【ご冥福をお祈りします】日本時代には自らも日本兵として戦地に赴き、終戦後は日本軍に協力した者として国民党政府から睨まれて中国戦線に投入され、苦難の道を辿った台湾人日本兵の補償に奔走し、戦地に倒れた英霊の慰霊碑の建立に尽力してきた許昭栄さんが20日夜、台湾高雄市旗津の「戦争と平和公園」内にある「台湾無名戦士慰霊碑」の前で焼身自決された。享年80歳。

SONY DSC遺書が残され、8年間の陳水扁政権でも台湾兵の慰霊に全く理解を得られず、馬政権には期待できないとして、台湾国内ではまだまだ認知されていない元日本兵への慰霊や福祉問題についての抗議が記されていたとのこと。

国民党独裁時代の台湾では、第2次大戦で日本兵として出陣した者はむしろ肩身の狭い思いをし、慰霊はおろか生還兵の福祉など全く問題にされなかった。筋金入りの台湾独立派でもあった許さんはそのかどで3度も牢にぶち込まれ、挙句にはカナダへ亡命同然の生活を長年強いられてきた。

台湾に帰国後は、政府に請願して慰霊碑建立の土地を確保したり、自費を投じて無名戦士の慰霊碑を建立したりと東奔西走の日々であった。その半生は、『愛する日本の孫たちへ』(桜の花出版)の中で、「元日本兵の台湾人のその後、皆さんは知っていますか」と題されて語られている。

奇しくも本年2月27日から開催された本会の「桜植樹ツアー」では、許さんに旗津の「戦争と平和記念公園」を案内していただいた。その後、晩餐会にも参加いただき、流暢な日本語で尽きぬ話に再会を心待ちにしていた参加者も多かった。合掌。