八田與一技師が亡くなった1942年(昭和17年)から75年目を迎えた本年4月16日、銅像の頭部が切断されるという衝撃的な事件が発覚した。それから約3週間が経つ。

本会に寄せられた義捐金を嘉南農田水利会にお届けした際、楊明風会長から、奇美博物館と台南市政府文化局の協力によってすでに修復が終わり、墓前祭前日の5月7日に銅像に魂を込める式典が行われることをお聞きし、本会理事の安倍美香・第27回李登輝学校研修団団長らはホッとしたという。

今年も5月8日のご命日に開かれる墓前祭(八田與一技師逝世75週年追思紀念會)が注目を集めている中、本日発売のPHPの月刊「歴史街道」6月号が八田與一の総力特集「台湾で最も愛される日本人 八田與一 『真心』は海を越えて」を組んでいる。

執筆者のラインナップがすごい。

総論を執筆しているのは本会会長の渡辺利夫(わたなべ・としお)拓殖大学学事顧問、特別寄稿は李登輝・元台湾総統、インタビューは頼清徳・台南市長、映画「KANO」で八田役を演じた俳優の大沢たかお氏、八田技師令孫の八田修一(はった・しゅういち)氏の3氏。執筆は、『台湾を愛した日本人』で日本に初めて八田を紹介した古川勝三(ふるかわ・かつみ)氏、著書で八田について何度も取り上げている片倉佳史(かたくら・よしふみ)氏など、そうそうたるラインナップだ。

これまでも他誌で八田與一特集を組み、嘉南農田水利会会長や工事に携わった方などを登場させたが、李元総統や頼清徳市長が登場するのは恐らく初めてではないだろうか。

八田を八田たらしめていった背景をテーマとした渡辺利夫氏の総論にはじまり、八田が生まれてから烏山頭ダムが完成するまでを4人で書きつなぐリレー執筆という手法で八田與一の全体像を描き出している。

まず古川勝三氏が生誕から大学卒業まで、次のフリーライターの四條たか子氏(しじょう・たかこ)氏は台湾総督府の土木部技手として桃園大圳の工事を手掛ける八田を描き、次のノンフィクション作家の清水克之(しみず・かつゆき)氏は烏山頭ダムに取り掛かり米国視察に行く八田と明石元二郎総督や上司の山形要助などの絡み、最後が作家の将口泰浩(しょうぐち・やすひろ)氏がガス爆発事故を乗り越えてダムの完成までを描いている。

片倉佳史氏は、八田の銅像秘話として、戒厳令下の戦後、銅像がいかにして守られ、どのようにして設置に至ったかを詳述し、また台湾の人々が八田をどのように見ているかを紹介している。烏山頭ダム近くに八田與一にちなんだ「八田路」という道路があるのは知っていたが、それが「台湾で唯一、日本人の名が道路名となっている」とは初めて知った。

その他にも、八田與一の部下で嘉南大圳工事に携わり、後に台中に白冷圳を造った磯田謙雄(いそだ・のりお)や、やはり部下で、嘉南大圳組合烏山頭出張所長をつとめた阿部貞寿(あべ・ていじゅ)の八田観も紹介している。

読み応えのある記事満載の特集で、永久保存版的価値のある1冊だ。

なお、月刊「歴史街道」編集部には、本会が八田與一像修復・復元「緊急募金」を始めた直後、「WEB歴史街道」で「緊急募金」をご紹介いただいた。この場をお借りして改めて御礼申し上げます。

この特集でも事件について、頼清徳市長の「何が起きようとも、私たちが八田氏を敬愛していることは変わりありません」という声明を紹介し、渡辺利夫氏も「彼らの八田への愛情は、こういう事件によって強まりこそすれ、弱まるなど決してありえないと、私は信じています」と述べ、片倉佳史氏も「八田技師夫妻を慕い台湾と友好の会」世話人をつとめる徳光重人(とくみつ・しげひと)氏の「こんな時だからこそ、益々力強く日台の交流を深めていきたい」という言葉を紹介している。

ちなみに、本会が行った「八田與一銅像修復・復元緊急募金」を嘉南水利会に贈呈する際、仲立ちの労をとっていただいたのが徳光氏であった。この場を借りて厚く御礼申し上げたい。

◆月刊「歴史街道」6月号【5月6日発売、680円(税込み)】