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創立40周年記念特集の歌集を手に挨拶する蔡焜燦・現代表

本会HPでも折にふれて紹介してきた、台湾の日本語族でつくる短歌のつどい「台湾歌壇」が19日、創立から40周年を迎え、台北市内の国賓大飯店で記念式典が開かれた。

国民党独裁統治下の1968年、孤蓬万里の名で知られる呉建堂氏によって設立された当時の名称は「台北歌壇」。白色恐怖が吹き荒ぶ時代に「台湾」の名を冠することなど不可能な時代だった。呉氏の遺志を継いで「台湾歌壇」に正名されたのは2003年のことだという。

会員のほとんどは、日本時代の台湾に生を受けた日本語族で、日本では近頃耳にしなくなった美しい日本語がそこかしこから聞こえてくる。

式典には齊藤正樹・日本交流協会台北事務所長や羅福全・元駐日代表ご夫妻、許文龍氏(元総統府資政、奇美電子創設者)、呉阿明氏(自由時報発行人)ら、錚々たる顔ぶれがお祝いに駆けつけた。

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姿勢もピンとしていれば、歌声もまだまだ若い

祝辞の後、自前の楽団を引き連れて台南から駆け付けた許文龍氏が自らヴィオラを操り、会場に集った100人以上の会員とともに「ふるさと」「赤とんぼ」「二人は若い」「青い山脈」「リンゴの歌」など、懐かしの童謡や流行歌を歌って大いに盛り上がった。会員諸氏が次々と前に出て十八番を披露すると、羅福全氏や創立者の呉建堂氏とは幼馴染だったという呉阿明氏も、蔡代表から指名され檀上で歌声を披露した。

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ヴィオラとギターを披露する許文龍氏。両方とも玄人はだし

あっという間に楽しい歌の1時間は終わり、続いて昼食会。ここでも、会員諸氏がハーモニカを披露したり、許文龍氏がギターで伴奏をつけたりと賑やかな会は止まることを知らず、名残惜しくも盛会裏にお開きとなった。

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台湾でお祝いに出される土でニワトリをかたどった料理。ハンマーで首のところをたたき割り、中で蒸された鶏肉を食すという。代表してハンマーを握ったのは齊藤正樹・交流協会台北事務所長

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