台湾のファミリーマート全店に掲げられた熊本への寄付を促す貼紙(新北市内で)

東洋経済オンラインに、元朝日新聞台北支局長でジャーナリストの野嶋剛氏が執筆した「熊本地震の支援に台湾がいち早く動いた事情」が掲載されました。

下記にご紹介します。


熊本地震の支援に台湾がいち早く動いた事情
「震災外交」深まる日台、苦々しさ抱える中国

熊本県での一連の地震を受け、海外でも支援の動きが広まっている。なかでも最も素早く、かつ手厚い支援の動きを見せたのは台湾だ。いま日本と台湾は、不幸中の幸いと言うべきか、地震への支援がつなぐ「恩返しの連鎖」とも言える状態に入っている。

今回台湾では、14日の最初の地震の直後、次期総統である民進党の蔡英文が「日本の友人たちみんなが無事であることを願っています」と、現職の総統である馬英九氏よりも早いタイミングで真っ先に声を上げた。政権交代まであと1カ月となったこの時期、現職総統より素早くアクションを取ったことには、あるいは政治的な考慮も働いたのかもしれない。

有力首長が次々と給与の寄付を表明
その後、台湾の馬英九政権は1000万円の支援を表明したが、ネットなどから「少な過ぎる」との声が上がり、16日の2度目の地震の被害拡大を受けて、支援額を6400万円へと大幅に増額することになった。

一方、民進党も1000万円の支援を党費から支出することを決定。また民進党系の代表的首長である陳菊・高雄市長、頼清徳・台南市長、林佳龍・台中市長、鄭文燦・桃園市長が、それぞれ日本との交流があるなどの理由から、いずれも1カ月分の給与を寄付することを表明している。

無党派の台北市長・柯文哲も、人気の高い同氏のツイッターとFacebook(日本語を使用)で、日本への見舞いをいち早く表明した。

こうした台湾の素早い支援に対して、日本ではネット上で「台湾は友達」「感動した」など肯定的コメントが相次いでいる。

この一連の動きは、今年2月に台湾・台南で起きた地震によるビル倒壊などの被害に対して、日本側が官民をあげ、台湾の人々が驚くほど手厚い支援を行ったことと、当然無関係ではない。

しかし、この日本側の行動の背後には、2011年の東日本大震災の際、台湾の民衆が小額の街頭募金を中心に200億円という巨額の寄付を集め、日本を助けてくれた経緯があったことは言うまでもない。

さらにさかのぼると、1999年の台湾大地震発生時には、日本が救援隊を世界に先駆けて派遣し、救援活動で大いに活躍したという経緯があった。つまり、恩返しに対する恩返しがさらに恩返しになるという、言ってみれば「恩返しの連鎖」としか表現できない”震災外交”が、日台間に生まれているのだ。

支援をめぐっても勃発する「一つの中国」問題
中国と台湾との間でも、震災における「友好」関係が生じかけた時期はあった。対中関係改善を掲げた馬英九政権は、2008年に四川で大地震が起きた際、およそ1億円の義援金を拠出し、救助隊も派遣。台湾の企業家からの巨額の寄付も相次ぎ、民間での募金活動もそれなりに活発だった。

しかし中国と台湾は、どちらも相手の主権を認めていないという複雑な関係にあり、必ずしもしっくりといかない部分がある。実際、1999年に日本が台湾の大地震に義援金を送ろうとした時、中国から「台湾は中国の一部なので、支援は我々を先に通すべきだ」と文句がつき、台湾側の強い反発を招いたことがあった。

この「一つの中国」の問題は、日本でも波紋を呼んだことがある。東日本大震災発生時、台湾のほうが中国より手厚い支援をしてくれたにもかかわらず、当時の民主党・野田政権は震災1年の追悼式典で、外交における中台の扱いの慣例から、台湾を指名献花から外し、中国だけに指名献花をしてもらったことがあった。

これは日本世論の厳しい批判を浴び、翌年は台湾を指名献花に招いたが、今度は中国側が出席をボイコットする事態につながってしまった。

日本と台湾との災害時の相互支援は、特に2011年以降、もはや被害の程度や支援のニーズとは別の次元で、相互依存的な側面、互いに関心を抱き合う共同体的な側面が生じている。そのことは、「頑張って台湾を(あるいは日本を)支援しないと、世論からもバッシングを受ける」という、ある種のプレッシャーも政治家に与えている。

内心「苦々しい」ものの、介入できない中国
プレッシャーと言っても、それは決して不健全なものではない。お互いを思いやりたいという世論を政治がきちんと受け止めるという、民主主義が健全に機能した結果と言うことができるのではないか。

日本と台湾の地震のたびに深まる「友好」に対して、中国は、いまのところ明確な態度を表明していない。とはいえ、政府レベルでは内心、苦々しい思いをしていることは想像がつく。

だが、「人道」という大義名分がある以上、こうしたケースで何らかの介入を行うことは、さらに自らを苦境に立たせる可能性がある。それも分かったうえで中国は黙っているはずで、深まる一方の日台間の「震災支援の絆」の前に、当面は打つ手を見つけ出せないだろう。