≪「奥の細道」をたどる≫
来る5月30日から6月9日まで、台湾の李登輝前総統が訪日する。今回の来日は「学術・文化交流と『奥の細道』探訪の旅」と銘打って、1989年から2000年まで12年間にわたり日台間の知的交流の場となった「アジア・オープン・フォーラム」の招聘(しょうへい)によるものであるが、李氏は曾文惠夫人やご家族も帯同され、長年の懸案であった「奥の細道」を訪れることを目的にされている。招聘の責任を担う私としては、松尾芭蕉がたどった道を静かに訪れたいという李氏の希望が満たされることを強く期待している。日程的には、総統就任後初めて東京にも滞在し、これも初めての試みであるが、東京で2回の講演と秋田の国際教養大学での特別講義も予定されている。

李氏ほどの学識を有し、日本に対しても常に厚い友情を示している世界のリーダーを他に探し求めることはできない。その李氏が日程も訪問先も制限された短時日の来日(1度は心臓病治療のために短期入院)以外、訪日が実現しなかったのは、ひとえに中国の批判を恐れた日本政府・外務省の対応にあった。

考えてみれば、グローバル化の今日、旅行や言論の制約など決してあってはならないことであり、ましてや自由と民主主義を国是とするわが国において、そんなことは許されないはずなのに、一定の制限を受け入れない限り査証を発行しないという日本政府の姿勢こそ、国民から指弾されるべきであったといえよう。

今回は、台湾からの観光目的の来日には査証が免除されたという条件の変化と、李氏がすでに現職の政治家ではなく、退任してから7年以上も経っていることに加えて、安倍首相自身の開かれた姿勢が大きく寄与していることはいうまでもない。

≪講演「後藤新平と私」≫
思えば、李氏の訪日を期待する動向や世論は、すでに長年のものであった。「アジア・オープン・フォーラム」においては、早くも1992年の京都会議でかなりの準備をし、内閣官房や外務当局にも理解を求め、東京を訪れないことを条件に、その実現が見通せたのだが、天皇皇后両陛下の訪中と時期が重なることによって実現しなかった。この間、李氏は3度にわたって訪米し、訪英・訪欧も続いたのだが、肝心の訪日は実現しなかった。2000年秋の「アジア・オープン・フォーラム」松本会議に際しても、今は亡き亀井正夫氏や武山泰雄氏ら同フォーラムメンバーの強い要望にもかかわらず実現せず、映像による参加にとどまった。昨年5月には、ほぼ今回と同じ日程で来日が予定されていたが、李氏が軽い肺炎で主治医から安静を命じられ、延期されたのであった。このような経緯ののちの今回の来日なのである。

本年は台湾の治世に歴史的な貢献をなした後藤新平生誕150周年に当たり、「後藤新平賞」が設けられることになった。その第1回受賞者に李氏が選ばれたのである。巨大な事業に献身した後藤新平の業績に学ぶという意味で、台湾の近代化、とくに民主化に献身した李氏はまことにふさわしい人物である。李氏は6月1日の授賞式に出席し、「後藤新平と私」と題する受賞記念講演を行う予定であるが、その中身は李氏ならではの格調の高い後藤新平論になるであろう。

≪若者へのメッセージ≫
李氏は「奥の細道」探訪の前半コースの最後に、芭蕉が「象潟や雨に西施がねぶの花」と詠んだ秋田県の象潟(きさかた)を訪れ、秋田市の国際教養大学では私が担当する「グローバル研究概論」の授業の一環として「日本の教育と台湾-私が歩んだ道」を講義する。米コーネル大学で博士号を得た李氏の学問の形成に、台湾における日本の教育がいかに役立ったかを回顧しつつ、若者へのメッセージとして武士道精神の重要性や「自我」の確立を訴えることになろう。

東京での「2007年とその後の世界情勢」と題する講演は6月7日午後5時からホテルオークラ東京「平安の間」で行われる予定である。いかにも李氏らしく綿密に国際情勢を分析した上で、アメリカの世界的影響力が低下する間に台頭するロシアと中国の世界戦略に注意を喚起しつつも、日本の外交力の強化を強く望む内容となりそうである。李氏の期待に当面の日本外交が応え得るかどうかが問われるであろうが、講演は国際政治学の世界的な学会での基調報告にも匹敵する学術的洞察に満ちているものと確信する。

このような李氏の訪日の成功を広く国民は期待しているに違いない。