【10月20日・第1日】今回の支部長会議に出席する一行は、午後の飛行機で台北桃園国際空港に集合。台北市内へバスで移動後、台北市公館の公務人力発展中心で、ミュージカル『台湾、啊、台湾』を鑑賞。日本統治時代から始まり、国民党独裁の暗い時代を経て、李登輝前総統による民主自由の時代へ向かう台湾の歩みを歌と踊りに合わせて表現したもの。日本時代の場面では、『月月火水木金金』や『海ゆかば』も歌われ、「日本ではほとんど聞くことのない歌を台湾で聞くとは」と驚きの声があがった。

SONY DSCこのミュージカルの脚本を担当したのは邱碧玉さん。黄昆虎・台湾李登輝友の会会長の奥様である。

観劇後は、バス内で黄昆虎会長から歓迎の挨拶と、台湾語で一部わかりにくかったミュージカルの解説をしていただく。今回、台湾で支部長会議を開催できたのは、台湾李登輝友の会の協力によるところが大きい。厚く感謝申し上げる次第。

【10月21日・第2日】午前7時半、台湾李友会主催の植樹式参加のため新竹に向けバスで出発。植樹式では、黄崑虎総会長、小田村会長、前高雄市長・葉菊蘭さんの挨拶に続き、御三方による植樹のセレモニーが行われた。

SONY DSC植樹式終了後は、新竹県北埔郷南坑郷にある謝森展・台湾日本研究学会名誉理事長が経営する「恵森自然休間農場」へバスで移動、ここで夕食をご馳走になった。「水土一致」を理念とするこの農場の食材を使った夕食は、素朴な中にも心のこもった、他では決して味わえないものであった。

【10月22日・第3日】台湾政府への要望決議を採択
22日午前9時、いよいよ本番の全国支部長会議が圓山大飯店10階の松柏の間を会場に、片木裕一事務局次長の議長により開会。小田村会長の開会の挨拶に始まり、まず永山英樹事務局次長と早川友久事務局員による当会の活動報告、その後に各支部の活動報告が行われたが、会員数拡大の困難性や資金の問題等、悩みは共通していることを再認識する場ともなった。

昼食を挟み、午後二時より今後の活動方針を発表。「正名運動の経過と推進」に関して、外登証問題と地図表記問題について実際の住民票、地図、パスポートのコピー資料を参考に討議された。続いて「正名運動に関する台湾政府への要望決議案」について討議。

伊藤栄三郎・新潟県支部名誉支部長の談話や各支部からの提案もあり、和気藹々とした中にも真剣な討議を経て決議案を採択。その後、台湾と日本のメディア数社が取材する中、記者会見を行って決議文を発表し、無事、第一回全国支部長会議は閉会となった(決議文は下記に掲載)。

SONY DSC李登輝前総統の講話と晩餐会
しばしの休息をはさみ、5時10分過ぎに李登輝前総統が入場、30分間の講話をいただいた。まず先般の訪日に際しての当会の協力、とりわけ東北各支部の歓迎に対して謝意を表明。続いて、国連加盟問題や台湾人意識について触れ、「来年の立法委員と総統選挙の結果いかんによって台湾は10年前に戻る、危急存亡の危機」と訴えられた。

また、日本における住民票表記問題について、支部長会議の論点になったことは素晴らしい着眼点だと評された。さらに、台湾の国内問題である正名・制憲を柱とした社会の安全を「二極化」「格差」「高齢化」の観点から論評し、関連して11月に台北で開催される群策会主催(日本側窓口は当会)の日台有識者による「格差是正と社会保障シンポジウム」への参加を求められた。熱のこもった講話の後、校友会員の伊藤英樹氏、川村純彦・千葉県支部長の質疑にも丁寧に応答された。

その後、別室にて当会主催の答礼晩餐会が行われた。小田村会長や老台北こと蔡焜燦氏の挨拶に続き、いつも周到な段取りで奮闘される台湾李友会執行長の蔡淑美さんに当会から花束を贈呈、黄昭堂先生の軽妙な語り口での乾杯の音頭で開糧となった。

