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現在の台中神社の鳥居。支柱には、遷座される際に刻まれた「臺中神社舊御本殿之址」の文字がある

自由時報の報道などによると、先月6日、林佳龍・台中市長は台中公園を視察し、横倒しになったままの初代台中神社の鳥居を修復することを表明した。修復は約200万元の予算をかけ、今年中に行われる見込み。

横倒しになった鳥居は、日本時代の貴重な資料としてこれまで日本李登輝学校台湾研修団や各ツアーなどで何度も見学に訪れている。鳥居が再び「建立」された際には、本会HPなどでもお知らせしたい。

こうした動きに対し、国民党の立法委員で、来年の総統選挙への出馬も表明している洪秀柱氏は4月19日、自身のフェイスブック上で「林市長の日本統治時代を賛美する修復計画は文化アイデンティティの錯乱」と非難し、20日付の自由時報でも報じられた。

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日本時代の本殿付近の様子。橋や本殿の基礎部分は現存している

台中公園内に横倒しになったままの鳥居は、1911年(明治44年)に創建され、1942年(昭和17年)に遷座されるまでこの地にあった初代台中神社のもの。

戦後は本殿や参道の石灯籠などとともに破壊され、散乱の憂き目にあったが、2000年に台中市政府がバラバラになった6つの石柱を探し集め、不足している二箇所の石柱を新しく作って補充し、案内板も設置された。

林市長の発案どおり鳥居の修復が実現し、台中公園や台中神社の歴史が再検証されることに期待したい。

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参道両脇の石灯籠の台座などは今も台中公園内に残されている。

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公園の湖を挟んで神社を望んだ様子。この画像にはないが、一の鳥居は当時台湾最大のものだった。

【問い合わせがありましたので追記します(2015年4月22日)】台中神社は1911年(明治44年)2月、台中公園敷地内の北側に創建されました。公園内に横倒しになっている鳥居、面影を残す参道や石灯籠の台座、本殿の基礎部分などはこの初代台中神社のものです。台中神社は1942年(昭和17年)11月、台中公園から北東に1.2キロほど離れた場所(現在の雙十路二段)に遷座すると同時に国幣小社に昇格しました。この二代目台中神社は戦後、忠烈祠や孔子廟に改められました。