【産経新聞「正論」】「日本精神」を体現した蔡焜燦氏逝く
「大和魂」でセイコー電子台湾邦人をグローバル企業に育て上げた氏の精神に学べ 

拓殖大学学事顧問・渡辺利夫

≪われわれが衛るべきものとは≫

2016年11 月 26 日(土)、役員・支部長訪台団として訪台した際、台北市内の国賓大飯店にて(杉本拓朗氏撮影)

平成27年9月、集団的自衛権の行使を容認する平和安全法制が成立した。きわめて限定的な行使容認だが、半歩の前進ではあろう。

しかし、成立にいたるまでのジャーナリズムを巻き込んだ激しい論戦を眺めていて、私はひどくむなしい思いを拭うことができなかった。集団的自衛権を行使して一体われわれは何を衛(まも)ろうというのか、この肝心要の一点が議論の対象となることがまるでなかったからである。

「何を衛るか」を論じず「いかに衛るのか」のみを、あれほどまでに激しく論じ合う姿は異常である。当事者に問えば、衛るものは国民の生命と財産だと答えるに決まっている。しかし、国民の生命と財産を衛るというのは国家存立の最低限の条件であって、これでは答えにならない。

われわれが衛るべき日本とは何か、少なくとも知識人といわれる者がこの議論をもって自衛権論争に加わったことを私は寡聞にして知らない。何と著しい思想の劣化か。

平和安全法制成立の1年後の8月8日、「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」のビデオメッセージが発せられた。一系の天子が世を継いで連綿とつづくこと、この事実こそが日本民族の永世の象徴なのである。

「国体」のことを深く思い見よという天の声が、天皇陛下のメッセージを伝える部屋の向こうの方から響いているように感じられた。

政府は陛下の生前退位に関する有識者会議なるものを組織し、はやくも平成29年6月16日に「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」を公布した。死せる者の心の声に耳を傾けることもなく、現世にたまたま生きて在る者のみによる、拙速というべき特別立法であった。日本はいつからこんな「その日暮らし」の国になってしまったのか。

≪統治時代に育まれた精神を体現≫

7月17日、台湾歌壇代表の蔡焜燦氏が逝去された。享年90。縁あって蔡氏と長らく交誼を得てきた私は、日本人の「原型」をいつも蔡氏の言説や立ち居振る舞いの中にみてきた。「日本精神(リップンチェンシン)」とは、日本の統治時代に始まり現在の台湾になお残る言葉である。勤勉で正直に生き約束は守る、といった語調であろうか。日本の統治時代に育まれたこの精神を体現した丈夫(ますらお)が蔡氏である。

 「日本語のすでに滅びし国に住み短歌(うた)詠み継げる人や幾人(いくたり)」

 「万葉の流れこの地に留めむと命の限り短歌詠み行かむ」

蔡氏は台湾歌壇の創始者・呉建堂氏のこの歌こそ、台湾の日本語世代の真情だと説く。東日本大震災時の蔡氏の和歌はこうである。

 「国難の地震(なゐ)と津波に襲はるる祖国護れと若人励ます」

この祖国は日本か台湾か、若人は日本人か台湾人か。蔡氏はいずれをも暗示しているのであろう。

蔡氏は日本統治時代の台湾に生まれ育った。昭和17年陸軍特別志願兵制度が施行され台湾人にも軍人への門戸が開かれるや、これに応募、少年航空兵に合格、昭和20年には岐阜陸軍航空整備学校奈良教育隊に入隊。終戦後、帰国した蔡氏をまっていたのは国民党の圧政に苦しむ台湾であった。

白色テロが横行し、3万とも5万ともいわれる無辜(むこ)の台湾人が国民党軍によって逮捕、処刑された。蔡氏は難を逃れたが実弟は10年の懲役刑を科された。日本統治時代の痕跡を悉(ことごと)く抹消し、日本人を「東洋鬼」「小日本」と蔑称する反日宣伝・教育の時代でもあった。蔡氏は苦難の時代にありながらもビジネスに活路を求め、セイコー電子台湾法人の董事長、次いで半導体のデザイン会社を創設、経営理念を「日本精神」「大和魂」におき、幾多の艱難(かんなん)を乗り越えて同社をグローバル企業に育てあげた立志伝中の人物である。

蔡氏に接していると、日本人が日本人であることを証す精神の方位、戦後の日本人が忘れてきた気概の在処(ありか)に気づかされて、はっとさせられることがしばしばある。

≪刻まれた強靱さを継承したい≫

蔡氏はこう言う。今日の台湾の近代化の基盤となったものが日本統治時代の50年にあったことは、心ある台湾人なら全てが知っている。知らないのは戦後の偏狭な価値観に蝕(むしば)まれた日本人ではないのか。日本は台湾に謝罪する必要などない。謝罪すべきは親日・台湾を切り捨てた戦後日本の外交姿勢の一点のみにある。謝罪などではなく隣の巨大な覇権国家と恒常的に闘っている台湾を応援するというのが、日本人に固有な「侠」の精神ではないのか。

戦後もすでに70年余、日本時代に人格形成期を送った人々が次々と世を去っていく。日本人は自らの国体に無関心である一方、かつての海外領土であった台湾の老体の中に日本の国体が強靱(きょうじん)にも脈を打っている。時代はあっけなく過ぎ去るものだが、蔡氏の胸に刻み込まれた時代精神だけは継承していきたい。蔡氏を哀悼しつつ台湾に向けて私は深く頭を垂れる。