大東亜戦争には約20万名の台湾出身者が軍人・軍属として出征、30,304名が尊い命を日本ために捧げられた。現在、靖國神社にはそのうちの27,864名の方々がご祭神としてお祀りされている。

台湾には台湾出身戦歿者を祀るところとして、台中市・宝覚禅寺境内に建立の「霊安故郷碑」(李登輝総統揮毫)、新北市・烏来の高砂義勇隊慰霊碑(李登輝元総統揮毫)、新竹市・北埔郷の南天山済化宮、高雄市・旗津の戦争と和平記念公園など4ヵ所あると言われている。

日本にも靖國神社以外に、広島県の比治山陸軍墓地に昭和39年(1964年)10月に建立の「大東亜戦争台湾出身戦没者供養碑」があり、また東京・奥多摩町の小河内ダム(奥多摩湖)畔の笠松展望園にも慰霊碑と慰霊塔が建立されている。

奥多摩のこの慰霊碑は昭和50年(1975年)8月、蕃刀を象った慰霊塔は同53年(1978年)11、台湾出身戦歿者慰霊祭奉仕会によって隣り合うように建てられている。

しかし、近年は慰霊祭が行われていないことを知った東京台湾の会の喜久四郎会長(現在、名誉会長)は平成23年(2011年)年5月、有志の方々と執り行い再興する。

その後は台湾協会や本会とともに慰霊祭を行っていて、慰霊碑建立40年という節目の年の今年も5月28日に執り行う。ちなみに、昨5月11日付の毎日新聞「余禄」がこの慰霊碑と慰霊塔について取り上げているのでともにご紹介したい。

平成27年「台湾出身戦没者慰霊碑参詣」のご案内

【台湾協会報:平成27年4月15日(第727号)】

台湾協会は、東京台湾の会、日本李登輝友の会と共催で、次の通り台湾出身戦没者慰霊碑・慰霊携参詣を計画しています。皆様奮ってご参加下さい。

*雨天中止(中止の場合は、天気予報に基づき前日ご連絡致します)

◆日時・場所:5月28日(木)

  11時50分  JR奥多摩駅集合
  12時05分  路線バス乗車
  12時30分  峰谷橋到着、下車
  13時~    慰霊碑前にて慰霊祭
  13時30分過ぎ~  馬頭館にて昼食と懇親会
  15時30分頃  散会

◆会費等:無料

◆お申込:5月15日(金)まで

◆連絡先:台湾協会(電話03-3200-8116)


余録:大型連休中、新緑の東京・奥多摩を歩いた…

【毎日新聞:2015年05月11日 東京朝刊】

大型連休中、新緑の東京・奥多摩を歩いた。奥多摩湖にかかる橋のたもとから、急な林道を15分ほど上り、台湾出身戦没者の慰霊碑にたどり着いた。慰霊碑から湖を見下ろすと、生い茂った杉林の間からわずかに湖面が見える。

「あなた方がかつてわが国の戦争によって尊いお命をうしなわれたことを深く心にきざみ永久に語り伝えます」。40年前の1975年8月、日本の民間有志が建立した大理石の碑だ。隣に設置された慰霊塔はかつて「高砂(たかさご)族」と呼ばれた台湾の先住民が持つ蕃刀(ばんとう)を模したものだ。

先の大戦では20万以上の台湾人が軍人、軍属として徴用され、約3万人が死亡したが、戦後、国籍を失ったため、補償の対象にならなかった。74年12月、インドネシアのジャングルに30年近くも潜伏していた先住民出身の中村輝夫(なかむらてるお)(民族名・スニヨン)さんが発見され、台湾出身元日本兵の存在が改めてクローズアップされた。

慰霊碑建立の中心だった弁護士の越山康(こしやまやすし)さん(故人)は初めて1票の格差訴訟を起こしたことで知られる。建立当時の経緯ははっきりしないが、関係者は「台湾人が平等に扱われていないことが許せなかったのではないか」と話す。

77年には台湾人元日本兵の戦傷者や遺族が補償を求める裁判を起こしたが、敗訴した。80年代になって議員立法で弔慰金支給が決まり、約3万人の台湾人遺族らに1人当たり200万円が支払われたが、日本人との格差は残った。

湖を望む奥多摩の地は台湾の景勝地、日月潭(にちげつたん)に似ていることから選ばれたという。今月28日には現地で法要が営まれる。戦後70年。語り継ぐべきことは多い。