1月12日、『広辞苑』の第7版が発売された。昨年12月、台北駐日経済文化代表処などが台湾は中華人民共和国の一部ではないとして訂正を要求していたが、第7版は第6版の記述と変わっていない。下記に、第6版と第7版の記述を示してみたい。

◆「日中共同声明」 問題記述は第6版を完全踏襲

問題視されていたのは「日本は中華人民共和国を唯一の正統政府と承認し、台湾がこれに帰属することを実質的に認め」という記述で、台湾が中華人民共和国に帰属することを日本が「実質的に認め」ていたという箇所だが、第6版第2刷の記述とまったく変わっていない。

第6版 第2刷(2011年1月11日発売)
【日中共同声明】一九七二年九月、北京で、田中角栄首相・大平正芳外相と中華人民共和国の周恩来首相・姫鵬飛外相とが調印した声明。戦争状態の終結と日中の国交締結を表明したほか、日本は中華人民共和国を唯一の正統政府と認め、台湾がこれに帰属することを実質的に認め、中国は賠償請求を放棄した。 

第7版 第1刷(2018年1月12日発売)
【日中共同声明】一九七二年九月、北京で、田中角栄首相・大平正芳外相と中華人民共和国の周恩来首相・姫鵬飛外相とが調印した声明。戦争状態の終結と日中の国交締結を表明したほか、日本は中華人民共和国を唯一の正統政府と承認し、台湾がこれに帰属することを実質的に認め、中国は賠償請求を放棄した。

◆「台湾」 問題記述は第6版を完全踏襲 

この「台湾」の項で問題視されていたのは「一九四五年日本の敗戦によって中国に復帰」という記述だったが、これもまた第6版からまったく変わっていない。

第6版 第1刷(2008年1月11日発売)
【台湾】(TAIWAN)中国福建省と台湾海峡をへだてて東方二百キロメートルにある島。台湾本島・澎湖列島、および他の付属島から成る。総面積三万六〇〇〇平方キロメートル。明末清初、鄭成功がオランダ植民者を追い出して中国領となったが、日清戦争の結果一八九五年日本の植民地となり、一九四五年日本の敗戦によって中国に復帰し、四九年国民党政権がここに移った。六〇年代以降、経済発展が著しい。人口二二八八万(二〇〇六)。フォルモサ。

第7版 第1刷(2018年1月12日発売)
【台湾】(TAIWAN)中国福建省と台湾海峡をへだてて東方にある島。台湾本島・澎湖列島および他の付属島から成る。総面積三万六〇〇〇平方キロメートル。明末・清初、鄭成功がオランダ植民者を追い出して中国領となったが、日清戦争の結果、一八九五年日本の植民地となり、一九四五年日本の敗戦によって中国に復帰し、四九年国民党政権がここに移った。六〇年代以降、経済発展が著しい。人口二二六七万三千(二〇一〇)。フォルモサ。

また、【中華人民共和国】の項も、26番目の行政区として「台湾省」を明記する「中華人民共和国行政区分」と題する地図を掲載し、これも第6版と変わっていない。

朝日、読売、産経、NHKなどほとんどのメディアが第7版の刊行を取り上げているが、日本経済新聞は、台湾が中華人民共和国に帰属するという記述について「日本は72年の声明では台湾が中国に帰属するという中国側の立場を『十分理解し、尊重する』との表現にとどめた。『承認』などの確定的な表現を避けて解釈の余地を残し、台湾の帰属問題を玉虫色に処理した経緯がある」と一歩踏み込んで書き、『広辞苑』の記述に異論を唱えた形だ。下記にその記事をご紹介したい。

すでに本誌で何度か述べてきたように、昭和39年(1964年)2月29日の衆議院予算委員会における池田勇人首相は、台湾の帰属について答弁しており、明確に台湾の帰属先は中華民国ではなく「帰属は連合国できまるべき問題」、つまり台湾の帰属先は未だに定まっていないと表明している。

その後の総理答弁を10年前にさかのぼって確認しても、『広辞苑』記述のような「実質的に認め」たという文言は見当たらず、また、それを推測させるような文言も見当たらない。

例えば、平成17年(2005年)11月15日に出された小泉純一郎総理の「答弁書」では「台湾に関する我が国政府の立場は、昭和47年の日中共同声明第三項にあるとおり、『台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部である』との中華人民共和国政府の立場を十分理解し尊重するというものである」とし、それ以上の言及はない。

日中共同声明の第3項には「日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し」の後に「ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」とあり、『広辞苑』が「台湾がこれに帰属することを実質的に認め」と記したのはこの記述を根拠としているのだろう。

