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日本と台湾の文化交流を促進し、 日台の架け橋となる若者を育成しようと、フジサンケイ ビジネスアイを発行する日本工業新聞社と産経新聞社が主催する「 日台文化交流 青少年スカラシップ」は今年で第14回を迎えた。

優秀賞の受賞者には台湾研修旅行がプレゼントされ、 これまで李登輝元総統などの要人を表敬訪問して親しくお話をお聴きしている。

7月17日に満90歳で急逝された「台湾歌壇」代表の蔡焜燦( さい・こんさん)先生は、この「青少年スカラシップ」 の第1回から訪台した若者たちにおいしい台湾料理をご馳走されて いた。4年前の2013年には蔡先生のお孫さんが入賞し、喜びも一入( ひとしお)だったようで、3月26日に兄弟大飯店で開かれた蔡先生ご招待の晩餐会では、お孫さんの父、 つまり蔡先生の息子さんも同席し、とてもご機嫌だったそうだ。

この「青少年スカラシップ」が第5回を迎えた2008年、 入賞者たちは李元総統を表敬訪問、李元総統は日本や台湾の将来、中国との関係などについて講演された。 「フジサンケイ ビジネスアイ」はこの講演を「若者たちよ」と題し、 4月15日から18日にかけ4回にわたって掲載している。

当時、産経新聞台北支局長として「若者たちよ」 をまとめた河崎眞澄氏(現在、上海支局長)は、若者たちに切々と台湾の歴史などを話しながら「 自分の国の歴史を知ることが誇りを生む。堂々と胸を張って、自分は日本人だといえることが大切だ」「 1人でも多くの日台の若者に、本当の意味の『愛国心』を取り戻してもらうのが生涯の夢だ」 と語られた蔡先生の講話に深く感銘し、4月19日に「番外編“老台北”蔡焜燦氏」 としてその講話を紹介している。河崎支局長が「番外編」 として掲載したいと思ったのも当然だろうと深く頷ける講話だ。

蔡先生、81歳。 本当に話したいと思っていることを話された感が深く、 いささかべらんめい調ながらも、 ユーモアを交えながら慈しむように語った蔡先生の話しぶりがあり ありと蘇ってくる。

蔡焜燦先生を偲ぶよすがとしていただきたく、 ここにその全文をご紹介したい。また、李元総統の「若者たちよ」は、本誌でもご紹介しているので、 下記からご覧いただきたい。

また河崎眞澄氏は、7月19日付の産経新聞で蔡先生の追悼記「 評伝 私財なげうち『人』を残した」を書いている。蔡先生を「親父」 と呼んで心底慕っていた河崎氏でなければ書けない追悼記だ。蔡焜燦先生が屹立している。別掲でご紹介したい。

・若者たちよ(1) 李登輝・台湾前総統[2008年4月16日] 

・若者たちよ(2) 李登輝・台湾前総統[2008年4月17日] 

・若者たちよ(3) 李登輝・台湾前総統[2008年4月19日]

・若者たちよ(4) 李登輝・台湾前総統[2008年4月20日]


【若者たちよ 李登輝・台湾前総統】番外編 “老台北”蔡焜燦氏
「第5回日台文化交流青少年スカラシップ」

【フジサンケイ ビジネスアイ:2008年4月19日】

■人を残す人生こそが上 本来の「愛国心」取り戻せ

第5回「日台文化交流 青少年スカラシップ」(フジサンケイビジネスアイ、 産経新聞社主催、台湾行政院新聞局共催) で6日間の台湾研修旅行を贈られた若者17人は、 李登輝前総統以外にも多くの日本語世代の台湾人から話を聞いた。 なかでも司馬遼太郎氏の著書「台湾紀行」に博覧強記(はくらんきょうき)の“老台北(ラオタイペイ)” として登場する実業家の蔡焜燦(さい・こんさん)氏は、「 自分の国を愛せない人が世界を愛することなどできるか」と話し、 本来の「愛国心」を取り戻すよう訴えた。番外編として蔡氏の思いを伝える。(河崎真澄)

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台湾の蔡焜燦です。台湾人からみて、いまの日本人は幸福の中にいて幸福を知らないのではないか、と感じる。日本と日本人は好きだが、これは困った問題。「君が代」を歌っただけで、「愛国心」と言っただけで「あいつは右翼だ」 と言われかねない時代の雰囲気が戦後続いている。

