nippon.comのコラムに、元朝日新聞台北支局長でジャーナリストの野嶋剛氏の「台湾・蔡英文新政権、5・20後の日台関係はどうなるか」が掲載されましたのでご紹介します。


20161519-015月20日、台湾では、馬英九・国民党政権から、蔡英文・民進党政権への政権交代が行われる。今回の政権交代の特徴の一つは、日台関係の緊密化に対する期待が、日本、台湾双方において、かつてないほど、高まっているところにある。中国とやや距離を置き、日米重視を掲げる蔡英文政権の方向性と、昨今の日本における台湾ブームの高まりが「化学反応」を起こしているようにも見える。同時に、中国の政府高官らの発言からは、日台関係の良好なムードに対し、中国がいささか神経を尖らせ始めていることがうかがえる。

その一方で、政権交代直前に起きた沖ノ鳥島近海での台湾漁船拿捕事件による緊迫した状況は、改めて日台間のなかで領土・領海問題による対立が起きる潜在的リスクがあることを印象づけた。そのなかで私たちは「5・20(政権交代の日)後の日台関係」をどのように見ていくべきなのかを考えてみたい。

「日華」と「日台」の二重構造
まず大前提として、台湾と日本の関係の難しさは、そこに「中国」が絡んでくるところにある。多少ストレートな言い方になるが、日台関係だけを取り出してみれば、その維持・発展にとって「中国」はしばしば阻害要因となる。それは、単に中華人民共和国政府が「一つの中国」原則から日本と台湾の過度の接近を嫌うだけではなく、台湾自身のなかにある「中国」的な部分が日台関係を揺るがすことと密接に関係しているのである。尖閣諸島(台湾名:釣魚台)や慰安婦、そして、沖ノ鳥島などの問題は、その象徴的なものだ。

この難しさを理解するには、日台関係における「日華」と「日台」の二重構造から説き起こさなくてはならない。「日華」とは「日本と中華民国」の関係であり、「日台」とは「日本と台湾」の関係のことだ。戦後の日本と台湾は「日華」と「日台」の二重構造を抱えて歩んできたことは、多くの台湾研究者が指摘してきた。そして、私の観察では、このところの日本と台湾の間柄において、「日華」の部分が強く出くると関係は脆弱化(ぜいじゃくか)し、「日台」の部分が強まると関係は安定化する、という傾向が総じて見られる。

ちなみに「日華関係」は台湾では「華日関係」と呼ばれず、「中日関係」になる。いまの台湾では「日中関係」といえばもちろん日本と大陸の中国との関係を指すことと理解されている。しかし、今日でも、台湾から国民党関係者が来日したとき「われわれ中日両国は・・・」とスピーチで語るシーンにしばしば出くわす。もちろん台北駐日経済文化代表処(台湾の大使館)の人たちは日本での習慣を熟知しているので必ず「日台関係」を使うが、台湾の外交的立場でいえばあくまで「中日関係(華日関係)」が正式な呼び方になる。

「日華」のトラブルと「日台」の深化
「日華」のなかで摩擦が生じやすい最大の理由は、中華民国がかつて日本と戦争し、日本を打ち破った連合国の一つであり、戦勝国(中華民国)対敗戦国(日本)という構図になるからである。中華民国的な歴史観からすれば、日本は日清戦争で台湾を無理矢理不当に奪った、ということになり、台湾そのものが対日関係において倫理的な批判材料になる。ほかの歴史問題や領土問題でも、中華民国としての台湾は日本に対して教条的に厳しく振る舞うことになる。日本は外交関係のない台湾を普段は中華民国とは意識していないため、トラブルに出くわすと「どうして台湾が中国のようにこれほど強硬に出てくるのだろうか」という戸惑いが広がる原因にもなっている。

一方、日本と台湾との間には、日本統治50年を経た上で地下茎のように複雑に絡み合った人間同士の交流があって、これが「日台」の中心にある。元総統の李登輝のように日本語教育を受けた台湾人、作家・陳舜臣のように戦後も種々の理由から日本で暮らし続けた台湾人、そして映画『湾生回家』で話題になった台湾で生まれ育った日本人=湾生らが支えてきたものだ。この「日台」には近現代史における日本と中国の矛盾があまり投影されないので、領土・領海問題や歴史問題などはイシューになりにくい。

戦後、1952年に日本は中華民国と国交を結んで、日本にとっての「中国」は外交的には台湾=中華民国であった。「日台」の人的つながりは続いていたが、1972年に断交するまで「日華」が表のコインで、「日台」はコインの裏にすぎなかった。その間、蒋介石・蒋経国の国民党政権は「日台」をできるだけ表面に出さず、時によっては「日台」的なものを「皇民化」批判のもとに台湾から洗い落とそうとする政治的運動も行われていた。

