台湾独立運動の創始者は、台湾の言語学者で明治大学教授などを歴任した故王育徳博士(1924年1月30日〜1985年9月9日)で、発祥の地は日本だった。

228事件で、台湾人初の検事だった実兄の兄の王育霖が無実の罪で殺され、自分にも命の危険が迫ったことを知り、1949年に25歳で日本へ亡命する。

1960年2月、台南一中の教師時代の教え子だった故黄昭堂氏たちと「台湾青年社」を設立、台湾独立運動をはじめた。運動のバイブルとされた「台湾青年」をその年の4月から発行しはじめ、この「台湾青年」によって、許世楷(元台北駐日経済文化代表処代表)、故周英明(東京理科大教授)、金美齢(評論家)、宗像隆幸(アジア安保フォーラム代表幹事)、黄文雄(文明史家)、連根藤(「台生報」編集・発行人)など多くの有為の人材が育っている。

戒厳令下の台湾が蒋介石による白色テロが横行していた1964年、命を賭して著した『台湾─その苦悶する歴史』は、半世紀もの間、台湾の歴史を学ぶ者のバイブルとして読み継がれ、ひまわり学生運動(太陽花学運)の学生たちも読んでいたという。

現在、行政院院長をつとめる頼清徳氏が台南市長時代、同じく台南出身の王育徳博士の記念館を台南市内に建てることを発意、2年前に着工し、亡くなって33年目のご命日を迎えた昨日(9月9日)、王育徳記念館の開館式典が行われた。

仙台市長や国際教養大学教授をつとめた本会常務理事の梅原克彦氏は現在、台南市の中信金融管理学院客員教授をつとめ、台南市に在住していることから開館式に参列し、その模様についてお伝えいただいた。

<本日の開館式には、故・王育徳先生の御遺族である王雪梅・令夫人(大正14年生まれ)、王明理・台湾独立建国聯盟日本本部委員長(日本李登輝友の会理事)らの他、張燦鍙・李登輝民主協会理事長(元台南市長)、羅福全・台湾安保協会名誉理事長(元台北駐日経済文化代表処代表)御夫妻、林俊憲・民進党立法委員(次期台南市長選挙立候補予定者)、郭貞慧・台南市台日友好交流協会理事長らの台湾各界有力者はもとより、台南市政府側から副市長、文化局長等の幹部が出席。出席者約300人の盛大な開館セレモニーとなりました。>

梅原氏は日本のマスコミ各社(朝日、毎日、読売、産経、共同、時事)台北支局長も取材に駆けつけたと伝えていて、すでに産経新聞が記事にしているので下記にご紹介したい。

なお、王育徳博士の自伝『「昭和」を生きた台湾青年』(草思社、2011年)は、近代化に邁進する日本統治時代の台湾にありながら、清朝時代の因習などが色濃く残る台湾社会が王育徳青年の目をとおして生き生きと描かれている名著と言ってよい。実兄の王育霖氏のこともかなり詳しく描かれている。

ただし、王育徳博士の筆は1949年7月4日で止まっており、その後、1985年に亡くなるまでの軌跡は次女の王明理氏が編集協力者として書き継いでいる。

下記の産経新聞の記事に「61年には、後に総統となる李登輝氏が訪日して秘密裏に面会しており、記念館の入り口には『台湾の将来について語り合った』という李氏のメッセージも掲げられた」とあるが、『昭和を生きた「台湾青年」』には、そのときの模様が詳しく書かれている。

◆王育徳紀念館
 台南市中西區民権路2段30號
*台南公会堂のある呉園という名園の池の畔

 開館日:毎週 水・木・金・土・日
 休館日:毎週月曜と火曜 及び 年末
 時 間:午前9:00 〜午後5:00
 入場料:無料

◆王育徳(おう・いくとく) 1924年、台湾・台南市生まれ。1943年10月、東京帝国大学文学部支那哲文学科入学、翌年、疎開のため帰台。1949年、日本へ亡命。1950年、東京大学文学部中国文学語学科再入学。1960年、東京大学大学院博士課程修了(文学博士)。1960年、「台湾青年社」創設。機関誌『台湾青年』発行。台湾独立運動に尽力。1975年「台湾人元日本兵士の補償問題を考える会」発足。事務局長を務める。明治大学商学部教授のほか、他大学で「台湾語講座」など多くの講義を受け持つ。1985年死去。主な著書として、『台湾語常用語彙』(永和語学社、1957年)、『台湾一苦悶するその歴史』(弘文堂、1964年)、『台湾語入門』(風林書房、1972年)、『台湾語初級』(日中出版、1983年)、『台湾海峡』(日中出版、1983年)、『台湾語の歴史的研究』(第一書房、1987年)などがある。
 *『王育徳の台湾語講座』(2012年、東方書店)より。


台南に台湾独立運動家の記念館 亡命先の日本で生涯終える

【産経新聞:2018年9月9日】

戦後、日本に亡命し「台湾独立」運動に注力した台湾の言語学者、王育徳(1924〜85)の記念館が出身地の南部・台南市に完成し命日の9日、開館式が行われた。王は87年まで続いた戒厳令で当局の「ブラックリスト」に入り台湾に戻ることができず、日本で死去した。都内在住の妻、王雪梅さん(93)は「この日を迎えられて夢のようです」と話した。

王育徳は日本統治下の台湾に生まれた。台湾を接収した中国国民党政権が台湾住民を弾圧した2・28事件で兄が殺害されたことを受け、49年に日本に亡命。台湾の言語や歴史を研究する一方、1960年に雑誌「台湾青年」を日本語で発行し、独立運動に影響を与えた。

記念館は台南市内の公園内の施設を改装。都内の自宅の書斎を移設したほか、原稿や身の回りの品など約300点を展示している。61年には、後に総統となる李登輝氏が訪日して秘密裏に面会しており、記念館の入り口には「台湾の将来について語り合った」という李氏のメッセージも掲げられた。

中央研究院近代史研究所の陳儀深副研究員は「王氏の論考には今日でも参考に値するものがある」と指摘。著作の中国語への翻訳で、影響は「徐々に大きくなっている」と話した。