201504025月15日から開催される第23回・日本李登輝学校台湾研修団では、野外研修の一環として台南に今年1月にオープンしたばかりの奇美博物館を訪問します。

奇美博物館の創設者は、奇美実業の創業者でもある許文龍氏。許氏は1960年、奇美実業を創業、町工場からABS樹脂生産では世界的な規模を誇る大企業にまで育て上げ、台湾における高度経済成長を支えた一人です。

その一方で、日本時代の台湾において、台湾の発展に貢献した日本人の胸像を自ら製作し、ゆかりの地に寄贈している活動でも知られています。

近年、表舞台に出ることは稀でしたが、2013年にまどか出版から上梓された、胸像を製作した日本人の人物伝をまとめた『日本人、台湾を拓く。許文龍氏と胸像の物語』では序文を寄せています。

本書では、台湾におけるインフラ整備や産業開発の基本路線をまとめた後藤新平。糖業振興の方向性を立案した新渡戸稲造。スコットランド人の専門家バルトンと共に近代的な上下水道事業を担い、公衆衛生の向上に貢献した浜野弥四郎。生態系バランスを考えた先進的な環境型ダム、二峰圳を整備した鳥居信平。烏山頭を建設し、嘉南大圳を整備、水利環境を飛躍的に向上させた八田與一。蓬莱米を開発した磯永吉と末永仁。台湾電力社長として電力事業を手がけた松木幹一郎。台湾紅茶を育てた新井耕吉郎。戦時中、日本人最後の台南市長として台南の文化財を守った羽鳥又男という10人の胸像のモデルを取り上げ、その足跡を追います。

下記は台湾日本人会の機関誌『さんご』に掲載された書評です。台南や奇美博物館を訪問する際の教科書がわりに最適です。

『日本人、台湾を拓く 許文龍氏と胸像の物語』まどか出版
2013年01月 ISBN:9784944235636

2002年秋、李登輝元総統は慶応義塾大学の学園祭に招かれ、講演をする予定だったが、最終的にビザは発給されず、訪日は幻となった。行き場を失った、李氏が自ら鉛筆で原稿用紙に書き上げたという講演原稿は、当時の産経新聞支局長の英断で、朝刊一面に全文が掲載されることとなった。

結果的に「新聞に載ったことで、学生さんの前で講演するより、何百万の日本人が知ることになったのは良かった」と李氏は当時を思い出して苦笑する。

講演のテーマとなったのは「日本精神」。嘘をつかず、誠実に、言ったことは必ず実行し、最後まで責任を持つ。そして、その日本精神を具現した代表的人物として李氏が取り上げたのが八田與一だった。八田は、常に旱魃の危険に晒されていた広大な嘉南平野に烏山頭ダムを築き、一躍肥沃な農地に一変させた。10年にわたる工事を指揮した八田を、現在でも台南の人々は「神と崇めている」と李氏は形容する。

台湾に住んでいれば、八田與一の名を一度は耳にしたことがあるだろう。台湾では教科書にも取り上げられているため、小学生でもその名を知っている。しかし、日本国内では知名度がかなり上がってきたとはいえ、その名を知る人の方が少ないと言わざるを得ない。

本書は八田をはじめとし、台湾に多大な貢献をしながらも「忘れられた日本人」を顕彰するため、許文龍氏が自費を投じて作った10体の胸像を軸とした物語である。許文龍氏は一代で世界最大の液晶パネル企業「奇美実業」を築き上げた立志伝中の人物。昭和3年(1928年)生まれの許氏は、自らが経験した日本時代を「確かに差別はあった。理不尽な統治の部分もあった。しかし、もし台湾に日本統治の時代がなかったならば、今の台湾の発展はなかっただろう」と、公平な視点で振り返る。

許氏が制作した胸像は「台湾近代化の父・後藤新平、糖業を発展させた新渡戸稲造、近代水道を敷設した浜野弥四郎、環境型ダムを生んだ鳥居信平、烏山頭ダムを築いた八田與一、蓬莱米を作った磯永吉と末永仁、電力利用を広げた松木幹一郎、台湾紅茶を育てた新井耕吉郎、古都台南を守った羽鳥又男の10名。

後藤や新渡戸など、その名を聞いたことのある人物もいれば、松木や新井などは初めて耳にするほうが多いのではないだろうか。

本書を紐解くと、登場するそれぞれの人物がいかにひたむきに、真摯に自分の仕事を遂行していたかを垣間見ることが出来る。もちろん、彼らの貢献は、当時台湾を領有していた日本という国家のために成されたもので、決して台湾のために努力したのではない、結果的に台湾に貢献しただけに過ぎない、というニヒルな見方も出来るだろう。

しかし、目的はどうであれ、彼らが誠実なる「日本精神」によって与えられた仕事に邁進し、課された責任を実直に全うしたことは間違いのない事実である。

烏山頭ダムは今も台南の地を潤し、糖業は戦後の台湾経済を引っ張った。皆さんが楽しむ台湾ビールや紹興酒にも蓬莱米が使われ、台湾を代表する紅茶「紅玉18号」は近年、台湾の茶葉農家の手で復活した。

あの時代、名も無き日本人が貢献した台湾に、その足跡は今も残っている。縁あって今の台湾と出会った私たちの知るべき物語が本書に詰まっている。