20070707先日、台湾から「台湾歌壇」第7集を丁重な暑中見舞いとともにお送りいただいた。表紙の写真は集集線の電車で、南投県内の樹木におおわれた緑のトンネルを走っている、いかにも台湾らしい風景だ。

この「台湾歌壇」は、『台湾万葉集』の孤蓬万里こと故呉建堂氏が創刊した「台北歌壇」を改題して刊行されている。この第7集(6月20日刊)で通巻144集になるという。

昨秋、本会の阿川弘之名誉会長は、「台湾川柳会」の前会長李琢玉氏(本名李珵璋)が日本で出版した『酔牛』という題の台湾川柳句集の寄贈を受け、「文藝春秋」の巻頭随筆「葭の髄から」で「此の台湾の老齢者社会の中に、大勢ではないかも知れないが、依然相当数の歌人がおり、俳人がおり、それぞれの結社を作つて今尚、日本流短詩創作の活動をつづけてゐる」(11月号)と書いて、台湾に今も歌人や俳人のいることを紹介しつつ、川柳まで作る人たちがいたのかと驚き、『酔牛』を紹介したエッセイだ。

「台湾歌壇」は、鄭埌耀氏が代表を務め、蔡焜燦氏と徐奇芬女史が副代表を務めている。

この第7集に、本会と育桜会が台湾に寄贈を続けている河津桜のことを詠んだ歌が6首掲載されている。作者は黄教子さん。

祖国より贈られ来たる河津さくら紅ほのぼのと花開きをり
日本より嫁ぎきたれる河津さくらこの地の人らの愛受けて咲く
日本と台湾結ぶうるはしき河津さくらの花の橋かも
雨かぜも厳しき日差しも耐えませと河津さくらの若木に手を当つ
歳月を経りゆくほどに台湾の桜となりて満天に咲け
これよりは桜前線台湾を起点となすと思へばうれしも

黄教子さんは日本から台湾に嫁いだ方だ。昨年2月、河津桜の苗木1000本を寄贈した際、育桜会の園田天光光理事長(現名誉会長)は、「桜を贈るのは、娘を嫁にやるような気持ち」と挨拶されたので、それを踏まえて詠まれたのかもしれない。

しかし、一読したときから、河津桜に自分を重ねて詠まれたように思えた。繰り返して読んでも、その思いは強くなるばかりだ。歌とはそういうものだろう。二重にも三重にも思いが込められている。

最後の歌がいい。私どもも「これよりは桜前線台湾を起点となす」べく贈ろうと決意した。台湾の方々と一緒に花見をしたい、満開の桜を眺めながら、ともに酒を酌み交わしたいと思って桜を寄贈している。「雨かぜも厳しき日差しも耐え」しのびつつ、台湾の大地からの養分でしっかり根を張り、「歳月を経りゆくほどに」すっかり「台湾の桜」となった河津桜が「満天に咲」く下で、花見をしたいのである。

日台共栄とは、台湾のそこかしこで日本人と台湾人の老いも若きも、男も女も一緒に花見をする光景となる。それを実現したいのである。

当たり前のことながら、台湾全土に桜が咲けば桜前線は台湾から始まることになる。日本のニュースでそれが流れることも夢見ている。

来年2月、また1000本の河津桜の苗木を寄贈する。最初に贈った河津桜が新竹市内で咲いているので、そこで花見をする予定を立てている。こんな夢にお付き合いいただければ幸いである。

本会メールマガジン『日台共栄』編集長 柚原正敬