「日台」が主流化しつつある日本と台湾の関係
1972年の断交の後にも、公式関係において「日華」は後退、「日台」が「日華」の代替として表に出やすくなった部分はあったが、台湾側は変わらずに自らを中国の正統政権であるという立場を強調していたので、「日華」はコインの表であり続けた。表の世界で「日台」の存在感が強まってくるのは、1990年代に李登輝という日本統治時代を背負った政治家の登場を待たねばならなかった。特に総統としての安定期に入った1995年ごろから、李登輝は自らに内在する「日本」を積極的に語り始めた。司馬遼太郎の『台湾紀行』や李登輝自身の著書などで語られたその対日観は基本的に「日台」の論理を基調としたもので、日本人に広く好感を持たれる一方、台湾の中華民国派や中華人民共和国を不快にさせるものだった。

最近でも李登輝の対日関係の発言にあれだけ馬英九総統がかみついたのは、「日台関係」の政治家である李登輝と、「日華関係」の政治家である馬英九の意見が噛(か)み合ないからではないだろうか。例えば、尖閣諸島について領土意識は、民進党などの本土派に多い「日台」派にはそれほど濃くはないが、国民党などの「日華」派からすれば譲れないものである。沖ノ鳥島の漁船拿捕で、国民党の主導する対日批判に民進党が同調しているのも、彼らが制度上は中華民国の政党や行政官、立法委員である以上、どうしても政治の場のモラルでは中華民国的論調になってしまうからだ。この問題で、日本への強硬姿勢に慎重な見解を示した次期駐日代表の謝長廷に対しては、国民党支持の論者などから「皇民」という批判的な言葉が飛んだ。中華民国的価値観からすれば「皇民」という言葉は、「売国奴」の一歩手前ぐらいの強さがある。

しかし、総じていえば、李登輝の時代から日本と台湾との関係は、次第に「日華」から「日台」への比重を移すようになってきたことは間違いない。それは台湾自身の中国意識の減退と台湾アイデンティティーの隆盛がはっきりしてきたため、日本と台湾の関係でも「日台」が主流化しつつあるのだ。

興味深いのは、李登輝政権のあと2008年の政権交代の際、「反日」と取りざたされた馬英九総統の就任で日台関係の悪化が不安視された。結果的には、この8年間、日台関係は悪くならないどころか、尖閣諸島問題に絡んで画期的な日台漁業協定が結ばれ、長年の懸案だった故宮の日本展も実現した。日本、台湾双方から「断交以来(あるいは戦後)最も良好な日台関係」という見方が出ていた。ただ、陳水扁政権末期にも「最も良好」という評価はあった。これは、李登輝以来の日台関係が、諸問題をはらみつつも、「日台」を基調とした右肩上がりの上昇トレンドにあることを意味していると言える。昨今の相互の震災における支援=好意の交換という好循環は、基本的に「日台」の主流化というトレンドのもとに起きている事象と考えることができるし、日中が抱える近現代史の問題からも影響を受けず、人と人のつながりや感情を基軸にお互いを支える民間の「日台」意識が見事に結晶化したものであろう。

叙勲という非外交的な交流
今回の政権交代によって、基本的に「日華」よりも「日台」への指向性を持つと考えられる民進党政権が誕生し、日本と領土問題や歴史問題が起きても民進党は「国民党のように大騒ぎはしない」ということを暗黙のルールとして対日関係をマネージメントしようとする可能性が高い。その背後には、台湾に対して、日本が政策的な恩恵を与えてくれることへの期待もある。外交関係のない日本が、台湾側の期待に十分に応えられず、台湾側にストレスが生まれることもあり得る。陳水扁政権期には台湾にそうした不満も存在したと記憶する。

だが、日本の政府も当時と現在とでは状況が違い、いくつも台湾への好意を示す方法、カードを増やしている。最近刊行された拙著『台湾とは何か』(ちくま新書)で明らかにしているが、台湾関係者への叙勲がいい例だろう。台湾出身者に対しては1972年の断交以来、ほとんど行われず、中国に対しては比較的活発に叙勲が行われていた。国交の有無で差をつけていたのは明らかだった。

