20170222-011947年に台湾で起きた2・28事件では、弁護士や医者、新聞人など前途有為の青年ら約3万人がなんの罪もないまま蒋介石の国民党軍に虐殺されました。

門田隆将氏が昨年12月、日台同時発売した『汝、ふたつの故国に殉ず ―台湾で「英雄」となったある日本人の物語』(台湾版タイトルは『湯徳章 不該被遺忘的正義與勇氣』)は、日本人の父と台湾人の母の間に生まれ、2・28事件で犠牲となった弁護士の湯徳章氏(日本名:坂井徳章)を描いた力作で、本会でも取扱い図書としてご案内しています。

この湯徳章の父の酒井徳蔵(さかい・とくぞう)の出身地は熊本県宇土(うと)市。このたび、宇土市の「広報うと」2月号が『汝、ふたつの故国に殉ず』を大きく取り上げましたので、その全文をご紹介します。

なお、「広報うと」2月号では、元松茂樹(もとまつ・しげき)市長みずからも湯徳章について「自らの命をかけて不正と戦い、多くの台湾人を救った」と記し、下記のように本書を推奨されています。

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今回は皆さんにぜひ読んでいただきたい本を紹介いたします。ジャーナリスト門田隆将氏の著書『汝、ふたつの故国に殉ず』です。

今月の「うと学だより」で詳しく紹介していますが、宇土出身の父と台湾人の母を持つ湯徳章(日本名 坂井徳章)の物語です。

宇土の血をひく青年が70年たった今でも、台湾で英雄として語り継がれていること。このことは、本市の誇りでもあり、多くの市民の皆さまにこの本を通じて知っていただければと思います。


台湾の英雄 湯徳章のルーツ・宇土

【熊本県宇土市「広報うと」:2017年2月号「温故知新─うと学だより」(第30回)】

湯徳章(日本名 坂井徳章)という人物をご存じでしょうか。おそらく、彼の名前を知る人はほとんどいないでしょう。

昨年末、作家の門田隆将(かどたりゅうしょう)さんが『汝、ふたつの故国に殉ず-台湾で「英雄」となったある日本人の物語-』というノンフィクション作品を出版されました。日本人の父と台湾人の母の間に生まれ、日本と中国という大国のはざまで激動の時代を生き抜き、「英雄」として殉じた一人の青年弁護士・湯徳章の物語です。門田さんは著書の中で、徳章のルーツは宇土であると書かれています。

徳章の父・坂井徳蔵(とくぞう)は、明治8年(1875)に宇土町で生まれています。徳蔵の父・坂井民治(たみじ)は、宇土本町で酒造業や蝋燭(ろうそく)の原料となる櫨(はぜ)の栽培など手広く商売を行っていた宇土有数の資産家で、門内に屋敷を構えていました。民治は、明治22年に行われた第1回の宇土町会議員選挙で当選し、明治25年にも再選を果たした名実ともに宇土町を代表する名士でした。

民治の長男である徳蔵は、家業を継がず、坂井家を二人の弟に託し、日清戦争の勝利により日本が獲得した台湾に渡り、現地で警察官となりました。明治35年、徳蔵が27歳の時に台湾人女性の湯玉(とうぎょく)と結婚し、5年後の明治40年に長男・徳章が誕生します。しかし、当時はまだ日本人と台湾人の結婚は認められておらず、徳章は母の姓で育ちました。

大正4年(1915)、徳蔵が勤務する警察派出所が現地の暴徒に襲撃された西来庵(せいらいあん)事件で徳蔵は命を落とします。残された徳章は、父の志を継いで警察官になりましたが、昭和14年(1939)に高等文官試験の勉強のため妻子とともに東京に向かいます。東京では、父・徳蔵の弟にあたる坂井又蔵(またぞう)の世話になりながら、中央大学で法律を学び、当時最難関の国家試験と言われた高等文官「司法科」と「行政科」(現在の司法試験と国家公務員総合職試験に相当)に合格します。その後、昭和18年に台湾に戻り、台南(たいなん)市で弁護士として新たな人生を歩み始めます。

戦後、日本の統治下から離れた台湾には、中国・国民党軍が進駐します。国民党軍による1947年の台湾弾圧事件(二・二八事件)以降、民主化を求める台湾人と国民党軍の対立は激化の一途をたどります。当時、台南市の指導的立場にあった徳章は国民党軍に身柄を拘束され、厳しい拷問の末、銃殺により命を落としました。徳章は自身の命と引き換えに多くの市民の命を救い、死の間際には日本語で「台湾人万歳!」と大声で叫んで亡くなりました。

現在、台南市では英雄・徳章の命日にあたる3月13日を「正義と勇気の日」に制定し、亡くなった場所は「湯徳章紀念公園」と名付けられ、徳章の胸像が建てられています。