11月5日、八田與一技師のふるさと金沢の生家に生誕120年を記念して、「八田技師夫妻を慕い台湾と友好の会」(中川外司事務局長)により石碑が建立され、除幕式が行われました。

式典には八田與一技師の令孫で、去る5月20日に亡くなられた八田晃夫氏令息の八田修一氏や嘉南農田水利会の徐金錫会長、台北駐日経済文化代表処の許世楷代表も参列し、その偉業を偲んだそうです。

昨日の中日新聞記事を転載してご紹介いたします。


八田技師 生誕120年を記念 金沢で除幕式 日台懸け橋 生家に碑

大正から昭和初めにかけ台湾南部に大規模なダムと水路を建設した金沢市出身の技師八田與一氏(1886-1942)の生誕120年を記念する石碑が同市今町の生家の庭に完成し5日、家族や関係者らが除幕式を行って偉業を偲(しの)んだ。

八田氏は旧四高、東京帝大工科大学を卒業後、台湾総督府に勤務。1920年から10年間をかけ、台湾南部の嘉南平原に長さ1273メートルの当時東洋一とされた「烏山頭(うざんとう)ダム」と、総延長1万6千キロの給排水路を建設。同平原は台湾随一の穀倉地帯となり、八田氏は「台湾農業の恩人」としてダムの脇に銅像が建てられ、命日の5月8日には毎年墓前祭が行われている。

生誕地碑は地元有志でつくる「八田技師夫妻を慕い台湾と友好の会」(中川外司事務局長)が建立。除幕式には地元住民らも出席し、山出保市長は「台湾との友好、世界平和に寄与した功績は計り知れない」とたたえた。台湾から来日した嘉南農田水利会の徐金錫会長も「碑の完成を機にさらに交流を深めていきたい。こうした懸け橋がこれからも私たちの心に深く深く残っていくと思う」と語った。

八田氏の孫の八田修一さんは「祖父の死後60年を経ても金沢や台湾の人々がこれほど慕ってくれていることに大変感動しました。家族の一人として、日本と台湾の友好に努力することを碑に誓いたい」とあいさつした。