6月19日、本会の台湾側カウンターである李登輝之友会全国総会(略称・李友会)は2期6年の総会長任期に基づく改選で、黄崑虎氏の後任に城仲模氏を選出しました。

城仲模氏が総会長を引き受けるに当たって烈々たる決意のほどを述べた7月8日付発表の「台湾建国 我願馳赴」を、本日発行のメールマガジン「台湾の声」が「我は赴かん! 台湾建国の道」と邦訳して紹介しているので、転載してご紹介したい。
掲載に当っては、読みやすくするため漢字を平仮名にしたり改行するなど、少しく手を入れさせていただいたことをお断りします。

城仲模新総会長は1938年(昭和13年)に台南市に生まれ、本会の黄文雄常務理事と同じ時期に早稲田大学大学院修士課程に2年間留学、黄常務理事とは一緒にアルバイトをした仲だそうです。その後、東大大学院で1年間学んだ後にオーストリアに留学、彼の地で法学博士号を取得。

李登輝元総統とは台北市長時代からのお知り合いだそうで、総統時代には法務部長(法務大臣に相当)や司法院副院長(最高裁副長官に相当)を務められ、現在は台湾行政法学会理事長や(財)台湾法治曁政策研究基金会会長などの要職を務められています。

総会長に就任後、折り良く早稲田大学の評議員会があってゲストで招かれていたこともあり、7月11日から15日にかけて来日。来日中は小田村四郎会長などと歓談の場を持ち、馬英九政権になってからの台湾情勢や今後の李友会の活動方針などについて、日本語でお話しいただいた。

なお、黄崑虎・前総会長は新たに「台湾之友会」を興して総会長に就任されています。


我は赴かん! 台湾建国の道

台湾李登輝友の会総会長 城 仲模

1945年の春先、米国のB-29型爆撃機が台南を空襲した。爆弾と焼夷弾の混合爆撃で、台南市内の我が家は直撃炎上した。私の妹はその場で幼き命を閉じた。町中が瓦礫の山と化し、多くの屍骸が横たわっていた。見るに忍びない景色が、いまでも目に浮かび、記憶から消えない。

日米太平洋戦争の終戦後、外来政権の蒋介石集団が、マッカーサー元帥の命令を受け、「台湾占領」の任務を執行中、戦後の平和条約を待たずして、勝手に台湾主権の改竄を行った。そして、中国は主が変わり、蒋介石は中国から逃亡、脱出し、「中華民国」政府は台湾に亡命した。

中国国民党が台湾を占領した初期、その汚職腐敗、悪行悪状が、二二八エリート大虐殺、白色テロ、「ゲリラ掃討」と処刑、政治迫害を引き起こした。また、4万台湾ドルを1新台湾ドルと強制交換して財産を略奪し、「三七五減租」の名目で地主の土地を掠め取った。最たるは、全く根拠のない「台湾光復節」で台湾人を騙し、「台湾の母語」を禁止し、台湾文化を見下して大支那ショーヴィニズム教育政策を行った。私自身がこれを経験し、台湾人が受けた悲哀を深く感じた。

1971年に行政院の参議を務めた際に、仕事の関係で李登輝氏と知り合った。李登輝先生が1980年に台北市長に就任した折、選挙罷免法が実施され、私は選挙委員会の委員に指名された。先生はいつも最後に私の見解を求め、その上で最終結論を下した。先生は「仲模は仕事ができることは分かっているので、心から彼を理解し、信頼したい」と褒めて下さった。

私は先生に長年付き随ったので、先生が読書熱心で、思考明晰にして総合分析に長け、正確な結論を割り出されることをよく知っている。先生は12年間、国を導き、厳しく険しい道を歩まれ、「静かな革命」によって、台湾を専制独裁から自由民主の大道に導き、政権を平和裡に交代させた。これは、政治奇跡を体現するもので、人民が永遠に敬慕するに値するものだ。

個人的な付き合いでは、先生が謙虚で礼儀正しく、威張ることもなく、ただ長者の風格あふれるばかりであるにせよ、私は心の底から信服し、いつまでも敬慕する。

このたび、台湾李登輝友の会総会長黄崑虎氏が2期の任期を満了し、会規により再任できないため、李前総統の再三の推薦と、各委員のご厚情により、私は戦々兢々として薄氷を踏むが如き心情を以て、第三任の総会長職をお引き受けした。私、仲模が微力を尽くして会の趣旨を余すことなく発揮できるよう、皆様が李登輝先生にくださった信頼と厚誼を以って支えてくださいますことを謹んでお願いしたい。

台湾の国際地位が未定であるとは、何を意味するのであろうか。

李登輝先生は、先に、総統として次のように発言されている。「台湾人民は台湾の主権を持ち合わせているはずである、日米太平洋戦争で、日本は台湾を割譲したが、中国には渡してない、台湾人は法理上の国籍がない」。
この言葉を台湾人は噛みしめるべきだ。先生はまた、「私は台湾独立を主張したことはない」とも言われた。

事実が台湾人に示すところによれば、1895年に大清帝国が台湾を日本に割譲し、台湾は日本の国土となった。台湾人が求めた「台独」は日本に向かってのものであった。第二次世界大戦後は、台湾にはすでに「独立」の問題はない。何故ならば、台湾は中華人民共和国にも、「中華民国」にも属さないからである。したがって、今日の台湾が直面しているのは「建国」問題であるはずだ。

私の思考と理想は、李登輝先生の指導を受け、歴史のターニングポイントの高みに立っている。自由、民主、人権と法治への忠誠を以て、私が愛するところの、母なる大地台湾のために微力を捧げ、この新しい時代において、優質かつ尊厳ある新国家を創出し、国際社会に立足せしめんとするものである。

台湾は東亜の天険に位置し、外来の勢力との対抗が避けられない。これは天命であると同時に栄光な任務でもある。試練を踏み越えて邪悪を倒さねばならない。さもなくば、「奴隷」に落ちぶれることになるであろう。時には、孤立無援を感じることも避けられないが、台湾人全体の支持を仰がなければ、無事に通過することはできない。

民進党は台湾人主導であるが、残念ながら、現在でも、「中華民国体制」を認めかつ使用しているため、たとえ再び這い上がることができたとしても、台湾の度重なる危機を振り切ることはできないのではないか。

台湾住民全体が力を結集し、危険な海峡を乗り越え、台湾に安定する幸せな新しい故郷を求めた毅然たる祖先の精神を学び、すべて「台湾建国」を共同目標として、力を合わせて励み、後世の子々孫々の福祉のため、台湾を守り、決して怯まないことが求められている。台湾に天の御加護あらんことを!

2008年7月8日