ノンフィクション作家の平野久美子さんに、牡丹社事件をテーマとする「145年の時空を超えて─牡丹社事件遺族の気持ちが、台湾に届いた!」を本会の機関誌「日台共栄」6月号に寄せていただいた。

牡丹社事件は狭義には、1871年(明治4年)、首里の琉球王府に年貢を納め終わった宮古島と八重山の貢納船が10月半ばに那覇を出港したあと台風に遭い、宮古島船1艘が台湾南東部の八謡湾に漂着。11月上旬、乗組員69名のうち、溺死した3名を除いた66名が山中をさまよった末にパイワン族の村へたどり着いたものの、54名が首をはねられて殺害された事件を指す。琉球漂流民殺害事件とも宮古島民台湾遭難事件とも称される。

ただし、その後の台湾出兵と日清戦争により台湾が日本に割譲されることとなり、この一連の歴史も広義的に牡丹社事件と称されている。

台湾に出兵した日本軍は、殺害された54名の宮古島島民を自国民として現地に「大日本琉球藩民五十四名墓」(屏東県車城郷統埔村統埔路39号)建立している。

来る6月26日、このお墓の前で屏東県政府が主催する日本と台湾の交流会が開かれ、八重山台湾親善交流協会沖縄支部の方々が芸能を奉納するという。地元紙の琉球新報が伝えているので下記に紹介したい。

なお、この記事に2012年に石垣市名蔵に「台湾農業者入植顕頌碑」が建立されたとある。この顕頌碑は、戦前の1935年(昭和10年)、台湾の農業者が石垣市名蔵に入植してパイン産業と水牛耕作という技術革新をもたらし、農業に多大な貢献をしたことから、それを讃えるための碑で、2012年8月10日に除幕式が行われている。

来る7月30日から石垣市を訪問される李登輝元総統は、この「台湾農業者入植顕頌碑」を訪問される予定だという。


台湾遭難犠牲者を慰霊 八重山交流協が芸能奉納へ

【琉球新報:2016年6月15日】

1871年に台湾屏東県に漂着し、先住民に殺害された宮古住民を慰霊しようと、八重山台湾親善交流協会沖縄支部(宮野照男支部長)が26日、「大日本琉球藩民五十四名墓」で催される交流会(屏東県主催)で芸能を奉納する。現地の人々も芸能を奉納する。宮野支部長は「この痛ましい事件が日台関係史の出発点だ。犠牲者を慰霊し、未来に向けて交流を進めたい」としている。

2012年に石垣市名蔵に「台湾農業者入植顕頌碑」が建立されたことを機に、同協会が13年に発足した。今回は芸能団24人を中心とする計37人で台湾を訪れる。26日夜には屏東県芸術館でも公演する。

墓前では「とぅばらーま」「無蔵念仏節」などの歌や踊りを奉納する。「とぅばらーま」は顕頌碑建立に関わった三木健さんが「肝(くぃむ)やふぁやふぁとぅ すらし給(た)ぼり(心安らかに癒やされてください)」などといった慰霊の歌詞を書いた。