■句碑除幕式
去る6月8日、本会でもご案内のように、李登輝元総統が昨年の「学術・文化交流と『奥の細道』探訪の旅」をテーマに来日された折、宮城県・松島で曽文惠夫人とともに詠まれた俳句の句碑が建立され、その除幕式が李登輝先生も立ち寄られた松島の瑞巖寺(国宝)境内で行われました。

この日は李登輝先生ご訪問時を思い出させるに十分な新緑の美しい、素晴らしい天気に恵まれ、午後1時から行われました。

式典は宮城李登輝友の会(嶋津紀夫支部長)と宮城県日台親善協会(相沢光哉会長)の共催で行われ、来賓として郭仲煕・台湾駐日代表処業務組次長、秋葉賢也・衆院議員、大橋健男・松島町町長、本会の柚原正敬・常務理事兼事務局長、林慎平・本会理事(福島県支部支部長)などが参列。また小川英子・在日台湾婦女会会長や県議会議員、支部会員など地元の方々約50名が参列して行われました。

建立された句碑の前に立つ嶋津紀夫・宮城県支部長(左)と相沢光哉・宮城県日台親善協会会長(右)

まず来賓の方々による除幕式が行われ、句碑をおおう白布につながれた赤いテープを引くや黒光りする句碑が燦然と現れ、大きな拍手が沸き起こりました。句碑は李登輝先生自らのご揮毫により、次の俳句が二行分ち書きで刻まれていました。

松島や光と影の眩しかり   李 登輝

松島やロマンささやく夏の海 曽 文惠

その後、瑞巌寺の吉田老師ら4人の僧侶による開眼法要、主催者である相沢光哉氏(本会理事)の式辞、そして柚原常務理事が李登輝先生からお送りいただいた懇篤なご祝辞を代読。

引き続き、郭仲煕氏をはじめとする来賓祝辞があり、嶋津支部長による閉式宣言をもって滞りなく句碑除幕式を終えました。

■名勝・円通院での祝賀会
除幕式に引き続き、瑞巌寺のお隣に佇み、やはり李登輝先生がお茶を喫するために立ち寄られた円通院にて祝賀会が行われました。

円通院は境内の庭が名勝地となっている、伊達政宗の嫡孫である伊達光宗の菩提寺。ここでは柚原常務理事はじめ瑞巌寺の吉田老師などが祝辞を述べましたが、柚原常務理事は『李登輝訪日・日本国へのメッセージ』を手に持って李登輝先生一行の宮城県ご訪問時の御礼を申し上げるとともに、李登輝先生の句碑が建立されたのは日本初であることを強調しつつ、李登輝先生にご揮毫を依頼した折、李先生が除幕式に参列されたい意向を示されたことや非常に積極的に揮毫されたことなどのエピソードを紹介しました。

■お手植えの「メグスリノキ」
祝賀会の後、柚原常務理事は地元の方々と一緒に塩竃神社へ立ち寄り、その折の御礼参りをするとともに、李登輝先生がお手植えになった「メグスリノキ」の成長ぶりを確認してきました。この木は成長が早いようで、すでに3メートルほどに伸びておりました。

李登輝先生をご案内した同神社禰宜の野口次郎さんによれば、李先生のお立ち寄り後、神社を訪問する台湾観光客が一気に増え、必ず皆さん「メグスリノキ」の前で記念撮影していかれるそうです。塩竃神社のお手植えの「メグスリノキ」、そして瑞巖寺の句碑、仙台には台湾ゆかりの2大名勝地が誕生したと地元の人々も大変喜んでいるそうです。


祝 辞

日本李登輝友の会宮城県支部の支部長、嶋津紀夫先生、宮城県日台親善協会の会長、相沢光哉先生、そしてご来賓の皆々様。こんにちは。台湾の李登輝です。

本日、この佳き日、国宝瑞巌寺に於いて、私、李登輝と妻曽文惠の句碑が建立され、除幕式が行われることは、私の八十五年間の人生にあって、この上ない喜びであり、また無上の光栄に存じます。
本日はお招きも受けておりましたが、御地に伺えないのが残念でなりません。そこで、書面をもって本日の栄えある除幕式に当たり、一言ご挨拶を述べ、衷心より、感謝の意を表したいと存じます。

この度、宮城県の有志の方々の発起で、絶景の松島を俳句で表現した私の句を記念して、句碑が建立されたことに対し、心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。

思い起こせば、丁度昨年のこの時期、私の長年の夢であった、「奥の細道の探訪」が、皆様のお陰をもちまして、やっと実現しました。
若葉の真っ只中を、心のこもったご案内と詳細なご説明を受け、芭蕉を偲びながら歩いたことが、いまだ鮮明な記憶として残っております。

私たちは、あのように交通も便利になった「奥の細道」、観光客で賑わう「奥の細道」を歩いた訳ですが、芭蕉は当時、どうであったろう、随分苦労をして歩き、どのような気持ちであったか……、昨年の旅を思い出しては、今もこのようなことを考えております。

拙い私の句ではありますが、芭蕉ゆかりの瑞巌寺に、句碑が建てられたことは大変意義深いものであると思っております。今日のこの日を通して、貴国日本と台湾がより、緊密になることを祈っております。

最後に御地のますますのご発展を願いまして私のお祝いの詞といたします。ありがとうございました。

二〇〇八年六月八日

李 登輝