2014102710月26日午後、病気療養中だったNPO法人岡崎研究所の理事長・所長で本会副会長をつとめる岡崎久彦氏が身罷られた。享年84。

平成14(2002)年12月に本会を設立するにあたり、李登輝元総統はじめ台湾要人からも信頼の厚い岡崎氏に本会副会長をお願いする書面を差し上げた。しかし、その直後、岡崎氏の名前も挙げて本会設立のことが報道された。岡崎氏を訪ねると「僕はこれまで団体には加わらない方針でやってきたけど、新聞に名前が出ては断るわけにもいかない」と副会長をお引き受けいただいた。

その後、虎ノ門の海洋船舶ビルにあった岡崎研究所を訪ねたおり、玄関の入口からよく見えるところに「鷹は群れず」と流麗な筆致で大書としてある扁額に気づいた。岡崎氏に「あの書は?」と尋ねると「あれは、僕が書いた」と言う。得心が行った。産経新聞がそのことに触れ、今朝の1面で追悼記事を掲載しているのでご紹介したい。

今回、李元総統が来日されることが決まったことをお伝えすると「ようやく集団的自衛権が閣議決定されたので、後は周辺の法整備。台湾のことはもう少し待ってください。それが済んだらやりますから。でも、来日されるとなるとお金がかかるでしょう、奉加帳を回してください」と言われる。有難いお申し出だった。

本会や台湾関係のことだけでも思い出は尽きない。これまでのご指導に心から感謝申し上げるとともに謹んで哀悼の意を表します。


外交評論家の岡崎久彦氏が死去 安倍首相のブレーン 第11回正論大賞受賞

【産経新聞:2014年10月27日】

鋭い戦略眼で国際関係を論じてきた正論大賞受賞者の外交評論家、岡崎久彦(おかざき・ひさひこ)氏が26日、東京都内の病院で死去した。84歳だった。葬儀、告別式は近親者で済ませ、後日、偲ぶ会を開く。喪主は妻、昭子(あきこ)さん。連絡先は東京都千代田区永田町2の9の8の505、岡崎研究所。

中国・大連生まれ。東大在学中に外交官試験に合格し、昭和27年に外務省に入省した。情報調査局長、駐タイ大使などを歴任した。現役時から、有数の論客として、透徹した情報分析に基づいた「岡崎理論」を展開し、退官後に一気に花開いた。

対米関係の重要さを一貫して訴えた。冷戦終結後、日米安保条約の見直し論が散見したとき、日英同盟廃棄(大正11年)によって日本が軍国主義の道を歩んでいった当時の状況を敷衍して強く警告した。

日本の首相の靖国神社参拝には賛成しながらも、併設されている遊就館から反米展示の撤去を求め、靖国のあり方に一石を投じたこともある。

日本と中国が緊張関係にある東アジアの安全保障についてはつねに現実的、戦略的な視点で論じてきた。

平成7年に第11回正論大賞を受賞、その他にも多くを受賞しながら、「鷹はむれず」を自ら理事長・所長を務める岡崎研究所のバックボーンとした。

安倍晋三首相のブレーンであり、晩年は集団的自衛権行使容認に向けて設置された「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」のメンバーとして積極的に発言した。7月1日、行使容認の閣議決定後、首相の記者会見をテレビ中継で見ながら「35年間、戦いつづけてきた目的が達成された」と涙ぐんだという。