2006年10月20日付の本会メールマガジン『日台共栄』でお伝えしたように、迷走する台湾高速鉄路の現況について、その模型を作り、鉄道コンベンション会場で走らせた「鉄ちゃん」の片木裕一氏に現況をまとめてもらいましたのでご紹介します。

開業が遅れるこの新幹線問題の原因について、日本と台湾の「文化摩擦」ととらえる向きもあるようですが、問題の原因を「植民地支配」の影響や文化を強調しすぎると、システムや技術あるいは経験値などが最優先されるべき新幹線導入の技術論や経営指針などの問題が置き去りにされてしまうようです。

また、すでに片木氏が本会機関誌『日台共栄』8月号で指摘しているように、果たして台湾高速鉄路会社が日本の新幹線思想を理解した上で導入したのかということも問われています。

■利用者3万8千人見込みに苦笑

台湾高速鉄路(台湾新幹線)の10月末開業まで秒読み段階に入った。台湾高速鉄路会社は開通式には小泉純一郎前総理を招待するなど華々しいデビューを考えているようだが、聞こえてこる話は芳しくない。

まずは台湾高鉄700T型列車が初めて台北駅に入った10月6日、交通部に提出された時刻表草案から。

それによると、営業区間は板橋~左営、片道1日19本の運行とのこと。1時間あたり1本、朝夕は2本程度ということで、これ自体は「まぁ妥当」と思うが、利用者数が38,000人という発表には苦笑せざるを得ない。

なぜなら、台湾高鉄車両の1編成12両の定員は989人、38倍(=全車満席)しても38,000人にはならないからだ。勿論、乗客全員が板橋~左営に乗るとは限らず、例えば板橋から台中までの乗客がいて、そこの席に台中から左営の乗客がいれば、ひとつの席に2人が乗ることになるので見込み乗客が定員を超えることもありうるが……。
それはともかく「自願無座(立席承知乗車券)」を乱発しない限りこの数字は不可能であろう。

では、なぜ38,000人なのか?

台湾高鉄の必要資金は4,607億NT$、この利息支払が年138億NT$(これは昨年9月の開業延期の際発表された数字)とのこと、これを1日換算すると利息が138億NT$÷365日=3781万NT$。これに対して収入は、昨年7月9日のメールマガジン「日台共栄」198号で提示した算式を流用すると38,000人×1,490NT$(全線の料金、最近引き上げられた)×70%(距離利用率)=3963万NT$となる。即ち「なんとか利息だけは支払えますよ」というメッセージな のではないか? 邪推でなければいいのだが……。

■運転士養成の遅れ

次に、運転士の養成遅れが指摘されている。単独で運行できる資格を持つ台湾人運転士は2人とか4人とか信じ難い話も伝わってきているが、そもそも必要な人員はいったい何人なのか?

1時間に5本程度運行するなら、最低50人の運転士が必要となり、突発的な事故やトラブルに有給や病気などを考えると60人は必要である。今回提出された「1時間に1~2本」なら ば15人ぐらいと思うが、それでも全く足りないことは誰の目にも明らかであろう。すでに一部で「試運転期間を延長し、正式開業は10日後」という話も出ているが、とても10日で運転士が急増するとは思えない。

■運行マニュアルの未整備

もうひとつ、運行マニュアルの未整備があげられる。

機関誌「日台共栄」9月号(第14号)でも述べたが、台湾新幹線には日本の新幹線で使用されているATCと、フランスの高速鉄道で使用されている運転監視システムの両方が搭載されている。前者は「基本的な運行はシステムに任せ、運転士にはさらなる安全確認などを求める」のに対し、後者は「運行するのはあくまで人間で、システムがそれをサポートする」ものである。

これは、いずれが優れているかという問題ではなく、「コンセプトの違うシステムをどう使い分けるのか」が問題なのである。現時点で整理ができたという話は聞かない。従って、まだ運行マニュアルはできていないと考えられる。

■酒井亨氏の論考

この台湾高速鉄路の迷走ぶりについては、2006年11月号の「諸君!」に在台湾ジャーナリストの酒井亨氏が「なぜ台湾新幹線は『迷走』するのか」と題して書いていて、日台の「文化的摩擦」が最大の原因、と結論付けている。