そこに変化が訪れたのが2005年の春だ。元台湾日本語教育委員会で、東呉大学客員教授の蔡茂豊に、日本語教育への長年の尽力を評価して「旭日中綬章」が贈られた。同年秋には、台日経済貿易発展基金会の李上甲理事長に、同じく「旭日中綬章」が贈られた。以後、叙勲対象者は増え続け、著名人では、2012年には、中国商業信託銀行グループを率いた辜濂松と、エバーグリーングループの創業者である張栄発に、それぞれ「旭日重光章」が授与された。2015年秋に「旭日重光章」を受けた彭栄次は李登輝訪日を裏で仕掛けた人物だ。親日派の経済人として有名な奇美実業の許文龍も「旭日中綬章」を受けた。

一方、2015年に「旭日重光章」を受けた江丙坤は、馬英九政権で対中国窓口として中台関係改善交渉の最前線に立った人で、李登輝時代の元駐日代表、許水徳は台湾人で過去最高ランクの「旭日大綬章」を受けた。そうかと思えば、司馬遼太郎の『台湾紀行』や小林よしのりの『台湾論』で、「老台北」として登場した蔡焜燦も「旭日双光章」を2014年に受章している。

ここから分かることは、日本政府は、台湾内の政治的立場を意識的に超越した形で、日台交流に貢献した人に叙勲を行うことで日台関係を長期的に強化する狙いを持っていることである。日本は台湾に対して「外交」ができない中、叙勲は「非外交」の部分で数少ない有用な手段だと言える。

蔡英文新政権で日台関係は過去最高に
日本と台湾との関係は決して単純な二者の関係にはとどまらず、米国、中国という大国の影響を受けざるを得ない。「台湾と日米中」という視点で見れば、米中関係は南シナ海問題で象徴されるように緊張をはらんでおり、米国は日本、台湾への戦略的重視を打ち出している。そこでは、日本としても台湾と付き合いやすい面が生じる。一方で、馬英九政権下での中台蜜月期のときは多少の日台の接近は鷹揚に見ていた中国も、民進党政権になって中台関係が冷え込むと日台への警戒心はより強く出てくるだろう。他方、岸田外相の訪中、年内の安倍晋三・習近平の首脳会談も視野に入れ始めた改善基調の日中関係のなかでは、中国も日本に過剰な批判をしにくい面もある。

また、本論の論旨からすれば「日華」への意識の薄い民進党政権では、これまでの国民党政権に比べ、日台関係は比較的トラブルが深刻化しにくい。日本にも「台湾ブーム」とも呼びうる昨今の台湾支持の世論に支えられ、政治の側にも戦略的かつ心情的に台湾を大切にしたい動機が働く。さらに現安倍政権の台湾重視は過去の政策・行動からみても疑いない。これら諸条件を総合的にみれば、蔡英文新政権での日台関係は過去以上に安定し、関係強化も図りやすくなる可能性が高いと筆者は考えている。従来は「一つの中国」原則の強い縛りのもとで制限の多かった日台関係において、台湾を核心問題の一つと位置づける大国・中国の反応や出方を慎重かつ丁寧に見極めながら、より積極的に「非外交」の分野、あるいは「外交」と「非外交」のグレーゾーンにおいて、日台関係の幅と深度を拡大する歴史的チャンスであるとも言えるだろう。

台湾における台湾アイデンティティーの隆盛は台湾の人々に「台湾の利益や尊厳を大切にしたい」というナショナリズムが強まっていることも意味している。日本側は、尖閣諸島、慰安婦、沖ノ鳥島など、日台間でくすぶっている諸問題への対処において、この台湾社会の趨勢を注視し、原則と柔軟性の両方のバランスを保ちながら改善トレンドを壊さぬよう、相互の対話を重ね、巧みにマネージメントしていってほしい。

民進党次期政権は、新しい駐日代表として、首相級である行政院長経験者で、2008年の総統選で民進党の公認候補として戦った謝長廷を派遣することを決めている。日本側は、大使役として交流協会の台湾事務所長に慣例で外務省の在外公館での大使経験者OBを中心に人材を派遣しているが、今後は台湾側の大物派遣に合わせた形で日本側もインパクトのある人事を検討してもいいのかもしれない。(2016年5月16日 記)

野嶋 剛  NOJIMA Tsuyoshi
ジャーナリスト。1968年生まれ。上智大学新聞学科卒。在学中に、香港中文大学、台湾師範大学に留学する。1992年、朝日新聞入社。入社後は、中国アモイ大学に留学。シンガポール支局長、台北支局長、国際編集部次長等を歴任。「朝日新聞中文網」立ち上げ人兼元編集長。2016年4月からフリーに。現代中華圏に関する政治や文化に関する報道だけでなく、歴史問題での徹底した取材で知られる。著書に『ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち』(講談社)、『認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾』(明石書店)、『台湾とは何か』(ちくま新書)、『故宮物語』(勉誠出版)等。