台湾 高士村
華阿財様  許進貴様  高許月様  陳清福様

去る4月5日(日)夜9時から放送しましたNHKスペシャル「シリーズ・JAPANデビュー 第1回 アジアの“一等国”」につきましては、取材の段階からたいへんお世話になり、ありがとうございます。あらためて御礼申し上げます。

さて、片倉佳史様を介して、主に1910年の「日英博覧会」について質問を記されたお手紙を受け取りました。番組の統括責任者である私が、以下お答えいたします。

いうまでもなく、私どもは、パイワン族の方々、また高士村の方々の尊厳を傷つけるような気持ちは全くありません。お手紙には「高士村で、長年受け継がれてきた、博覧会をめぐる美しい記憶が、なぜ今になって『人間動物園』として扱われてしまったのか」とあります。このご質問は、「日英博覧会」についての誤解から生まれているのではないかと考えます。

少し長くなりますが、当時の博覧会をめぐる海外、また日本国内の状況から説明させていただきます。この説明の中には、パイワン族の方々、高士村の方々にとっても心地よくない内容や用語が出てくるかと思います。現代とは状況や価値観が異なる百年前の時代の説明であるという前提で、受けとめていただきたいと思います。

1870年代以降、野生動物商人のドイツ人、カール・ハーゲンベックが、パリやロンドン、ベルリンなどヨーロッパ各地の動物園で、人間の「展示」をおこない、大人気を博します。

例えば、パリの「馴化園」という動物園では、1870年代から1910年代にかけて、植民地統治下の諸民族を園内で生活させ、その様子を客に見せ、動物園の呼び物としていました。こうした動物園の中での人間の「展示」が、博覧会などで植民地の諸民族の生活を見せる「人間動物園」につながります。

「人間動物園」とは、西洋列強が、植民地の人間を文明化させていることを宣伝する場所でした。当時の列強には、「一等国」として「文明化の使命」を果たしているという意識がありました。「すべての人種は等級づけることができ、ある人種は他の人種よりも動物に近い」という社会進化論の思想が支配的でした。

日本は、西洋列強と同じ「一等国」をめざしていました。植民地を文明化させることが、日本が世界から近代国家として認められる条件の一つでした。当時の首相、伊藤博文も、台湾の統治が、一等国をめざす日本の命運を握っていると考え、「台湾の統治に失敗すれば、日の丸の御旗の光が失墜する」と語っています。

台湾領有から15年後に開催された日英博覧会は、日本にとって植民地統治の成果を世界に示す絶好の機会でした。つまり、台湾を徐々に文明化させていることを示すチャンスだったのです。そこで、日本は、イギリスやフランスの「人間動物園」をまねて、植民地統治下にあるパイワン族の生活を見せました。

日本にとって、こうした人間の「展示」は1910年の日英博覧会が最初ではありません。日本国内では、日英博覧会の7年前、1903(明治36)年、大阪で開催された第5回内国勧業博覧会において、「台湾生蕃」(これは当時使われていた用語です)や「北海道アイヌ」を一定の区画内に生活させ、その日常生活を見せ物としました。この博覧会の趣意書に「欧米の文明国で実施していた設備を日本で初めて設ける」とあります。

当初、清国や沖縄などの人びとについてもその生活の様子を見せる予定でした。しかし、清国や沖縄から中止を求める強い抗議がおこります。駐日清国公使からは「支那の風俗として阿片の吸引や、婦人の纏足を見せ物にすることは侮辱だ」と日本政府に申し入れがあり、清国人については開館前に中止になります。また、沖縄でも、「台湾の生蕃や北海道のアイヌと同一視するもの」(琉球新報)として抗議が繰り広げられ、こちらは会期中に中止されます。こうした騒ぎは、いわゆる「人類館事件」として知られています。一方、「台湾生蕃」や「北海道アイヌ」については中止されませんでした。こうした展示方法は大正期の「拓殖博覧会」や1910年の「日英博覧会」に引き継がれていくことになります。

「日英博覧会」でのパイワン族の様子を見て、重大な人道問題としてとらえた日本人も当時からいました。たとえば、東京朝日新聞からロンドンに派遣された記者、長谷川如是閑は、「台湾村については、観客が動物園へ行ったように小屋を覗いている様子を見ると、これは人道問題である」と伝えています。また、1911(明治44)年1月、帝国議会で立憲国民党の蔵原惟郭は、パイワン族の姿をロンドンで自ら確認した上で批判します。蔵原は、「観覧料を取って見せ世にしたということは人道上の大失態である」と発言しています。

「人間動物園』とは、人間を濫の中に入れたり、裸にしたり、鎖でつないだりするということではありません。また、虐待することが目的ではありません。当時のヨーロッパの価値観では「劣った野蛮な民族」と考えられていた人たちを、「文明化」させていることを宣伝する場所でした。日本は、その考え方と方法をまねることで、西洋列強と同じ「一等国」になろうとしました。この当時、世界には民族の違いに基づいて「階層」があると日本も考えるようになっていました、自分たちは階層の頂点にあって、その下にアジアの諸民族がいるという世界観が根づきます。そのあらわれのひとつが「人類館事件」であり、「日英博覧会」でした。

「日英博覧会」に参加したパイワン族の方々には、お金も支払われ、台湾に帰る際に、お土産を貰った人もあると思います。参加したパイワン族の方々は、人によってそれぞれ色々な思いがあっただろうと推察します。

番組で伝えた事実は、パイワン族の方々、高士村の方々にとっても心地良くないできごとですが、現代とは状況や価値観が異なる、およそ百年前の事実として伝えたものだということをご理解下さい。

この番組は、将来日本がアジアの中でどう生きていくべきなのかを考えるきっかけになることを願っています。そのためにも、「日英博覧会」でのできごとは、今の日本人がぜひ知っておくべきことではないかと考えました。
繰り返しになりますが、パイワン族の方々、高士村の方々の尊厳を損なうような意図は全くないということを、ぜひご理解いただきたいと思います。

なお、「プロジェクトJAPAN」のホームベージには、6月17日付けと7月22日付けの2回にわたって、ご質問や疑問、ご意見にお答えする「説明」のコーナーをもうけました。この「説明」のコピーも同封いたしまず。ぜひご覧下さるようお願いいたします。

 2009年7月27日
日本放送協会 ジャパンプロジェクト
エグゼクティブ・プロデューサー 河野伸洋