『日本李登輝友の会」』がめざすもの 武士道は日台の共有財産

日本李登輝友の会事務局長
台湾研究フォーラム代表
柚原 正敬

●満座の設立大会
旧臘12月15日、日本と台湾の文化交流などを通じて、新しい関係の構築をめざす全国組織の交流団体として「日本李登輝友の会」が設立された。当日は、会場のホテルオークラに私どもの予想を上回る約1200人もの方々にご参加いただいた。このホテルでもっとも広い平安の間は、毎年、菊池寛賞のレセプション会場として、あるいは台湾の台北駐日経済文化代表処が中華民国の建国を祝う国慶節の祝賀会会場として使われているが、会場の端から端まで並べられた椅子には余席もなく、座れない人も出てくるほどだった。

設立大会4日前の12月11日、記者会見を行ったが、この時点で参加者はまだ500人に満たなかった。会見には、会長を内諾していただいていた作家の阿川弘之氏、設立準備会代表で拓殖大学総長の小田村四郎氏、呼掛け人で拓殖大学客員教授の黄文雄氏、同じく呼掛け人で在日台湾同郷会会長の林建良氏、そして設立準備会事務局から柚原の5人が出席して、設立までの経緯や目的などを説明した。

この時まで445人にのぼる発起人がそろい、記者会見にも20数社が参加したので、関心は低くないとの感触は得ていたものの不安は去らなかった。

それまで多くの方のご助力のもとに準備をすすめてきており、その方々に報いるには、満座の光景を見ていただくしかないと思っていたし、私自身もその光景を胸に描きつつ事に当たってきた。

大会当日、思い描いていた光景を目にしたとき、慶応や早稲田などの学生スタッフたちから「ウッワー、スッゲー」と感嘆の声が洩れた。私自身も、心の底かから沸き上がってくる安堵感を覚えた。小躍りしたいほどの気持だった。

即座に李登輝氏と蔡焜燦氏の笑顔が浮かんだ。会場の様子は、すでに開会直前からインターネット通じて台湾に送られていたからである。

●台湾側からも期待大きい布陣
設立大会は、台湾から総統府国策顧問の黄昭堂氏や、李登輝氏の側近で台湾李登輝友之会全国総会の黄崑虎会長などを来賓として招き、第一部を設立総会、第二部は懇親パーティーが催された。

設立総会では、会長に阿川弘之氏、副会長には、石井公一郎氏(元ブリジストンサイクル社長)、岡崎久彦氏(博報堂特別顧問)、小田村四郎氏、田久保忠衛氏(杏林大学教授)、中西輝政氏(京都大学教授)の五人が選出、承認された。

会長・副会長いずれの方も、台湾および李登輝氏と浅からぬご縁を持ち、李氏をはじめとする台湾関係者から信頼される日本人として、これを上回る布陣はなかなか望み得ないかもしれない。

因みに、阿川氏を会長にという思いは台湾側も同じだった。11月中旬、阿川氏から内諾をいただいたときは天蓋が開いた思いだった。ただ、旬日を経ず、11月22日付の産経新聞に「初代会長に阿川氏」という見出しの下、会長・副会長人事を抜き打ち的に報道されたときにはいささか面喰らった。だが、台湾側があえてリークしたと聞いて、その期待の大きさを改めて感じた次第だった。

大正9年生まれの阿川会長は、日本の言論界の重鎮であり、昭和天皇が崩御された折の李登輝氏の言葉に感銘を受け、お会いする前から李氏を尊敬していたという、台湾のよき理解者だ。昨年は、蔡焜燦氏のお招きで、娘さんの阿川佐和子さんやその友人の檀ふみさんなどと共に渡台されたという。

また大会では、67人の理事を選出し(発表漏れがあり実際は70名)、明石元二郎台湾総督令孫の明石元紹氏や外交評論家の澤英武氏などの有識者や、地域を代表して茨城県取手市長の大橋幸雄氏や新潟日報社元社長で李登輝氏と同級生の伊藤栄三郎氏などが就任された。

さらに、運営の円滑促進化をはかるために常務理事という制度を設け、この理事の中から、伊藤哲夫氏(日本政策研究センター所長)、黄文雄氏、林建良氏、平田隆太郎氏(元新樹会事務局長・前伊達物産アジア研究所所長)、そして柚原の5名を選出し、承認された。

●李登輝氏講演に鳴り止まぬ拍手
その後、阿川会長の就任挨拶や黄崑虎会長の祝辞を経て、「台湾精神と日本精神」と題する李登輝氏のインターネットによる記念講演に移った。

講演の前、台湾からインターネットで祝辞とともに李氏を紹介されたのは蔡焜燦氏である。

実は、この「日本李登輝友の会」設立の動きは一昨年8月に一度あった。発起人まで決まっていたのだが、台湾側が年末の立法院選挙を控えて動きだした時期と重なったこともあり、頓挫していた。そこで、昨年の6月初旬より再開しはじめたのだが、蔡焜燦氏には台湾側の取りまとめ役の一人としてご尽力いただいていた。慶応大学学生グループの李登輝氏招聘問題が起こったこともあり、また、李登輝氏訪日実現を目的のひとつに掲げるこの会の設立に当初から関わってきた蔡氏である。語り口が熱を帯びてくるのは当然かもしれなかった。

いよいよ李登輝氏の記念講演だ。会場正面の左右に、畳20畳分はあろうかと思われる巨大モニターが一台ずつ設置されている。このモニターに李登輝氏のにこやかな笑顔が映し出されると、会場からは割れんばかりの拍手が起こる。

李氏は、日本および日本人特有の精神は「武士道」だとして、自分が武士道に巡り合った経緯や武士道のなんたるかについて、また、台湾と日本で共有できる精神であることを、わかりやすく述べられたのだった。

「この武士道としての日本精神があったからこそ、台湾は中国の人治文化に完全に呑み込まれることがなかった、抵抗することができたのです。このように考えれば、近代建設の原動力としての武士道は、台湾と日本の共有財産であることが理解できます」

そして最後に「『奥の細道』を日本の人たちと訪れ『わび』『さび』を一緒に再確認できることを楽しみにしている」と結ぶと、拍手はいつ鳴り止むのかと思うほど長く鳴り続けた。この拍手が「台湾の父」であり「日台交流のシンボル」李登輝氏の本領だと、気持が熱くなったのは私一人ではあるまい。

懇親パーティーでは、台湾の陳水扁総統から祝辞をいただき、また、呂秀蓮副総統もインターネットを通じて祝辞を述べ、さらには乾杯の音頭まで取っていただいた。国会議員の中川昭一氏や平沢勝栄氏などからも祝辞をいただいた。

日台関係者が注目する中、「日本李登輝友の会」は出発した。台湾との交流を通じて日本の来歴を確認し、誇りある日本を造りたいする私どものささやかな願いは、台湾の願いでもある。

平成15年1月からは東京・平河町に正式な事務所を開設する。本会の趣旨に賛同される方々のご助力を仰ぎつつ、目的実現のために邁進したい。(日本政策研究センター『明日への選択』平成15年1月号「一刀論断」掲載)