20070710李登輝前総統の京都大学時代の恩師は柏祐賢(かしわ すけたか 京都大学名誉教授、京都産業大学名誉教授・元学長)氏でした。

平成16年(2004年)12月に来日された折、李前総統は大晦日の12月31日に京都入りして恩師と61年ぶりに再会されました。当時、97歳だった柏氏が「もういっぺん会えるとは思わなかった」と言葉をかけ、「学生の時も大きな男だと思っていたが、こんなに立派になって……」などと、李氏の学生時代のことなど、約30分間、談笑されました。

本年3月12日に柏祐賢氏が逝去され、4月7日に斎行された告別式には李前総統が弔辞を寄せられました。ご長男で京都大学地球環境学堂助教授の柏久(かしわ ひさし)氏が5月の連休中、弔辞をいただいた御礼に台湾に李登輝前総統を訪ねています。

今月に入って柏氏が、ご尊父の追悼本『「生きる」ための往生-李登輝台湾前総統恩師柏祐賢の遺言』を出版されました。ご尊父を通じて李前総統の思想に共鳴するようになった柏氏は、6月7日にホテルオークラ東京で行われた講演会にも京都から出席しています。

■編著 柏 久
■書名 「生きる」ための往生-李登輝台湾前総統恩師 柏祐賢の遺言
■版元 昭和堂
■定価 1,890円(税込)


『「生きる」ための往生』紹介

父柏祐賢他界後、すでに100ヶ日が過ぎました。

この間、弔辞のお礼を申し上げるため、私と次男は、台湾に李登輝先生を訪ねました。その際、父の遺品の中から1枚の色紙を先生にもらっていただきました。

この色紙に込めた私の気持ちについては、7月上旬にできあがる父の追悼本『「生きる」ための往生-李登輝台湾前総統恩師柏祐賢の遺言』の「あとがき」に記しておきました。

李登輝先生は、5月30日から6月9日までの来日を実現されました。今回は残念ながら、関東・東北のみでしたが、来年は京都に来ていただきたいと思っています。皆様のご支援をお願いいたします。

柏 久

【柏 久(かしわ ひさし)】昭和22年(1947年)生まれ。京都大学大学院農学研究科博士課程中退。京都大学地球環境学堂助教授。専門は環境農学原論。著書に『農業経済学の展開過程』『環境形成と農業-新しい農業政策の理念を求めて』など。


「あとがき」から 『「生きる」ための往生』」

本書のタイトル『「生きる」ための往生』に驚かれた方は少なくないと思います。一般に往生とは死ぬことを意味しますから、これでは、生きるために死ぬということになり、矛盾しているように思われるからです。この書名は、私の次男祐輔によって提案されたものです。この一見矛盾しているように思われる書名、最初に聞いたときから、わたしには、きわめて自然な響きで迫ってきて、心地よく受け入れられました。

この書名について、仏教に造詣が深い畏友木村道夫氏に意見を求めたところ、次のような返事が来ました。

本当に良いタイトルだと思います。

往生は死後のことにあるのではなく、現世を空理に則り(凡夫にとっては阿弥陀仏へ帰依して)よりよく生きていることが往生(浄土への道)で、死後にこそ成仏(悟りを得ること)が約束されるのでしょう。

ただし、よりよく生きるといっても、現世の道徳的善ではなく、もちろん地位や名声や財産などの現世利益は論外で、宗教的善―(空の智慧に基づく)無差別平等の精神―に生きるということだと思います。

これが意味することは、人間が現世でよりよく生きるためには往生が重要だということでしょう。わたしが喪主挨拶で話したように、父の死はまさに大往生でしたが、それをもたらしたのは、父の生き方そのものだったように思います。

父の本葬に際して、ご会葬いただいた皆様にもらっていただいた父最後の著書『残照』(北斗書房)は、浄土真宗門徒としての父の深い宗教心を表したものです。したがって、父を追悼するという意味を持つこの書物にとって、『「生きる」ための往生』という書名は、まことにふさわしいと思います。

ところで、この書物の中心的な部分は、1984年に未来社から出版され、『柏祐賢著作集』第13巻(京都産業大学出版会、1987年)に登載されている『学問の道標』です。わたしがこの本を選んだ理由は2つです。

