25日、台湾少年工として日本でもよく知られている台湾の台湾高座台日交流協会(李雪峰会長、略称:台湾高座会)が8月15日付で「NHKの偏向番組に対する抗議と訂正要求」が出されていることが分かった。

台湾少年工出身者でつくる台湾高座台日交流協会は、日本の高座日台交流の会(佐野た香会長)と密接な交流を続けている。今年も高座日台交流の会の方々を招いて11月15日に台湾中の少年工出身者が集まる年次大会を開催するが、その案内状に「NHKの偏向番組に対する抗議と訂正要求」が同封されていたことで判明した次第だ。

NHK「JAPANデビュー」問題では、これまで台湾からは当該番組に出演した柯徳三氏や藍昭光氏、張俊彦氏ら6名が「NHK番組『JAPAN・デビュー』に対する抗議と訂正を求める文書」をNHKに送り、やはり出演者でパイワン族の許進貴氏と高許月妹氏、通訳を務めた陳清福氏が元牡丹郷長の華阿財氏とともに6月21日付でNHKに対して抗議と訂正を求めている。

また、台湾において「美しく正しい日本語を台湾に残そう」という趣旨で活動している友愛グループ(陳絢暉会長)も80名の賛同署名を添付し6月20日付で「NHKへの抗議と訂正を要望」書を提出し、さらに台湾歌壇(蔡焜燦代表)も60名の賛同署名と短歌を付して7月15日付でNHKに対して「NHKの偏向番組に対して抗議し訂正を要求」という書面を送っている。

台湾高座会は台湾全土に20の区会を持ち、未だ1,000名以上の会員を擁する、台湾の日本語世代を代表する会だ。「NHKの偏向番組に対する抗議と訂正要求」には「台湾高座会の由来」という一文も添付されていたので、併せてご紹介したい。

李雪峰会長は柚原事務局長に「あのような偏向番組をつくりながら、ディレクターの濱崎憲一氏らが隠密裡に、私たちとも親しい柯徳三さんたちに抗議取り下げをお願いしていた。番組に問題がないというなら、なぜそのような卑劣な行動をとるのか」と怒りを露にしている。
なお、本会をはじめ台湾からの抗議と訂正を求める一連の文書は、本会ホームページ上で紹介しています。


  2009年8月15日

 日本放送協会 会長 福地茂雄 様

 台湾高座台日交流協会 理事長 李雪峰

 NHKの偏向番組に対する抗議と訂正要求

貴職ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。平素は世界の放送文化の向上に格別のご尽力を賜り厚くお礼申し上げます。

さて、貴協会が去る4月5日に放送した「JAPANデビュー─アジアの一等國」は、かつては日本国民であり、今も日本に親愛の情を抱いている私たちを大いに悲しませるものでした。またNHKとは、公正で偏見のない放送を行うという、私たちの信頼を裏切るものでした。

NHKが台湾のことを真正面から取り上げると聞いた私たちは、期待をもって番組を見ました。しかしその内容は、日本の台湾統治に対する悪口に始まり悪口に終わるもので、全く実態を映していません。確かに日本統治の50年間には偏見もあり、差別もありました。ただその暗い面だけを取り上げて、他の優れた面を全く放送しない番組は、偏向と呼ばれても仕方がないでしよう。

NHKのインタビューを受けた人たちは、その多くが私たちの知人です。彼らも大いに怒っています。そして放送内容の訂正を要求しています。しかしNHKはその要求に応えないばかりか、「番組に問題はない」と居直りとでも言える態度を取っています。

その奢り高ぶった態度が、さらに私たち台湾人の怒りを高め、悲しみを深くさせるのです。台日を結ぶ最大の交流団体を自負する私たち台湾高座台日交流協会は、ここに会員の総意をもってNHKが「JAPANデビュー・アジアの一等国」の放送内容を謙虚に反省し訂正されることを要求します。 (台湾高座台日交流協会については別紙をご参照下さい)

それこそがNHKの信頼を回復する道であり、それを否定することは番組が主張する「一等国民としての奢りが日本を破滅させた」という過程をNHKが歩むことになると私たちは考えます。ここに私たちは、台湾と日本の今後の友好交流のために、貴協会の善処を要求し、貴会のご回答を文書でお願いします。


台湾高座会の由来(NHKの今回の放送内客とあまりに異なる台日交流史)

昭和18年、迎撃戦闘機「雷電」を製造する高座海軍工廠が当時の神奈川県高座郡に新設されるのを機に、海軍はその労働力を、向上心に富む台湾の青少年に求めました。

働きながら勉強すれば、旧制中学や工業専門学校の卒業資格を得られるという条件に魅力を感じ、13歳から20歳の青少年が応募、8400名が合格、厳しい訓練を受けて全国の航空機製造現場へ配属され、雷電・零戦・月光などの生産や修理に従事しました。

戦い我に利あらず、日本は敗戦の憂き自に会い、少年工は郷里に帰りました。志願して、日本まで行き飛行機を作っていたということで、戦後やってきた国民党政府には、疑いの目で見られましたが、少年工は持てる技術と精神力を活かし、台湾の復興発展に貢献しました。

爆撃を受けたりして戦病死した者、60数名。戦後、それを不憫に思った高座海軍工廠の早川金次技手は、台湾を慰霊行脚するだけでなく、戦災に遭った平塚の自宅を再建する前に、大和市上草柳の善徳寺の一隅に、「戦没台湾少年工の慰霊碑」を建設されました。このことは全島の台湾少年工に深い感銘を与えました。

白色恐怖の国民党統治が終わると、少年工は各地に高座会を創立、20地区の連合体・台湾高座会、現在の台湾高座台日交流協会が結成されました。以来年次大会を各区会が持回りで行い、今では台日交流の大きな場になっています。

1993年には渡日50周年を記念して「第二の故郷」大和市を1300名で訪問、大和市民1800名と交流し、記念に贈った「台湾亭」は現在、市民の憩いの広場にあって、観光スポットとなりました。また2003年の渡日60周年記念の里帰りには遅れていた卒業式、表彰式が挙行され、「仰げば尊し」を参加者全員が涙を浮かべ斉唱しました。

最後に亡き友の詠んだ日本時代を懐かしむ短歌を披露します。

我が波乱の人生のその一こまに 大和村なる少年期 元少年工 洪坤山

北を向き年の始めの祈りなり 心の祖国に栄えあれかし 洪坤山

年毎に栄える大和は青春の 我を育てし第二の故郷 元少年工  蔡龍鐘

いわし雲海の向こうに懐かしき 父母の幻雲の間に見ゆ 蔡龍鐘

なお、このことは、2005年10月、NHKのラジオ深夜便「心の時代」に高座日台交流の会、石川公弘事務局長が出演、2日間にわたり放送され、非常に好評で再放送されました。さらに「ラジオ深夜便こころの時代」(第1号)として出版されたこと申し添えます。