2013年6月19日、緑島政治犯収容所跡を視察に訪れた李登輝総統と話す蔡焜霖氏(左)

「人間学」を探究する月刊誌としてファンも多い月刊『致知』の9月号(8月1日発売)に、蔡焜霖氏のインタビュー記事『深い絆で結ばれた日本と台湾』が掲載されている。

高校時代に読書会に参加したことによって無実の罪を着せられ、緑島での政治犯生活を送った蔡焜霖氏は、戦後に台東の少年野球チーム「紅葉少年棒球隊」が世界一になった際の、縁の下の力持ちとしても知られている。

1968年8月、当時児童月刊誌『王子(プリンス)』の発行人として忙しくしていた蔡氏は、新聞に掲載された「台東の紅葉少年野球チームが資金不足のため、台北で開催される日本の和歌山県チームとの試合に出場できない」という記事を目にする。

「お金がないことで子供たちのチャンスを摘みとってはならない」と自ら会社のマイクロバスを運転して台東へ子供たちを迎えに行き、宿舎や食事も提供したという。おかげで紅葉チームはその年にリトルリーグ世界選手権で世界一に輝いた和歌山県チームに勝利。試合はテレビ中継されたこともあって子供たちは一躍ヒーローとなったとか。

蔡氏は戦後、緑島帰りという「前科」で、就職の際にも様々な苦労をされたと述べているが、幸い理解のある社長と出会い、長らく台湾の広告界で活躍。リタイヤ後は、台北市北部の景美にある人権博物館の整備に協力するなど、白色テロの理不尽さを後世に伝える活動を続けられている。

また、インタビューでは触れられていないが、蔡氏は「老台北」蔡焜燦氏の実弟だ。

◆月刊『致知』9月号