花木出・元交流協会台北事務所副代表

台湾と断交直後の1972年12月8日、台湾に住む邦人を保護し、台湾との関係を維持するため、日本は台湾との窓口機関として「財団法人交流協会」を設立し、台湾側も同年12月2日に「亜東関係協会」を設立。日本は台湾との関係を「非政府間の実務関係」と位置づけて断交後の新たな日台関係は始まった。

財団法人交流協会(現在は公益財団法人交流協会)は外務省と通産省(現経産省)の認可団体であることから、日本台湾交流協会台北事務所(駐台日本大使館に相当)の代表は外務省、副代表は経産省の出身者が派遣されている。

2014年4月、佐味祐介(さみ・ゆうすけ)日本台湾交流協会台北事務所・副代表の後任として、同じ通産省出身の花木出(はなき・いずる)氏が赴任した。

1965年生まれの花木氏は東大法学部卒業後、1987年に通産省に入り、特許庁制度改正審議室長や中小企業庁調査室長、商務情報政策局保安課長などを経て日本台湾交流協会台北事務所に赴任、3年後の本年6月に帰任している。現在は経産省特許庁審査業務部長の任にあるという。

私どもが日本台湾交流協会台北事務所を訪問したとき、主に日台の経済関係を主にお話をお聞きしたことがあるが、花木副代表が赴任したときは、台湾の民主化に新たな地平を切り拓いた「ひまわり学生運動」の直後のことで、台湾にとってとても大事な時期だった。

このほど花木氏はそのときを振り返り、8月28日発行の「交流」8月号に「台北勤務を振り返って」という一文を寄稿している。

「私の在任期間を俯瞰すれば、その最も大きな変化は政治面であったことは間違いない」として、赴任時のひまわり学生運動から現在まで、台湾には中国の存在が大きくのしかかっていると指摘。また「似ているからこそ違いが目につく日本と台湾」なので、日本が今後「国際社会で活力を維持、発展させていくため」には「国際競争力をいかに維持し、周辺列強との関係が変化していく中においていかに国を維持発展させていくか」を発想の根底に据えている台湾をよく見て照らし合わせた方がよいのではと提案している。

台湾に赴任した外交官がどのように日台関係を見ているかという点でとても興味深い一文だ。いささか長いが、下記に全文をご紹介したい。


台北勤務を振り返って

花木 出(前日本台湾交流協会台北事務所副代表、特許庁審査業務部長)

【日本台湾交流協会「交流」8月号:2017年8月28日】

私は2014 年4 月に交流協会台北事務所副代表として着任し、今年6 月に任期を終え帰任した。台北で過ごした3 年2 か月は振り返ってみれば短く、かつ、帰国して日本の生活に馴染んで埋没してしまうと、既に遠い別世界の出来事だったかのように感じることすらある。しかし、ふとした瞬間にあの台北の騒音と熱気、親切で活動的な人々の貌を思い起こし、たまらなく懐かしくなるのである。

◆日本のサービス産業の進出が活発化

現地では主に経済案件を担当していたこともあり、赴任期間中にも日本のサービス産業が活発に台北に進出してきていることが特に印象に残った。事務所近辺の食事事情ひとつとっても、駐在していた3 年間の間に大衆食堂や回転すし店、ラーメン店、うどん店等、日本でもなじみのあるチェーンが数多く進出し、日本人としての駐在生活は大いに便利になったと感じたものである。

参考1は私の同僚が調べてくれた台湾への日本の食堂チェーン進出時期別一覧表である。

これを見ても2010 年以降特にここ数年にこうした食堂チェーンの台北進出が本格化した様子がよく見てとれよう。背景としては我が国における少子高齢化と内需市場の縮小が進む中でこうした事業者が海外進出を活発化させたことが何より大きいのだろうが、同時に2011 年の東日本大震災を契機として日本人の台湾に対する関心が飛躍的に高まったこと、それに呼応する形で台湾人の日本旅行が急速に増加し、こうした食堂チェーンが特にこの台湾というマーケットに着目するようになったことも挙げなければなるまい。