酒井氏は大変有能なジャーナリストであり、論稿における経緯や直接的な原因については、幅広い情報網と的確な判断が随所に見られ流石と思う。

また、「文化的摩擦」についてもうなずけるが、その中身については「?」と感じる。氏が「技術的なことはわからない」のと同様、私は台湾に鉄道ファンをはじめ多くの友人がいるものの、台湾に住んでいるわけでも台湾語を話せる訳でもないので、真の「台湾人意識」を理解しているかと言われれば自信はない。

しかし、高速鉄道開発は「システム・技術・経験値」等が最優先されるべき要素であろうことは洋の東西を問わない。JRや日本技術者がこれらを最大限に重視するあまり、混合システムの危険性を指摘した際に「飛行機では混合システムなど日常的だ」と言われたら、専門家ではない私でも「止まることが最大の危険回避の鉄道と、止まったら墜落するが、上下左右に避けられる飛行機を一緒にしないで欲しい」と声を荒げるかもしれない。

このような見解について「傲慢だ、高飛車だ」と言われるなら、それは謙虚に受け止め反省すべきと思うが、ここには「旧宗主国意識」「旧植民地意識」など入る余地はない。
逆に、もし台湾側から「旧宗主国意識があるのではないか」という疑念が出てきているなら、「日本人の安全やシステムに対する強い意識からそのような(傲慢・高飛車)対応になったもので、他意はない」と説明してあげてほしいのである。

■「旧宗主国意識」など入り込む余地のない判断

なお、酒井亨氏の論考について一部補足したい。

JR東海は新幹線の海外輸出には消極的である(昨年8月、葛西敬之・JR東海会長から直接伺った回答。ただし、JR東日本や川崎車両は意見が異なる)。なぜなら新幹線は日本の環境や風土、日本人気質に適合しているから41年も無事故で運行できているのであり、これらが異なればベストとは言えなくなる。特に中国向けは最悪であろう(理由は別の機会に)。

また、酒井氏は在来線と言える台湾鉄路局が意識して「脱日本化を図った」と指摘し、その理由として「車両は英国、韓国、南アフリカなどで作られたものがほとんどで、日本のものを継承していない」と述べている。

確かに西部幹線の電車はそうだが、東部幹線(非電化区間)の特急車両は代々日本製のディーゼル車両であることを付け加えたい。さらに来年導入される「振り子式特急電車」や「新・通勤電車」は日本製である。ここには「旧宗主国意識」「旧植民地意識」などは微塵もない。性能や適性を重んじた鉄道専門家の判断により導入されるものである。

■台湾高速鉄路会社に考えてもらいたいこと

不幸にして台湾高速鉄路会社には「あそこには鉄道の専門家はいないのだよ」9月5日、私が李登輝前総統に直接伺った際の回答)。

前述の「飛行機では混合システムなど日常的だ」は、おそらく大株主のひとつのエバーグループの出向役員の発言ではないだろうか? 台湾高速鉄路会社を支える大株主は建設、航空、金融保険会社などである。残念ながら台湾には私鉄がないので、経験あるのは台湾鉄路局とMRT(と阿里山鉄道)だけだが、関与していない。

しからば、台湾鉄路局と一線を画している台湾高速鉄路会社は何によるべきなのか?JR東海の提案に従うことはそんなに屈辱的なのか? 交渉の場では「傲慢・高飛車」であっても、表向き昨年10月に「全部引き上げた」と言いつつ(いつでも再開できるように)7月まで幹部社員を出向させていたJR東海や、今でも試運転のハンドルを握っているJR西日本のOB運転士を信用できないのか、台湾高速鉄路会社には考えていただきたい。

いいではないか、当初は「台湾新幹線」で。経験を積み、実績を重ねてから新しい技術やシステムを取り入れ「ベストミックス」を模索すれば。最初から経験値のない組み合わせで開業しようとしている「台湾新幹線」は「新幹線」ではない、「台湾高速鉄路(THSR)」である。だから当面私は「台湾新幹線」という名称の使用は控えることにしようと思う。