2001年~2002年の、本会設立前における準備段階の活動をまとめました。

[2001年(平成13年)]
4月11日 李登輝前台湾総統の訪日をめぐり、同日の「日本政府が入国ビザ申請を事実上拒否」という報道に接し、在日台湾同郷会(林建良会長)が台湾人の尊厳を踏みにじるものとして、日本政府へ抗議と決定の変更を要求。
12日 同問題で、台湾研究フォーラム(柚原正敬代表)が「李登輝氏へのビザ発給問題に関する声明」を発表、日本政府に対して人道に則った措置と中国の内政干渉を排した主権国家としての威信を示すよう抗議し、李登輝氏への速やかなビザ発給を要求。
22日 李登輝氏へのビザ発給が20日に決定、関西国際空港に降り立った李登輝・曽文恵ご夫妻を日台の有志400人が出迎え。
6月9日 在日台湾同郷会が在日台湾人の外国人登録証明書の国籍記載を中国から台湾に改めることを求めて「正名運動プロジェクトチーム」を発足。
8月5日 在日台湾同郷会が台湾研究フォーラムの協力のもと、東京・池袋のホテルメトロポリタンにおいて「台湾人の外国人登録証国籍を正す日台緊急国民集会」を開催。パネリストは、伊藤潔(杏林大学教授)、柳川昭二(弁護士)、林建良(在日台湾同郷会会長)、柚原正敬(台湾研究フォーラム代表)の4氏。約200人が参加。集会では国籍記載の改善を日本政府に求める決議文を採択。
8日 「台日共闘・国籍正名運動」と銘打って東京入国管理局などへ外登証改善要求デモを敢行し、入国管理局へ国民集会で採択した決議文を手交し抗議。台湾からの留学生など約100人が参加。
29日 「日本李登輝友の会」を設立するに当たり、在日台湾同郷会の林建良会長と台湾研究フォーラムの柚原正敬代表が設立準備会を設け、発起人予定者に就任依頼状を発送。
9月5日 台湾側の事情により、日本李登輝友の会の発足を延期。
26日 8月12日、台湾に李登輝前台湾総統を精神的指導者として仰ぎ、政党名に初めて台湾を冠した「台湾団結聯盟」(黄主文主席)が結成されたこと受けて、東京・池袋のホテルメトロポリタンにおいて「台湾団結聯盟日本後援会」の結成大会を開催。黄主文主席が来賓として臨席。出席者は約200人。

[2002年(平成14年)]
6月19日 「日本李登輝友の会」の設立に向け、黄文雄、林建良、柚原正敬の3氏が拓殖大学に小田村四郎総長を訪ねて懇談し、設立準備会を発足。
9月11日 「日本李登輝友の会」の設立に向け、石井公一郎(元ブリヂストンサイクル社長)、小田村四郎(拓殖大学総長)、黄文雄(拓殖大学日本文化研究所客員教授)、田久保忠衛(杏林大学教授)、林建良(在日台湾同郷会会長)の5氏の名前で呼掛け人就任の依頼状を発送。
10月29日 呼掛け人110名をもって発起人就任の依頼状を発送。
11月18日 作家の阿川弘之氏が会長就任を内諾。
12月11日 会の設立に向け、東京・港区のホテルオークラにて記者会見を開催。
阿川弘之(作家)、小田村四郎(拓殖大学総長)、黄文雄(評論家)、林建良(在日台湾同郷会会長)、柚原正敬(台湾研究フォーラム代表)の5氏が出席。
15日 ホテルオークラにて設立大会を開催、台湾の李登輝友之会全国総会会長の黄崑虎氏や台北駐日経済文化代表処の羅福全代表などの来賓を含め約1300人が出席。阿川弘之氏が会長に就任し、李登輝前台湾総統がインターネットを通じて「台湾精神と日本精神」と題して記念講演。
16日 朝日、毎日、産経、自由時報などで設立大会の模様を報道(その後、SAPIOや月刊紙誌などでも報道)。
26日 台北駐日経済文化代表処の機関誌「台北週報」(第2078号)が設立大会の模様を4頁にわたって詳報。1月23日付の2080号では李登輝前台湾総統の記念講演全文を掲載。
30日 産経新聞の矢島誠司論説委員(前台北支局長)が「一筆多論」欄にて設立大会時の李登輝前総統の記念講演の概要を紹介。