シンガポールのシャングリラホテルで11月7日に開かれた台湾の馬英九・総統と中国の習近平・国家主席の会談において、習氏は「92年コンセンサス(九二共識)の堅持」を呼び掛け、馬氏も「92年コンセンサスを強固なものとし、平和の現状を維持する」と応じた。

しかし、総統として当時の全貌を把握し、国家統一委員会や国家安全会議を主宰する立場にあった李登輝元総統自身が「そのような合意があったとは報告を受けていない」として、これまで公の場で何度も「92年コンセンサス」の存在を否定してきている。

例えば今年の5月2日、「台灣憲改藍圖會議」(台湾改憲青写真会議)に出席した際も、92年コンセンサスについて言及、中央通信社は下記のように報じていた。

<李登輝元総統は2日、“1つの中国”に関する両岸(台湾と中国大陸)の共通認識「92年コンセンサス」(九二共識)について、「(与党・国民党が)重ねて主張しているのは、中国に合わせるためだ」との考えを示し、「台湾は台湾で、中国とは関係がない」と述べた。
李氏は、そもそも合意自体が存在していなかったと主張。国民党が都合よく解釈できるよう、2000年当時に、台湾の対中国大陸政策を担当する大陸委員会主任委員(閣僚)だった蘇起氏が作ったものであるとした。>(5月3日付「中央通信社」)

また一昨日(11月14日)、民間団体主催の座談会に出席したときも「存在しない」と否定し、それを中央通信社が報じている。

李登輝総統はかつて、次のようにも説明していた。

<当時、中国との会談に出席した海峡基金会の辜振甫や許恵祐に聞いても、合意はなかったと言っている。これは2000年以後、蘇起・元大陸委員会主任委員が、国民党に都合よく利用させるために作り上げたものだ。>

海峡基金会理事長として中国との交渉に当たった辜振甫氏や、1992年に行政院大陸委員会主任だった黄昆輝氏(現台湾団結連盟主席)もその存在を否定していた。

1992年に黄昆輝・大陸委員会主任の下での副主任を務めていたのは誰あろう、馬英九氏だ。驚いたことに、当時、馬氏自身も「92年コンセンサス」を否定していたのだ。

これは今年5月3日付「サーチナ紙」で、如月隼人記者が5月2日の李総統発言を受けた記事の「解説」で明らかにしている。

<馬英九総統は1992年に行政院大陸委員会の副主任を務めていた。後になって「九二共識」が存在すると主張しはじめたが、92年の中国大陸側との交渉終了直後は、「ひとつの中国について、きちんと話し合えず、共通認識も成立しなかった。中国共産党側はわが方の政治的働きかけに対して誠意を見せなかった」と発言した。
同発言は台湾紙の中央日報が11月6日付で報じた。馬総統は1992年当時、台湾側で交渉を担当した海峡交流基金会が、「ひとつの中国について合意にはいたらなかった」と発表する前に、自らが大陸側との「共通認識」を否定したことになる。>(5月3日付「サーチナ」)

自ら「92年コンセンサス」の存在を否定しておきながら、習近平氏との会談では存在しない「92年コンセンサス」を振りかざして「強固なものに」と主張したのだから、開いた口が塞がらないとはこのことだ。

2003年4月16日、当時、総統府資政だった辜振甫氏は早稲田大学から名誉博士号を授与され、その記念講演で「92年コンセンサス」について触れ、「双方の解釈がかみ合わず、両岸の交渉は行き詰まったまま現在に至っております」と述べ、中国との「共通認識」を否定している。該当部分の発言は下記のとおりだ。

<台湾側の海峡交流基金会(海基会)は政府から全権を委託されて、1992年10月28日、中国の海峡両岸関係協会(海協会)と香港で会談致しました時、「一つの中国」が意味する内容についての双方の基本的認識が相異なるために議論がまとまるはずもなく、10月30日になってわが方から、「各自表述」、即ち各自が問題に対する各自の立場を口頭で説明することにして、果てしない政治的論争をこの辺で打ち切ることを提議致しました。当初、海協会はその場で確答をなさらず北京に帰って研究すると言われましたが、会談を切り上げた3日後に、北京から「そちらの提議を尊重し受諾
する」という電話があり、海協会はその旨機関紙新華報を通じて公表されたのであります。

そこで私どもは、この相互諒解(ACCORD)に基づき、「相互尊重、対等協商」という原則のもとにおいてまず両岸人民の権益に関する問題を取り上げるべく、海協会と交渉を進め、連絡ルートおよび連繋のための制度を構築することに努めました。1993年4月、シンガポールで辜汪会談が実現できたのは、この相互諒解があったからこそであります(ちなみに、92年の香港会談で達成したこの相互諒解は、従来「92年のコンセンサス」と呼ばれておりますけれども、政治に関する論争に終止符を打とうというのは、香港での討論の末生まれた知恵ではなく、わが方の提案を受け入れて頂いたわけでありますから、コンセンサスというよりは、ACCORDと言い換えた方が私は会談の真相を伝えていると考えます)。

ところが、せっかくこういう諒解が成り立ったにもかかわらず、その後、さまざまな政治的要素と上述のACCORDに対する双方の解釈がかみ合わず、両岸の交渉は行き詰まったまま現在に至っております。>(2003年5月22日付「台北週報」2096号)

このように、交渉当事者の辜振甫氏自身が述べて「92年コンセンサス」の合意を否定していたのだ。

馬英九氏を含めた当時の台湾側の李登輝総統はじめ、誰一人として合意を認めていなかった「92年コンセンサス」。それにもかかわらず、馬氏は習氏との会談で「92年コンセンサス」を持ちだした。その意図は、中国との統一以外に何を想定できるというのだろうか。明らかに台湾の民意に反しているし、中国との統一とは、すなわち中国による台湾併呑(へいどん)に他ならない。

本会メールマガジン『日台共栄』第2526号より