日本李登輝友の会・青年部長 早川友久

9月6日「台湾正名運動」当日。台湾全島からはもちろんのこと、海外に生活の拠点を持つ台湾人も駆けつけた。そして15万人の参加者の中には、ある者は職を休み、ある者は前夜の最終便に飛び乗って台北入りした日本人およそ200人も含まれている。

「台湾正名運動」とは、文字通り「名を正す」運動である。簡潔に言うと「私たちの祖国は中国ではなく台湾です」と台湾人自らが宣言することだ。現在、台湾の正式な国号は「中華民国」である。「中華航空(チャイナエアライン)」も「中国石油」も「中国文化大学」もみな台湾の企業であり大学である。このような名称を使っている限り、世界中に「台湾は中国である」という誤解を垂れ流しているようなものだ。国名を「中華民国」から「台湾国」へと正名し、台湾のことは台湾人が決めていこうという主旨の運動である。

この正名運動、当初は5月11日に開催される予定だったが、SARS禍により延期を余儀なくされてしまった。ちなみに5月11日は台湾でも「母の日」である。もちろん、この日が予定されていたのは「台湾人の母なる国は台湾」であるからだ。目標の10万人を遥かに上まわる参加者数は、台湾人の精神的支柱である李登輝前総統が総召集人を務め、心ある台湾人は正名運動に参加するよう呼びかけたことも大きい。

当日、第一隊(日本人、在日台湾人が割り振られた隊)は午前11時に中正紀念堂へ集合する。会場では、既に思い思いの格好をした日本人が多く集まっていた。「正名運動日本人応援隊」とマジックで書かれた幟を持つ者、「必勝」の文字が染め抜かれた鉢巻きをしめる者。南国の陽射しは刺すような暑さだ。年輩の方の体調が気にかかる。昼ちょうど、いよいよ総領隊(リーダー)の金美齢女史と総指揮の林建良氏を先頭にデモ隊が動き出した。市内7箇所からスタートしたデモ隊は、途中で合流しながらゴール地点の総統府前広場を目指す。

デモ隊の前にはものすごい数のテレビカメラ、取材陣である。受ける質問のほとんどは「なぜ日本人が正名運動に参加するのか」というもの。台湾のメディアは中国統一派が圧倒的に多く、編集によってどう歪曲されるかわからないので「台湾は日本の大切な友人だから応援に来た」と簡潔に答えておいた。

沿道で待機する台湾人の多くが「日本」のプラカードを見るや「ありがとう!」「多謝!」と感謝と労いの言葉をかけてくれる。中にはペットボトルの水の差し入れも。また、「日本の皆さん、遠いところを台湾の為にありがとう」と流暢な日本語でうれしそうに話しかけてくる年輩の人も少なくない。日本と共に歩んだ50年を懐かしみ、今も畏敬の念と親しみを持って接してくれる台湾の人々。これほどまでに温かく日本人を迎えてくれる人々が世界中のどこにいようか。

約1時間後、市内を行進した七つの隊が続々と総統府前広場に集まってくる。ステージ前に設けられた席につくと後ろの様子はほとんど分からない。その夜のニュース映像では上空から撮影された広場の様子が流れていたが、まさに立錐の余地がないほど、広場が人人人で埋め尽くされていた。午後の陽射しはますます強くなってくる。ふと振り返ると、聳える国民党本部ビルに掲げられた青天白日旗がもの言わず大群衆を眺めていた。

午後2時過ぎ、いよいよ李登輝総招集人が壇上に上る。10日ほど前に心臓手術を受けた際には参加が危ぶまれたが、元気な姿で参加者に手を振っている。その後の演説では「中華民国は既に存在しない」と断言しその理由3点を理路整然と述べた。体調と当日の暑さを考慮して20分程の演説であったが、自らの体を投げ打ってでも台湾のために、台湾民衆のために戦う姿に、群集は「台湾民主化の父」へ尊敬の念を込めた歓声で応えていた。セレモニーは午後5時過ぎまで続いたが、強い陽射しを一日中浴びた私は真っ赤に日焼けし、その夜はベッドのシーツさえ擦れると痛くて、疲れているにもかかわらず心地よい眠りとはいかなかった。ただ、なかなか寝つけなかったのは、一心に祖国を想い、祖国を憂う人々を目の前にし、その真摯な姿に心打たれたことが絶えず頭をよぎっていたのもあるかもしれない。

翌日、「中華民国を守るべし」という主旨のデモが台北市内で開催された。ニュースでもほとんど放映されず、新聞の扱いも小さいものであった。参加者数は新聞発表で3,000人。15万と3,000。単純に数の比較は出来ないだろう。しかし、「民意の表れ」としたらどうだろう。そう簡単に看過できない差であることは明らかだ。

『祖国と青年』10月号より転載