これも喪主挨拶で話したことですが、他界直前の父とわたしの息子(孫)二人との心の対話は、息子たちに父(祖父)に対する強い関心を生み出しました。そしてその後、息子の求めに応じて、わたしが推薦した父の書物が『学問の道標』でした。もし父祐賢に関心を持っていただける方があるとするなら、まずこの本を読んでいただくのがよいのではないか、とわたしは思っています。

もう一つの理由ですが、父の死後、とある事情からWebで柏祐賢を検索せざるを得なくなりました。そのとき、ブログでこの書物が取り上げられていることを知りました。2004年の大晦日に台湾前総統李登輝先生がわが家を訪問されたことはマスコミにもかなり取り上げられ、それをきっかけにして「柏祐賢とは誰か」に関心を抱かれた方があったようです。そしてその結果として、この書が読まれ、ブログでも取り上げられのだと思います。また、その影響を受けて、読んでみたいと思われる方も出てきたようですが、絶版のためにあきらめざるを得なかった方も多かったと思われます。そのようなことから、父を追悼するためにも、この書を中心に1冊の書物を作ろうと考えたのです。

したがって、この書物は、『学問の道標』を中心とした第1部と、李登輝先生と父の関係を明らかにする第2部からなっています。第1部と第2部をつなぐために、教育論を間に挟みました。

この書物を締めくくっているのは、李登輝先生の弔辞です。李登輝先生と父祐賢の関係は、もし一言で表現するなら、やはり「百年経っても師弟は師弟」だといわざるを得ません。天下人となられたにもかかわらず、弔辞の中で先生は、「わたしは、先生の前で、いまだ23歳の学生です」と述べられています。この恩師を敬う心を、戦後、日本人は失っているように思います。先生よりも自分の方が偉いと誇示するため、恩師を貶め、中には先生の成果をあたかも自分が創出したもののように見せかける人がはびこっています。これでは学問の道が廃れてしまいます。そして、このような人に教育される若い人々は不幸です。

李登輝先生は、いま残り少なくなった命に情熱を注ぎ込んで、日本人に「やまと心を思い出せ!」と呼びかけておられます。わたしは、この呼びかけに応えたいと思っています。いま日本にもっとも必要なのは、この心だと思うからです。いまや、李登輝先生は、わたしにとって恩師となりました。

わたしは、父の遺品として1枚の色紙を李登輝先生にもらっていただきたいと思うようになりました。20枚ほど残された色紙のなかで、言葉も字も、わたしがもっとも気に入ったものでした。「無量寿」と書かれています。信仰篤い浄土真宗門徒としての父の心が表れていると思います。これをクリスチャンである李登輝先生にもらっていただくことに、わたしは少し迷いもありました。そこで前述の木村氏に見解を聞きました。彼は次のように答えてくれました。

李登輝先生へのお礼の色紙も「無量寿」でいいと思います。宗教の本質は、有限な人間を包み込む無限の絶対的なはたらきへの帰依の感情だと思いますので、真に敬虔なクリスチャンであれば、よく分かっていただけると思います。「無量寿」とは文字通り、無限の寿命をもって、われわれ凡夫を救い見守ってくれる、人智の及ばない慈悲に満ちた不可思議なはたらきです。いいかえれば、われわれが安心して暮らし、死んでいける根元的な拠り所とでも言ったらいいのかも知れません。それに気づくか否かが大きな分かれ目です。祐賢先生は、若い頃からこのことを深く意識されていたのだと想像します。

わたしがこの色紙に託している心は、李登輝先生および曾文恵令夫人のご長寿なのです。

さて、この書物の出版に際して、多くの方のお力添えを得ました。出版をお引き受けいただいた昭和堂のオーナー斉藤直光さん・社長斉藤万壽子さんご夫妻、本書を担当して下さった鈴木了一さん・松尾有希子さん、そして父死去の残務整理で忙しくしているわたしを手伝って下さった中西啓二さんには心から感謝の意を表したいと思います。

そして、父の教え子でもあるわたしの大学時代の級友たち、とりわけわたしを仏教の世界に導いてくれている木村道夫さんと福永利貞さんには、これまでのご友誼に対し感謝するとともに、父死後も変わらぬ友情をお願いする次第です。

2007年6月9日 李登輝先生帰国の日に

柏  久