「2012年を目処に中国が台湾を併呑する可能性が高まっています。国民党の馬英九政権の下で進行中の、予想をはるかに超える台中接近は中国の思う壷です。台中接近を推進する中国の圧力に、馬総統は耐えることが出来ず、物事は中国の狙いどおりに進んでいます。胡錦涛は台湾吸収で歴史に名を刻み、国家主席の座を完璧な形で退きたいと考えているはずです」

台湾野党、民主進歩党の国際部首席副主任の賴怡忠氏が懸念する。

氏の指摘のように、中台の接近振りは尋常ではない。今年4月、中台交流促進のために直行フェリー、直行航空便の大幅な拡大が合意された。フェリーだけを見ても、01年に直行フェリーが開始されたとき、年間2万人が往来した。今年は6月末で60万人を突破し、1年間で120万人を超える見込みだ。

5月には台湾海峡西岸経済区に金融センターを設置することが中国側によって決定された。同経済区の構築は温家宝首相の下の国務院常務会議が決定した。目的は中国マネーを台湾に投資する際の規制緩和である。

中国側の決定に、間髪を容れず馬英九政権が応えた。野党の反対を押し切って、6月30日中国資本の台湾投資を解禁したのだ。結果、台湾の株価、不動産は値上がりし、その延長線上で、いま、馬総統は来年前半までの経済協力枠組み協定(ECFA)の締結を目指している。

ECFAは自由貿易協定(FTA)と同趣旨のもので、自由貿易、投資促進、知的財産権の保護などを柱とする。経済交流を深め、問題発生時の解決のルールを定めるものだ。FTAではなくECFAの形をとっている理由はひとつ、中国が台湾を国家として認めず、一地域と見做しているためだ。賴氏が憤る。

「台湾人の半数以上が馬総統の性急なやり方を懸念しています。80%の国民は、自分たちは台湾人だ、中国人ではないと考えています。しかし、ヒト、モノ、カネの交流拡大で、渦に吸い寄せられていくように、台湾は中国に手繰り寄せられていくのです。問題は、単に中国資本に台湾企業が買収されてしまうことにとどまりません」

中台摩擦を恐れる米国

賴氏の主張はざっと以下のとおりだ。中国資本が台湾企業を買収する過程で、台湾企業経営陣の人事を左右し、台湾人の心への支配が始まっているというのだ。

「人心が中国の支配下に置かれるという最悪の状況が出現しています。さらに深刻なのは、このような状況を米国が奨励していることです」

米国が中台間の摩擦を極端に恐れ、忌避しようとしているのは確かだ。ちなみに、米国が恐れるのはそれだけではない。日中の摩擦についても同様である。米国の台湾政策は、米国の対日政策とも通底しているということだ。

「米国は台湾事情に十分な注意を払っていないから、事態の深刻さがわからないのです」

氏は、在台湾アメリカ商工会議所の影響についても語る。およそすべてが、反台湾親中国の路線に沿っていると言うのだ。

「アメリカ商工会議所は台湾人の陳水扁前総統が米国とFTAを結ぼうとしたとき、台湾にその資格はない、陳政権は政治宣伝として利用したいだけだと大反対しました。馬政権になったとき、手の甲を返して賛成しました。オバマ大統領は必ずしもFTAの支持者ではないため、台米交渉は進んでいませんが、アメリカ商工会議所は、ひとえに馬政権が中国系の国民党だということで、支持するのです」

なぜ、彼らは反台湾親中国なのか。

「アメリカ商工会議所の会員は、確かに米国籍の経済人が構成しています。しかし彼らは、中国系米国人なのです。米国籍ではあっても、中国に強いシンパシーをもつ人々だといってよいでしょう」

無論、全員が中国系米国人であるとは限らない。しかし、賴氏がこのように考える背景には、米国が全体的に中国に傾斜しているという状況もある。保守系シンクタンク、ヘリテージ財団のS・イエーツ氏が語った。氏はチェイニー前副大統領の補佐官を務めた人物だ。

「オバマ政権は基本的に馬英九政権の中台政策を支持し、馬氏の中国との取り決めには反対しません」

馬政権の急激な対中接近も是とするということだ。米国防大学国家戦略研究所上級研究員のJ・プリスタップ氏は、中台の政治的関係が改善されても台湾に照準をあわせたミサイルは増え続けていると警告した。

「米国は台湾問題で中国との紛争に巻き込まれたくないのです。台湾の将来を決定するうえで住民の声を聞くべきなのは言うまでもありません。しかし、如何に民主的選択であっても、どんな結果を招くのか、予想がつかない。米国は、台湾支援と、対中関係のバランスをとらなければならず、簡単に答えは出ないのです」

李登輝元総統のメッセージ

自分は中国人ではなく台湾人だと考える台湾国民が、選挙などを通して中台統一を拒否し、台湾独立を主張するとき、米国は台湾の側に立つとは簡単には言えないというのだ。

ジョージタウン大学客員教授のR・サッター氏はもっと直截だ。

「米国では馬政権の対中姿勢は広く支持されています。オバマ政権は中国との摩擦回避に集中し、台湾にテコ入れする気はないと思います。

陳前総統は中国非難で自分の政治的立場を強化しようとした。自らの立場強化のために米兵の命を危険に晒そうとした。彼は米国議会の親台湾派を分裂させたのです」

サッター教授は「こんな人物は潰さなければならない」とまで述べたが、同教授ほどでなくとも、米国が中台間に摩擦を起こさせないことに腐心しているのは明らかだ。

その台湾から李登輝元総統が東京青年会議所等の招きで来日した。9月5日、東京日比谷公会堂で坂本龍馬の「船中八策」について語り、現在の日本への提言と重ね合わせて約2時間、2千余の聴衆に語りかけた。

今年86歳、堂々とした日本語で語る姿は、旧きよき日本の、しかし、現在の日本が失って久しい、教養と国家観を備えた指導者の姿そのものだった。

氏のメッセージは、類例のないすばらしい日本の文化文明と自主独立の精神を取り戻し、敗戦の意気地なさに埋まることなく立ち上がれ、政治的志を立て、真に日米対等の関係に踏み込めというものだ。

日本を深く理解し、このように応援してくれる政治家が他にいようか。日本の現状を憂うる李元総統のメッセージは、氏がこの上なく愛する祖国台湾にも向けられている。台湾と日本の命運が大きく重なってみえた講演から、日台ともに正念場に立たされていることを痛感した。

『週刊新潮』 2009年9月17日号 日本ルネッサンス 第378回