【黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」:2017年7月18日(第192号)】

蔡焜燦氏は、日本と台湾という二つの祖国を持つことを誇りにしていた人物です。司馬遼太郎の『街道をゆく 台湾紀行』のなかに、「老台北」という愛称で登場したことで有名であり、半導体事業で実業家としても成功を収め、日台交流促進のために日本語で短歌を詠む台湾の愛好会「台湾歌壇」代表も務め、その功績が認められ2014年に旭日双光章を受章した偉大な人物でした。

その蔡焜燦氏がついに90歳で亡くなりました。とにかく日台のために尽くした人でした。自身が起こした企業の董事長を引退してからは、日台交流の場に呼ばれることも多く、声がかかるものすべてに丁寧に対応し、会合のための飲食費をすべて一人で負担することも多くありました。日台交流促進のためには、見返りを求めず献身的に尽くす姿勢。それこそが彼の心に染み込んでいる「日本精神」の実践でした。

私は、以前から彼の調子が悪いことは知っていました。台湾独立建国聯盟日本本部の委員長から、彼の目が悪化しており、片方の目はすでに見えなくなっているといった報告を受けていました。どれだけ病状を知っていても、この夏に台湾へ帰った折にはまた会えると思っていただけに、彼の訃報に触れた際はやはり大きな驚きは隠せませんでした。

以下に産経新聞の報道を一部引用しましょう。

「蔡氏は日本統治時代の1927(昭和2)年、台湾中部・台中市で生まれた。地元の商業学校を卒業後、志願して少年航空兵となり岐阜陸軍航空整備学校奈良教育隊に入隊、日本で終戦を迎えた。帰台後は体育教師などを経て電子機器会社社長を務めるなどした。李登輝元総統と親交が深く、『日本語世代』の代表的存在として日台交流に尽力。自ら親日家を超えた「愛日家」を名乗った。2000(平成12)年に日本で著書『台湾人と日本精神』を出版。日本の台湾統治を肯定的に評価し、『日本人よ胸を張りなさい』と訴えた。」

かつて李登輝氏と話をしていた際、「私よりも蔡焜燦に聞くべきだ。彼のほうが私よりも頭がいい」と言っていたことがありました。

戦中、戦後と蔡焜燦氏を支えてきたのは「日本精神」でした。彼は心から「日本精神」を敬っており、愛情を込めて「ジップンチンシン」と台湾語読みで言っていました。この言い方は、台湾のみならず台湾を知る日本人の間でも流行したものです。

では、日本精神とはいったいどんなものなのでしょうか。それは、新渡戸稲造の言う「武士道」だけではありません。江戸時代までに熟成した日本文化であり、開国維新後の明治人によって、いっそう開花された精神でした。

それが文明開化の波に乗り、台湾という南の島でも開花したのです。未知への好奇心、異域探険への冒険心、厳密にして徹底している科学探究心、土地を愛する心。日本精神には、これらすべてが含まれています。

そして、その極致として、護国の神となって土地に骨を埋めることを台湾人に教えたのが日本人でした。近代台湾をつくった日本人の功労者のなかで、まず挙げなければならないのは学校教師、医師と警察です。また、社会建設に貢献したのは技師でした。

そもそも、日本統治時代以前の台湾は、土匪が支配する社会であったため、土匪の武装勢力を平定して警察が社会治安維持の主力となって、はじめて台湾に法治社会の基礎を築くことができました。

20世紀初頭の人類最大の夢は、夜警国家の樹立でした。また、台湾は識字者の少ない地でもあり、日本領台以前に学齢期学童の就学率は2%以下でした。しかし、日本による近代実学教育によって、台湾人は近代国家の国民として成長することができたのです。

日本統治時代の台湾における学校数や教育内容は、日本国内のそれと比べても決して遜色ないものでした。戦前の台湾には4つの専門学校があり、教師は185名、生徒は841名でした。台北帝大などは、教師348名、生徒283名であり、学生よりも教師の数が多く、レベルの高い行き届いた教育がなされていたのです。

今では「植民地支配者」や「侵略者」と見なされている戦前の日本人は、じつに立派でした。ことに明治人は新生日本、国民国家の国造りを目指して「お国のため」一筋、進取の精神に富み、明治人の気骨を持っていました。しかし、大正デモクラシー以後の大正、昭和、平成時代になると、日本人はだんだんと勇気を失い、臆病になり、無責任になりました。そして戦後の日本人は、とうとういじめるかいじめられるか、どちらかの人間のみに堕してしまいました。

台湾人は「日本植民地時代を美化する」といわれるほど戦前の日本人を敬愛していますが、戦後の日本人には台湾で尊敬される人はあまりいません。戦後の日本人には戦前の日本人を批判する資格はないのです。

歪められ、貶められ続けてきた日本の過去を修正し、先人がいかにすばらしい歴史を築いてきたかを認識することが、誇りと気概に満ちた日本人となる第一歩であり、それが、日本統治時代を共に生き抜いてきた台湾人の誇りでもあるのです。

蔡焜燦氏は、李登輝氏と並んで、そんな台湾人を代表する人物の一人でした。尊敬し、敬愛すべき我らが兄弟。心よりご冥福をお祈り致します。蔡焜燦の名前は、日台史上永遠に語り継がれていきます。