黄昆輝・台湾団結聯盟主席、李登輝学校でおなじみの黄天麟先生や張炎憲先生も参加する晩餐会も佳境に入ったところで、突然「千の風になって」の大合唱が始まった。李登輝先生や曽文惠夫人の歌声を聞けるのもこの会あってのもの、貴重な一場面だった。3時間に及ぶ晩餐会も、黄総会長の挨拶で名残を惜しみつつもお開きとなった。最終日の23日の午前中は自由行動。12時30分に圓山大飯店を後にしたが、黄崑虎総会長や蔡淑美さんも見送に来られ、再開を約した。今回の収穫はなんと言っても初めての全国支部長会議を台湾で開催したことである。今後、台湾側との信頼関係を継続させるためにも有意義な事業であったが、台湾側にとっても益するところ大だったようだ。訪問団員にとっても満足のいく会議であった。


正名運動に関する台湾政府への要望決議

現在、台湾において国家正常化と軌を一にして推進されている「台湾正名運動」は日本が発祥の地であり、二〇〇一年六月、当時、在日台湾同郷会会長だった本会常務理事の林建良氏の提唱によって始まった。

日本では在住外国人に「外国人登録証明書」の随時携帯を義務づけているが、在日台湾人の「外国人登録証明書」の国籍表記は「台湾」ではなく「中国」と記されている。運転免許証も同様である。これは、日本政府による台湾人の尊厳を踏みにじる堪え難い措置として、その改正を訴えたことをもって台湾正名運動の嚆矢とする。

翌年、この運動は台湾でも開始され、やがて燎原の火のごとく広まり、「正名」とは、母なる台湾の国名を「中華民国」から「台湾」に正すことをもって最終目的とすることが広く認識されるようになる。二〇〇三年九月には李登輝前総統の招集により、台北市内に十五万人以上の人々が集まる台湾正名運動の大集会が実現した。日本からも、本会の小田村四郎副会長以下の本会会員をはじめ三百人もの人々が参加した。

その後も正名運動は台湾でさらに盛大となり、台湾人パスポートに「TAIWAN」が付記され、また、中正国際空港の名称も台湾桃園国際空港に改正された。今年に入ってからは中華郵政が台湾郵政、中国造船が台湾国際造船、中国石油が台湾中油となり、その勢いはますます増大している。今年五月のWHOへの正式加盟申請や七月の「台湾」名による国連加盟申請も、その表れと言えよう。

私ども日本李登輝友の会は、新しい日台交流を構築することを目的として平成十四年(二〇〇二年)に創立した日本の団体であるが、翌年開催の第一回総会以来、李登輝前総統を中心に推進される台湾正名運動の理念を紹介するとともに、「台湾人の外国人登録証明書における国籍表記問題の解決」に積極的に取り組み、日本における台湾正名運動を展開している。その後も、「台湾は中国の一部」との誤解を解消するため、引き続き外国人登録証明書や運転免許証、一部の自治体で台湾居住地が「中華人民共和国台湾省」と表記されている日本人住民票における地名表記問題、台湾が中国の一部に組み込まれた地図表記問題などの是正に向けて取り組んでいる。

今般、台北において第一回全国支部長会議を開催し、改めて日本における台湾正名運動の推進を誓うとともに、台湾政府に対して左のことを要望する。

一、日本で大使館機能を果たしている「台北駐日経済文化代表処」の名称を「台湾駐日代表処」へ正名改称すること。

一、「外国人登録証明書や運転免許証の国籍表記」、「日本人住民票の地名表記」、「地図表記」、「台北駐日経済文化代表処の名称」などの問題を早急に解決すべく、日本政府への正式にして速やかなる申し入れを行うこと。

右、決議する。

                                  平成十九年(二〇〇七年)十月二十二日

         日本李登輝友の会