日本とは異なり、台湾は歴史上、ずっと外来政権に支配され、 自分たちの「国」をもてずにいる。いまも中国大陸と(政治的立場の論争で)戦っている( 不安定な状態)といっていい。ただ、台湾人には「恨み」の文化がない。われわれ日本時代の教育を受けた世代は、子供のころ日本人として受けた教育が宝だ。

「三種の神器」を言えますか?「テレビ、冷蔵庫、洗濯機」じゃありませんよ。「八咫鏡(やたのかがみ)」「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」「八坂瓊曲玉( やさかにのまがたま)」だ。

故郷の台中州、清水(きよみず)公学校( 台湾子弟のための小学校)には当時の日本の版図のどこにもなかった校内有線放送設備や16ミリ映画の映写設備があり、「総合教育読本」を使って目と耳で幅広い教育を受けた。いまから70年以上も前のことだ。

神話や歴史物語は(科学的でない部分も含め)古くからの日本人の考え方を今に伝えてくれる。自分の国の歴史を知ることが誇りを生む。堂々と胸を張って、自分は日本人だといえることが大切だ。

現代の日本人にも読んでもらいたいと考えて、私は清水公学校の「 総合教育読本」の復刻版を(自費で)作って数多く配布(すでに終了)したが、このところ少しずつ、日本の若者にも歯ごたえが出てきた。日台間の懸け橋になれる人が育ち始めたようだ。

台湾の戦後教育は中国大陸から渡ってきた蒋介石政権が行った中国人主体のもの。

反日教育を受けた私の息子の場合も、親父(蔡氏)の日本に対する言葉を快く聞いてくれなかった。だが1999年9月21日に起きた台湾中部のマグニチュード7・ 6の大地震の時、その日のうちに世界で一番乗りに駆けつけて不眠不休で救援活動に当たったのが日本の救援隊だった。その姿をみて息子は初めて「日本人を見直した。親父の言う通りだ」と話してくれた。

蒋介石政権時代の台湾人への恐怖の弾圧で、われわれは中国人の考え方や手の内を思い知らされた。いまチベットで起きている僧侶や住民への弾圧は、戦後の台湾で起きた住民弾圧とそっくりだ。当時の台湾には国際的なメディアもなく、海外の人々にはほとんど知られることがなかっただけ。中国人は歴史を繰り返す。しかも4000年だ。

中国製冷凍ギョーザ中毒事件が起きたとき、福田康夫首相は「( 中国の対応は)非常に前向きだ」と言ったが、私にはとても考えられない一言だった。国を守るために、かくもお人好しでいいのか。結局、中国はすべて相手の責任にしようとしている。 中国人に「反省しろ」「謝れ」ということは、彼らにすれば「死ね」と言われるに等しい。

そこを理解した上で、日本人は中国に相対していかねばならない。そこで鍵を握るのは「愛国心」だ。自分の国を愛してこそ、隣の国も愛せるだろう。お人好しだけでは論外だが、恨みや怒りだけでも解決できない。(同じ価値観を共有する) 日本と台湾が関係を築き直していく(と解決策も探せる)。福田首相や民主党の小沢一郎氏らに何を求めるか。何も求められまい。若い世代に託す以外にない。

私は戦前、台湾総督府で民政長官を務めた後藤新平の言動を信条としている。すなわち「カネを残す人生は下。事業を残す人生は中。人を残す人生こそが上」だ。一人でも多くの日台の若者に、本当の意味の「愛国心」を取り戻してもらうのが生涯の夢だ。

【プロフィル】蔡焜燦
さい・こんさん 日本統治時代の台湾で台中州立彰化商業高校卒。 志願していた岐阜陸軍航空整備学校奈良教育隊に1945年1月配属。 そこで終戦を迎え翌年台湾に。体育教師を振り出しに航空貨物取り扱い業やウナギの養殖事業などで苦労し、IT(情報技術) ビジネスで成功。産経新聞の吉田信行・台北支局長(当時)の紹介で、 93年から翌年にかけて3回にわたって台湾への取材旅行に訪れた司馬遼太郎夫妻の案内役も務めた。81歳。台中州清水( きよみず)生まれ。