しかし、日中共同声明をさかのぼること8年前に総理答弁として、台湾の帰属先は未だに定まっていないという日本政府の見解を明らかにしている。日中共同声明がその8年前の政府見解を逸脱して、台湾が中華人民共和国に帰属することを「実質的に認め」るなどということは考えにくい。

その点で、「台湾の帰属問題を玉虫色に処理した経緯がある」と解説した日本経済新聞の記事の方が『広辞苑』よりよほど的確な記述だ。

また、台湾に関する政府の立場について、自民党であれ民主党であれ、歴代総理の答弁が「中華人民共和国政府の立場を十分理解し尊重する」ということで一致し、それ以上言及していないことにも注目したい。実質的にであろうと形式的にであろうと、台湾の帰属先に触れていないのが日本政府の見解なのだ。

さらに、中華人民共和国は中華民国の継承国家という立場を取っているようだが、池田総理の答弁に沿えば、台湾の帰属先が中華民国でないなら、中華人民共和国も帰属先ではないということになる。

いずれにせよ、『広辞苑』の「実質的に認め」という記述が的確性に欠けることは疑いようがない。訂正を要するゆえんだ。

次に、「台湾」の項の「一九四五年日本の敗戦によって中国に復帰」という記述についても言及しておきたい。

台湾が「中国に復帰」とは、台湾は日本の領土だったから、日本が1945年に中国に返還したということに他ならない。しかし、当時の「中国」だった中華民国自身が1945年に日本から返還されたことを認めていなかった。

どういうことかというと、1952年(昭和27年)4月28日に日本と締結した日華平和条約において、中華民国は日本が前年9月に署名したサンフランシスコ平和条約で台湾・澎湖諸島を放棄したことを「承認」しているからだ。

日本が中華民国に台湾を返還していたら放棄できないのは理の当然で、中華民国も日華平和条約において日本の台湾領有を承認していたのだから、『広辞苑』の「一九四五年日本の敗戦によって中国に復帰」などという歴史事実はなかったことになり、これは明らかな誤記と言ってよい。

1952年4月発効のサンフランシスコ平和条約の第2条b項には「日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と定めていて、日本の台湾・澎湖諸島の領有権を、アメリカをはじめとする署名48カ国が認めていたが故に日本は「放棄」できたのだ。

「台湾が1945年に中国に復帰」していたら、日華平和条約もサンフランシスコ平和条約も締結できない。復帰していないがゆえに締結できたのだ。これもまた速やかに訂正されなければなるまい。


台湾は中国「台湾省」 広辞苑の記述に台湾反発 「中華人民共和国の一部でない」 

【日本経済新聞:2018年1月12日】

12日に発売された岩波書店の国語辞典「広辞苑」の改訂版(第7版)を巡り、台湾を中国の一部として紹介した表記が波紋を広げている。改訂に当たり台湾側は「断じて中華人民共和国の一部ではない」として従来の表記の修正を要求したが、岩波書店側は拒否。中国が岩波書店への支持を表明するなど国際問題の様相を呈している。

広辞苑は「中華人民共和国」の行政区分を示す地図で、台湾を「台湾省」として記載。1972年に調印された「日中共同声明」の説明では、日本側が「台湾がこれ(中華人民共和国)に帰属することを実質的に認め」などと記す。第7版はこうした従来の記述を基本的に引き継いだ。

日本は72年の声明では台湾が中国に帰属するという中国側の立場を「十分理解し、尊重する」との表現にとどめた。「承認」などの確定的な表現を避けて解釈の余地を残し、台湾の帰属問題を玉虫色に処理した経緯がある。

台湾の駐日大使館に当たる台北経済文化代表処は2017年12月11日、岩波書店に対し「事実と異なる内容が見受けられる」などとして抗議し、第7版での修正を申し入れた。一方中国外務省の華春瑩副報道局長は同18日の記者会見で「台湾は中国の不可分の一部だ」と岩波書店側を擁護し、台湾側をけん制した。

岩波書店は同22日付でホームページ上に声明を出し「記述を誤りとは考えていない」と表明した。地図上の「台湾省」との表記は単純に中国が示した行政区分を記載したという。台湾の外交部(外務省)は同日、改めて修正を求めるコメントを出した。

一方、岩波書店は声明で「中華人民共和国・中華民国はともに『一つの中国』を主張し(ている)」と説明している。中華民国とは台湾当局が自称する「国号」だ。台湾独立を志向する民主進歩党(民進党)の蔡英文政権は、中国大陸と台湾が中国という1つの国に属するとする「一つの中国」原則を認めていない。