李登輝総統の台湾出身戦歿者に寄せる思いは深い。大東亜戦争で実兄の李登欽氏(日本名:岩里武則)がマニラで戦死していることや、自分自身が学徒出陣で陸軍に入隊していることとも深く関わっているのかもしれない。

総統在任中の1990年11月には、台中市の宝覚禅寺に台湾台日海交会など有志が建立した台湾出身戦没者の慰霊碑に「霊安故郷(御霊、故郷に安んず)」と揮毫し、総統退任後の2006年には烏来の高砂義勇隊慰霊碑にやはり「霊安故郷」と揮毫し、その慰霊碑移転式に故黄昭堂・台湾独立建国聯盟主席などと参列。

2007年のご来日の折には実兄が祀られている靖國神社に初めて参拝し、2008年の沖縄ご訪問では平和の礎や平和祈念堂に参拝されている。

今回の沖縄ご訪問では朝日新聞や産経新聞、共同通信、台湾TV局の民視、地元の八重山日報など多くのメディアが取材に訪れた。その中に「週刊新潮」でグラビア撮影を担当するカメラマンの姿もあり、その1枚は2ページ見開きで大きく掲載された。

到着した那覇空港で、あたかも日の丸に手を伸ばされているかのような車椅子に乗った李総統。このインパクト十分の写真とともに、グサリと胸をえぐられるような短い一文が添えられている。タイトルは「95歳の元総統とHINOMARU」。


沖縄慰霊の日で来日した「李登輝」 95歳の車椅子姿

【週刊新潮:2018年7月5日号(6月28日発売)】

風にたなびくあの旗に 古(いにしえ)よりはためく旗に 意味もなく懐かしくなり こみ上げるこの気持ちはなに――♪

日本の人気バンドRADWIMPSの新曲「HINOMARU」は、発表直後から「歌詞が軍歌のよう」と物議を醸(かも)した。だが、そう批判する人々には、自ら日の丸を背負ってホンモノの軍歌を歌った経験があるのだろうか。

6月22日、那覇空港に降り立った台湾の元総統・李登輝(りとうき)氏。95歳の高齢を押しての来日は、糸満市における戦没者慰霊祭への出席が目的だった。

「23日は『沖縄慰霊の日』で、元総統は翌24日、台湾出身日本兵の慰霊祭に参加しました。先の大戦では台湾から出征した人も多く、戦死者は3万人に上るといわれます」(地元紙記者)

氏自身、京都帝国大学在学中に学徒出陣し、日本陸軍の少尉として終戦を迎えている。

「当初は慰霊碑の揮毫(きごう)のみで、訪日の予定はなかった。でも本人が“沖縄なら行けるかな”と。直前まで入院していたものの、病室で“台湾人の慰霊は大事だ”と語る表情には鬼気迫るものがありました。誰も“やめましょう”とは言えなかった」(李登輝氏側近)

屈強な護衛に車椅子を押される姿は、往年よりずいぶん痩せて見える。それでも、晩餐会では乾杯のワインにも口をつけ、マイクを握ると天敵たる中国の覇権主義を激しく非難。台湾を“アジア四小竜”の一角に押し上げた老政治家の、衰えぬ気迫を見せつけた。

そんな彼も、スピーチ中に数分ほど涙声になっていたという。

「感極まったのでしょう。李登輝さんの実兄も、終戦の半年前にフィリピンで戦死しています。感傷的になるのは決まって日本の話をする時。“22歳まで私は日本人だった”と公言するほど、思い入れが強いんです」(後援者の一人)

「中華民国」の元国家元首を迎える場に、青天白日旗はひとつもなかった。海の向こう、台湾人老兵の胸中に今もたなびく、HINOMARU――。