑賞です。映画館への途中、林森公園にある第7代台湾総督・明石元二郎の墓所跡地に建立されている鳥居を訪ね、杉本拓朗・青年部長が解説して下さいました。

映画は、物語が織り成す感動の渦に吸い込まれていくかのように、途中何度も会場のそこかしこからすすり泣きが聞こえて来るほどで、多くの人が感動しながら観ていた ようです。来年1月24日に日本での公開が予定されていますので、今から楽しみでなりません。映画鑑賞後は王秘書長ご招待の夕食会会場の「平湖海鮮餐廳 」へ。李登輝 先生の9月ご来日に同行した郭昆文・副秘書長、洪浦釗・秘書らも参加。また台北在住の著名なジャーナリスト・迫田勝敏氏をゲストに迎え、統一地方選挙についてのお話を聴きながら、楽しい一夜を過ごしました。

第三日・11月9日(日) この日は、台湾高速鉄道 (台湾新幹線)で嘉義まで南下し、野外見学第一目的地の烏山頭ダムへ。ここで顔雲鴻さんらと合流、まず八田與一技師の銅像と八田夫妻のお墓がある場所へ行き献花。次に、ダム建設で殉職した日台の人々の名が刻まれている殉工碑へ。たまたまそこで日本人高校生とそのホストファミリーに出くわして歓談となり、一緒に記念写真まで撮りました。その後は八田技師記念室、八田與一記念公園、木彫りの八田夫妻像が祀られている官田慈聖宮へお参りしました。

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嘉義の宿泊先で夕食会会場となった 耐斯王子大飯店に、名将・近藤兵太郎監督の教え子の蔡清輝先生を迎え、嘉義農林学校野球部時代の逸話などをお聞きしながらの夕食会となりました。

20141107-03第四日・11月10日(月) この日の朝、嘉義農林後身の国立嘉義大学に到着すると、すでに蔡清輝先生が「KANO」のユニフォーム姿で待っていらっしゃいました。嘉義農林こと「嘉農」は近藤監督の下、1931(昭和6)年に第17回全国中等学校優勝野球大会に初出場し、決勝戦に進出して準優勝。その後も春一回、夏四回、甲子園に出場する名門校として有名になりました。

キャンパス内には甲子園準優勝を記念したモニュメントがあり、玄関ホールの一面に広がっている展示品を見ながら、蔡先生による学校や野球部の詳しい歴史をお聞きし、特別展示室などを回りました。大学が振替休日であるにもかかわらず、出勤していただいた職員の黄春益氏が校長代理として挨拶し、私たちを歓待して下さいました。

続いて別室にて、蔡先生から日本時代と戦後の学校の統廃合、野球部苦難の時代や再び復活したお話をお聞きし、真剣な質疑応答もありました。次に嘉義市立棒球場へ。グランドを 一望できるスタンドに特別に入らせていただきました。見学後、すぐ近くの旧嘉義神社を散策。ここに広がる景色を眺めながら、この球場を含めて、かつて嘉農の球児たちが辺りをランニン グで駆け回り、懸命に練習する様子を想像し、その時代に思いを馳せながら その場所を後にしました。

昼食は、蔡清輝先生とご一緒に嘉義市内の有名な「噴水鶏肉飯」へ。このとき突然、嘉義市長の黄敏恵さんがお見えになりました。たまたま黄市長は 尾道市の市長一行と同じレストランでお会いしていた後のようでしたが、大学の大先輩でもある蔡先生や私たちがいることを聞きつけ、わざわざご挨拶に顔を出されたそうです。黄市長からは嘉農にちなんだ「永遠不放棄(永遠に諦めない)」というメッセージ入りのタオルと嘉義名物のお菓子をいただき恐縮しました。その後、檜意森活村で映画「KANO」で近藤監督宅となった撮影現場を見学、それから台北に戻りました。

第五日・11月11日(火) 研修最終日となり、ようやく李登輝先生に会える日。さらに予期せぬ嬉しい出来事として、急遽、李登輝先生のご自宅近くにあるゴルフ場のクラブハウスにて最終講義を受けることになり ました。

李登輝先生は「李登輝の政治哲学」 と題しての特別講義。後藤新平の功績について語り、歴史、政治、選挙、経 済、就業問題、結婚や人口減少問題、エネルギー資源問題と多岐にわたって言及されました。台湾は民主自由と公民意識を持って、選挙でも党にこだわり過ぎないよう、人民のためによく尽くす人を選出するように、そして台湾の本土化としてそろそろ外来政権を終わらせ「新時代の台湾人とは何か」を考え、台湾を救うにはまず台湾の存在を確立することが肝要で、民主改革を要求する民意こそが「新台湾人」の力だと強調されました。

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また、夏目激石が理想とした「則天去私」についても言及、参加者全員を鼓舞する力強くも暖かい、学ぶ者の心を打つ熱弁を振るって下さったことに感謝しています。嬉しいことに、講義終了後は別室にて李登輝先生を囲んだ昼食会が催されました。

私も台湾人の新日本語世代として、日台関係のさらなる発展に尽力し、私たちに託された役割を果たしたいと強く決意するよい機会となりました。数々の思い出や予期せぬ婚しい出来事にも恵まれ、多くの学びと経験を得た実り多い研修となりました。李登輝先生をはじめ講師の先生方からためになる貴重なお話をしていただき感謝の気持ちでいっぱいです。李登輝基金会や事務局の皆様に大変お世話になりました。心から御礼申し上げます。

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