2007年、奥の細道を訪ねるため訪日された李登輝総統ご夫妻とともに(右が黄昭堂主席)

とても嬉しいニュースだ。台湾独立建国運動の先駆者として慕われていた王育徳、黄昭堂両先生を記念する記念館と記念公園を、台南市が建設中だという。王育徳記念館は来年(2018年)の9月9日(9月9日はご命日)に完成し、黄昭堂記念公園は今年の4月21日に地鎮祭が行われる予定だという。

王育徳氏の次女で、台湾独立建国聯盟日本本部委員長の王明理さんが昨日のメルマガ「台湾の声」に寄稿されている。下記にご紹介したい。

王育徳氏は「台湾独立運動の父」と言われ、台湾語研究者で台湾独立運動の指導者だった。その著書『「昭和」を生きた台湾青年』(草思社、2011年)は、近代化に邁進する日本統治時代の台湾にありながら、清朝時代の因習などが色濃く残る台湾社会が王育徳青年の目をとおして生き生きと描かれている名著。

本書は、その幼少期から25歳までのことを「回想録」として残しておいたものをまとめたものだが、25歳で台湾を離れて以降、東京で亡くなる61歳までのことは、次女の王明理さんが編集協力者として参画し、「おわりに─その後の足跡(1949─1985)」を書いている。

ここに引用されている王育徳氏の日記に、李登輝元総統の名前が出てくる。なんと、李元総統がまだ台湾大学助教授時代の1961年(昭和36年)6月、日本に住んでいた王氏を訪ねていた。

当時の王氏は前年の春に東大大学院を修了し、2月に黄昭堂氏らと台湾青年社を設立、4月には独立運動のバイブルと言われるようになる「台湾青年」を発行していた。そのような王氏を李登輝氏が密かに訪問していたのである。

引用されている6月16日の日記によれば、「実に気持ちのいい人で、こんな素晴らしい台湾人に会ったのは日本に来て以来初めてだ」と絶賛している。

2人は6月30日にもう一回会っている。 今度は王氏から李氏を訪ねている。

≪Rさんを訪ねる。十一時すぎまでしゃべる。台湾の経済は彼にまかせて大丈夫。T氏のこと、農学部学生に対する講演のこと、台湾経済のこと、政治家のこと、一旦緩急あればのこと、肝胆愛照らし話し合った。……彼のような快男児が台湾に百人おれば理想郷の建設は夢物語じゃないのだが。元気で再会できるよう祈る。≫

その後、王育徳氏と李登輝氏は二度と会うことはなかった。当時、38歳の李氏と37歳の王氏の最初にして最後の出会いだった。

一方の黄昭堂氏は、台南一中時代の王育徳氏を恩師とし、上に述べたように1960年2月、王育徳氏とともに台湾青年社を設立して台湾の独立建国運動に邁進した。王育徳氏と李登輝氏が東京で会ったときの事情を知る数少ない一人。国民党のブラックリストに載りパスポートを剥奪され、李登輝総統が民主化を進め、ブラックリストを解除した1992年、34年ぶりに帰台している。

その洒脱でユーモアに富んだ話しぶりで、台湾、日本を問わず多くの人々の敬愛を集めた。亡くなる直前の11月上旬に開催した第16回李登輝学校研修団でも講師をつとめていただいた。亡くなる前夜は蔡焜燦氏らと食事し、夜には台湾独立建国聯盟主席をつとめた許世楷・台北駐日経済文化代表処代表とも電話で話していた。

また亡くなる1ヵ月ほど前に来日していて、台湾独立建国聯盟日本本部に立ち寄り、台湾独立建国運動の目標は「台湾人の多数意志に基づく国家を作り、国際社会に新国家『台湾』として承認されること」だと話していたという。

この2人を記念した建物と公園ができる。頼清徳・台南市長の英断に心から感謝したい。

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王育徳(おう・いくとく)先生
1924年(大正13年)1月30日、台湾・台南市生まれ。旧制台北高等学校を経て43年10月、東京帝国大学文学部支那哲文学科入学。翌年、疎開のため帰台。台南一中の教師時代に黄昭堂氏らを教える。49年、香港経由で日本へ亡命。50年、東京大学に再入学。中国語学を専攻。60年、東京大学大学院博士課程を修了。文学博士。明治大学商学部教授。東京外国語大学講師(台湾語講座担当)ほか、他大学で多数講義をもつ。60年、「台湾青年社」を創設。機関誌『台湾青年』発行して台湾独立運動に尽力。75年「台湾人元日本兵士の補償問題を考える会」発足、事務局長として台湾人元日本兵士の戦後補償問題の解決に奔走。85年9月9日、心筋梗塞のため逝去。主な日本語の著書に『台湾─苦悶するその歴史』『台湾語入門』『「昭和」を生きた台湾青年』『王育徳の台湾語講座』など。

黄昭堂(こう・しょうどう)先生
1932年(昭和7年)9月21日、台湾・台南州北門郡七股庄に生まれる。台南一中を経て台湾大学経済学部を卒業後、日本に留学。東京大学国際学修士、社会学(国際関係論)博士。東京大学東アジア政治史講師、昭和大学教授を経て同大学名誉教授。社団法人台湾安保協会理事長、総統府国策顧問などを歴任。1995年から亡くなるまで台湾独立建国聯盟主席をつとめる。主な日本語の著書に『台湾民主国の研究─台湾独立運動史の一断章』(東京大学出版会、1970年)、『台湾総督府』(教育社歴史新書、1981年)、共著に『台湾の法的地位』(彭明敏、東京大学出版会、1976年)、『大中華主義はアジアを幸福にしない』(金美齢、草思社、1997年)、『続・運命共同体としての日本と台湾』(中村勝範他、早稲田出版、2005年)など。2011年11月17日、大動脈剥離による心停止のため急逝。


台南市が「王育徳紀念館」と「黄昭堂紀念公園」の設立準備

王明理(台湾独立建国聯盟日本本部委員長)

台南市では現在、王育徳紀念館の完成に向け、工事が進められている。場所は台南駅の近くで、昭和天皇が皇太子時代に滞在した台南州知事公邸(すでに復元されている)の斜め前に位置し、古跡指定された日本時代の家屋を修復して、これにあてる。完成は2018年9月9日を予定している。

一方、王育徳と共に日本で台湾独立運動を始めた黄昭堂は帰台後、台湾独立建国聯盟主席を務める傍ら、陳水扁時代の国策顧問に就任した。台南市は、黄昭堂の業績を讃えるため、かれの故郷台南市七股に大規模な記念公園を建設する。4月21日に地鎮祭が行われる予定である。

台南市は、「政治の首都・台北」に対して、「文化の首都・台南」を目指していて、その一環として、数々の日本時代の古跡を修復する工事をしてきた。林デパートや料亭鶯、上に述べた台南州知事公邸などがそれである。日本時代に整備された台南公園は、戦後、国民党政権によって中国風に変えられたが、頼市長は本来の姿に戻す工事を進めているところである。

・「黄昭堂紀念公園」予定地への交通

・4月21日午前9時からの「黄昭堂紀念公園」地鎮祭の式次第