つい最近まで、「愛国心」や「お国のため」という言葉は「大東亜戦争」とともにタブー視されていたような気がする。いわゆる東京裁判史観や自虐史観に対して、日本人としての誇りを取り戻そうという声が澎湃とわきあがってきたことで、そのタブーも溶解しはじめた。

日本人としての誇りや矜持を持つことの重要性は、台湾人としてのアイデンティティを強め始めた台湾を見るまでもない。

今回の蓮舫議員の二重国籍問題では、制度としての国籍に注目が行きがちだったが、多くの人々は蓮舫議員の日本人としての愛国心やアイデンティティに関心があったように思われる。政治家として「お国のために」尽くすことができるのか、と問うていたように感じられた。

自らも台湾人の祖父を持つクォーターだという九州大大学院准教授の施光恒(せ・てるひさ)氏が「蓮舫氏自身、また民進党や共産党などの野党政治家が、ナショナル・アイデンティティー(日本への帰属意識)の大切さをほとんど認識していない」ことが深刻な問題だと剔抉(てっけつ)している。蓮舫議員の二重国籍問題の核心を衝いているのではないだろうか。

一方で、安倍晋三首相は『日本を語る』『美しい国へ』『日本の決意』などの著書のタイトルに現れているように、日本や日本人を強調し、占領軍やリベラル派によって敷かれた「戦後レジーム」からの脱却を主張してきた。それが多くの日本人に支持されている。日本人ばかりか、台湾の李登輝元総統なども絶賛されている。

蓮舫議員が『日本が一番 二番ではダメなんです』というタイトルの本を出版するかどうかは皆目わからないが、国家への帰属意識や愛国心を軽視するように受け取られているとしたら、政権交代など夢のまた夢であることは火を見るよりも明らかだろう。


「日本帰属意識が希薄な野党政治家」「脆弱な戦後日本のリベラル派」蓮舫氏の二重国籍で露呈

【産経新聞:2016年9月28日「国家を哲学する 施光恒の一筆両断」】

蓮舫氏の二重国籍問題について私が一番深刻だと感じたのは、蓮舫氏自身、また民進党や共産党などの野党政治家が、ナショナル・アイデンティティー(日本への帰属意識)の大切さをほとんど認識していないことです。

今回の騒動を見る限り、蓮舫氏が日本に強い帰属意識を持ち、専ら日本の国益のために働く存在なのかどうか疑わしく感じざるを得ません。蓮舫氏は、国籍を取得し、法的には日本人になった後も「私は帰化しているので国籍は日本人だが、アイデンティティーは『台湾人』だ」(『週刊ポスト』2000年10月27日号)などと語っています。蓮舫氏は、政治家となって以降、日本以外を利するように働いたことはないと主張しています。それでも、自身のなかでナショナル・アイデンティティーがどのような変化をたどり、現在、いかなる状態にあるのか国民にしっかりと説明する責任があるはずです。

私がこのように述べれば、「右翼的だ」「排外主義だ」と反発する向きもあるかもしれません。

だが、そうではないのです。民主政治の質を高めるためにも、政治家が確固たる愛国心の持ち主だと示すことは大切なのです。蓮舫氏のように野党第一党の代表にとって、この点はとりわけ重要です。野党の仕事は、時の政権や政策の批判です。その欠陥を指摘し、国民に広く知らしめ、より真っ当な政治へと導くことです。国民一般が野党の批判に耳を傾け、それを真剣に受け止めるようにするには、批判は、外国勢力の影響や党利党略、偏ったイデオロギーなどからではなく、日本という国家や国民の将来を一心に慮る気持ちから出ているのだと国民一般が確信できるようにしなければなりません。多くの国民が、野党も日本を愛し、国家・国民の行末を真剣に考えているのだと信じるようにならない限り、野党の政権・政策批判は国民一般には届きません。これはちょうど、自分自身のことを本当に思ってくれてのことだという確信を持てない限り、人は他者からの批判や忠告をあまり傾聴する気にならないのと同様です。

戦後日本の野党勢力は、国家への帰属意識や愛国心を軽視する傾向が顕著でした。蓮舫氏の今回の騒動も、日本維新の会は例外ですが、民進党などの野党陣営はあまり問題視していません。例えば、民進党の岡田克也前代表は「お父さんが台湾出身で、女性であることは多様性の象徴であり、民進党代表としてふさわしい」と的外れな発言をしつつ、蓮舫氏を擁護しました。国籍やそれが象徴する国家への帰属意識、愛国心の有無などの重要性をまったく理解していないことの表れでしょう。

私は、ここに、戦後日本の左派(リベラル派)の脆弱性を見いだします。民主党が、政権を担ったにもかかわらず、すっかり国民の信頼を失ってしまった大きな原因もこの点にあるでしょう。

二重国籍問題に対する野党の対応を見る限り、彼らの多くは相変わらず愛国心や帰属意識を軽視し、国家という枠組み自体に疑念を抱いているようです。これでは、野党陣営の批判が国民一般に真剣に受け止められることは難しく、その結果、日本の民主政治の機能不全も続くでしょう。

「グローバル化」に踊らされ、格差社会化が進み、国民生活の基盤が揺らぎつつある日本にいま必要なのは、確固たる愛国心や国家への帰属意識を備え、国民に信頼される健全な左派政党(福祉重視の政党)のはずです。残念ながら民進党には期待できないようです。

【プロフィール】施光恒(せ・てるひさ) 昭和46年、福岡市生まれ、福岡県立修猷館高校、慶應義塾大法学部卒。英シェフィールド大修士課程修了。慶應義塾大大学院法学研究科博士課程修了。法学博士。現在は九州大大学院比較社会文化研究院准教授。専攻は政治哲学、政治理論。近著に『英語化は愚民化』(集英社新書)。