日本のサービス産業の進出は何も食堂チェーンにとどまるものではない。これまで台北市内には多数の日系デパートが進出していたが、2016 年1 月にはこれに加えて台北郊外の林口に三井不動産が経営するアウトレットモールが開業し、想像を上回る成功を収め、早急に第二号店を台中に設置することを発表するに至った。他にも、台湾人の長寿と健康への関心に応える形でTomod’s 等日系ドラッグストアチェーンが急速に店舗を拡大している。金融機関もこうした動きにこたえ、2016年には地方銀行として初めて福岡銀行が事務所を台北に新設、同年中には秋田銀行もこれに追随している。

◆対日好感度は上昇傾向に

交流協会は随時台湾人を対象とした世論調査を行っている。昨年7 月に発表された第五回世論調査によれば、最も好きな国は日本が56%と断トツの一位であり、かつ、この数字は前回調査(43%)より大きく上昇している。年代別では20 代、30代の若者層では60%以上が日本をもっとも好きな国として挙げているが、過去の調査では割合が低かった40 代以上の世代もすべての階層で50%以上が日本を挙げたことが注目された。

先に、日本人の台湾への関心が2011 年の東日本大震災を契機に大幅に上昇したと述べたが、こちらは台湾側の台北駐日経済文化代表処が随時実施している調査を見ると明らかで、2009 年には台湾に好感度を持つ日本人は56%であったが、2016 年の調査では67%と10 ポイント以上の大幅な増加となっている。日本と台湾の都市同士の交流や姉妹都市提携等も2011 年以降大幅な増加となっている。

このような相思相愛とも呼べる国民感情の存在が、日本企業、特に消費者と直接向き合うサービス産業が台北に進出した際に、「日本の製品・サービスに高い関心を寄せ」、「値段は高かったとしても相応に良いものであろうと考えて向き合う」消費者に恵まれることを可能とし、同時に日本においても「台湾の製品、サービスに関心を持つ」消費者を生み出している。 台湾から日本へは2011年以降、喫茶店の春水堂や牛肉麺の三商巧福、小籠包の鼎泰豊や點水樓等が進出あるいは進出を表明している。

交流協会としても、JETRO との協力の下、2015 年末に中小企業海外進出プラットフォーム事業をJETRO 海外事務所のない地域としてはじめて台湾で開設し、進出希望中小企業等に対して無料コンサルティングを実施する等、従来以上に深堀した支援を行っている。

◆政治は激変

私の在任期間を俯瞰すれば、その最も大きな変化は政治面であったことは間違いない。台湾に着任した2014 年4 月は、直前の3 月に立法院において中台両岸貿易取り決め(ECFA)に基づくサービス貿易協定が強行採決されたことを契機に学生たちが立法院を占拠する「ひまわり学生運動」が発生した時期であり、世界の耳目が台湾情勢に集まっていた。同学生運動は、翌年の香港における「雨傘革命」に影響を与えた一方、台湾内部においては馬英九国民党政権に打撃を与え、同年末の地方選挙で国民党が大きく敗退し、その後も総統選挙に向けた挙党体制を確立することができないまま蔡英文氏率いる民進党へと政権交代していく第一歩とになったのである。

一方、蔡英文民進党政権は発足当初高い期待を集めていたものの、現在のところ支持率は低迷し、当初民進党と足並みを揃える姿勢を示していた時代力量が離反する等、民意の結集に苦労している。更に、中国からは馬英九国民党政権が中台間の様々な交流の基礎と位置付けていた、一つの中国(ただし解釈はそれぞれが行う)を骨格とする「92年コンセンサス」を明示的に認めるよう強い圧力を受けており、これをよしとしない最英文民進党政権下では両岸間の制度的な交流はストップした状態が続いている。最近ではこうした直接の圧力以外に、台湾のWHA 等の国際会議におけるオブザーバー参加を認められなかったり、長年にわたり台湾と国交を維持してきたパナマが台湾との断交に踏み切る等、国際環境においても強い孤立化圧力にさらされる事態が目立ってきている。

