20111117-01黄昭堂・台湾独立建国連盟主席が11月17日午前11時20分ごろ、台北市内の病院で急逝された。79歳。

台湾独立建国連盟本部(台北市杭州南路一段27号)では、毎日午前9時から午後6時まで祭壇を設け弔問を受け付ける。期間は週末も含めて一週間程度の予定。

なお、告別式は12月3日(土)午前9時より、台北市内の第二殯儀館(台北市辛亥路三段330号)・景仰庁にて。また、同日午後2時より、台北市内の大稲埕長老教会(台北市甘州街40号)にて追悼ミサを執り行う。

黄昭堂主席は17日午前、市内の病院で鼻の手術を終えた後、回復室で休憩中に心臓が停止。台湾大学病院へ救急搬送されたが午前11時20分、死去された。

1932年(昭和7年)、台南生まれ。台大経済系を卒業後、東大留学中に王育徳氏らとともに台湾独立運動に参加したため、国民党のブラックリストに載りパスポートを剥奪される。東大で修士および博士を取得した後、都内の大学で講師を歴任し、昭和大学教授(退職後、名誉教授)。李登輝総統が民主化を進め、ブラックリストを解除した1992年、34年ぶりに台湾に帰国。1995年から台湾独立建国連盟主席、2000年の民進党政権誕生後は総統府国策顧問も務めた。

本会が11月上旬に開催した第16回・李登輝学校研修団では4日に講義をしていただき「来年の1月、蔡英文さんは勝ちますよ。心配ない」とお元気に喝破される姿を見たばかり。その洒脱でユーモアに富んだ話しぶりで、台湾、日本を問わず多くの人々の敬愛を集めた。

亡くなる前夜も蔡焜燦・李登輝民主協会理事長らと食事し、夜には許世楷・前駐日大使と電話で会話したばかりだった。黄主席はもともと心臓病と高血圧を抱えており、それが急死に繋がったとみられている。死去後まもなく、蔡英文・民進党主席が台大病院へ弔問に駆けつけている。18日に退院予定の李登輝元総統へも群策会の王燕軍・秘書長を通じて早い段階で知らされたという。

台湾独立建国連盟には許世楷・前駐日大使や羅福全・元駐日大使、辜寬敏・新台湾国策シンクタンク理事長ら、盟友が駆けつけた。夕方には祭壇が設けられ、多くの人が弔問に訪れた。

なお、台湾独立建国連盟が発行したプレスリリースはこちら