台湾に赴任した当初、ある台湾人の方から「台湾というのは真田正幸なんですよ」と語りかけられたことがある。当時はまだ大河ドラマ「真田丸」の放映前で、歴史に明るくない筆者はポカンとしたものだが、要すれば信州真田の小大名が今川から織田、豊臣、そして徳川へと戦国末期の「国際情勢」が激変する中で巧みにこれら大大名との距離をはかり、うまくバランスをとって生き残り、しかも発展していったというのがその趣旨であった。なにも旧日本統治時代にまでさかのぼらなくとも、1990 年以前、日本経済が絶好調の時代には台湾は日本企業の進出先となり、その後中国経済が急速に発展していくにつれて真っ先に広州デルタや上海デルタに進出、さらに中国人の所得向上にあわせてサービス産業の中国進出を進めてきた台湾はまさに関ヶ原の戦いで兄弟が東西両軍に参加することで家を生き残らせてきた真田家と重なる面があるといえるかもしれない。しかし、その台湾人の方すら、「これまでは何とか乗り切ってきたが、いよいよ難しい時代に入ってきた。これからはどうなるか。台湾の未来は手探り状態だ。」と今後への懸念を語っていた。中国が蔡英文政権に対して「92年コンセンサス」を認めるよう圧力を強め、また軍事力においても局地的にアメリカをはじめとする既存勢力に匹敵するような増強を進めつつある今、台湾がどうやって活路を拓いていくのかは従来にも増して難しいかじ取りを要する課題になっているのは間違いない。

◆違うからこそ面白い台湾

日本と台湾は飛行機に乗ればわずか3 時間という近さにあり、更に50 年間にわたり日本が台湾を統治していたという歴史的な経緯もあって、我々日本人にとって台湾は特に親しみを感じられる土地であろう。例えば年配者を中心に日本語を話せる方が多いこと、主食のコメが日本と同じタイプの丸いジャポニカ米であること、日本統治時代の建物が公的なものから私的なものまで丁寧に保存され活用されていること等はその一例である。

しかし、台湾の本当の面白さは、こうした共通点と同時に相違点があるからであろうと筆者は考える。よく言われるように、台湾と日本は同じく資源のない島国であり、少子高齢化やエネルギー問題等ともに類似の課題に直面している。しかしこうした課題への対応策は台湾と日本では異なることが意外に多い。

代表的な例はエネルギー問題である。台湾では政権与党となった民進党が原子力発電からの撤退を明確に表明しており、2025 年までにすべての原子力発電所を停止することを表明している。産業界からは懸念の声も聞こえてくるが、この点については民進党政権のスタンスは確固たるものとなっているようである。具体的な対応策として同党は太陽光や風力等の新エネルギーを大規模に導入するとしている。

社会制度の面では馬英九政権時代に行われた大胆な法人税率の引き下げや直轄市制度の拡大による行政効率化、また社会インフラの面では高速道路のETC 化に際して取られたeTag の導入と料金徴収所の全面廃止等、我が国と異なる対応が興味をひく。もちろん日本と台湾では経済規模や人口等の面で異なることも一因であろうが、それにとどまらず社会運営についての考え方の違いがこうした差異の根底にあるように考えられる。

似ているからこそ違いが目につく日本と台湾。我が国が今後国際社会で活力を維持、発展させていくためには、台湾がどのような対応策をとっており、どうしてそのような結論に至ったかを日本と照らし合わせて考えることがその一助になるのではないだろうか。台湾の発想の根底には、国際競争力をいかに維持し、周辺列強との関係が変化していく中においていかに国を維持発展させていくかということが常にあるからである。