3月25日に行われた本会第5回総会の記念講演において、講師の黄昭堂・台湾独立建国聯盟主席は、この講演に先立ち、李登輝前総統に「『壱週刊』より『SAPIO』のインタビュー記事の方が本当の李登輝発言だと伝えていいか」と確認すると「その通り」と答えた、というエピソードを披露された。

「SAPIO」のインタビューとは、「台湾の選択、日本の将来」と題された李登輝前総統と作家の井沢元彦氏による対談のことで、前編が2月14日に発売され、後編が2月28日に発売されている。

そこで、未だに「李登輝は転向した」とか「180度、方向転換した」と誤解している向きがあり、すでに「SAPIO」誌も入手し難いので、ここに、「SAPIO」編集部の許可の下、 この対談全文を本会HPに掲載して参考に供したい。李登輝前総統の真意をご理解いただければ幸いである。

メールマガジン『日台共栄』編集部


李登輝(台湾前総統)、井沢元彦(作家)特別対談
「台湾の選択、日本の将来」前編 「台湾は民主的な独立国家。独立宣言など必要ない」
20070326-01

2007年2月28日発行(2月14日発売)SAPIO(第19巻第5号通巻410号)

「李登輝転向」「台湾独立を批判」-衝撃的な見出しが台湾各紙の1面に並んだのは、「1月31日発売の大衆向け週刊誌『壹週刊』に掲載された李登輝・台湾前総統の発言を受けてのことだった。

「私は台湾独立と言ったことはこれまで一度もない」「台湾は中国資本をもっと受け入れていくべきだ」「機会があれば中国大陸に行ってみたいと思う」……李登輝氏が語ったとされるこれらの発言は、彼を精神的支柱としてきた台湾独立派に大きな動揺を与え、台湾中を巻き込んだ大騒動に発展した。

その揺れる台湾のまっただなかに、作家・井沢元彦氏はいた。期せずして李登輝氏との初対談が、雑誌発売からわずか2日後というタイミングで実現したのである。果たして李登輝氏は本当に転向したのか-。井沢氏は対談の冒頭から鋭くこの話題に切り込んでいった。渦中の李登輝氏が真意を激白したスクープ・インタビューである。

井沢 昨日、台湾に着いて新聞を見ましたら、「李登輝が180度転向」という記事があり、李登輝支持派の方々が「裏切られた」とショックを受けている様子が載っていました。真相はどうなんですか?

李 ことの発端は週刊誌『壹週刊』の記事です。台湾で一番売れている雑誌ですが、要するに雑誌を売るために非常にセンセーショナルなタイトルをつけた。記事の中身を読めば、かなりニュアンスが違うことがわかります。

井沢 「台湾独立と言ったことはない」「中国資本を受け入れろ」「中国大陸に行ってみたい」といった刺激的な見出しから受ける印象とは、内容が異なるということですね。

李 かなり違います。この3つの問題に関して背景にあるのは、台湾の民主化が非常に後退していることに対する危惧です。同時に、経済が停滞し貧富格差が拡大してきていることへの心配もあります。

井沢 高所得者と低所得者の所得格差が6倍以上になっていると聞いています。

李 昔は2~3倍だったのが、景気が冷え込んで失業者が増え、2003年のSARS(重症急性呼吸器症候群)禍の頃と同レベルにまで落ち込んだ。こういう問題が起きたのは、経済政策のミステイクが原因で、いま一番大事なのはそれをどう修正するかなんです。
ところが、政府民進党と国民党は台湾独立というテーマをめぐって権力闘争を繰り広げるばかりで国民生活を顧みようとしない。だから、台湾独立を掲げた無意味な権力闘争をやめろと言ったのです。

井沢 今は国民生活を考えて経済政策に専念するべきと。

李 そう。民進党内部でも権力闘争をやっていて、来年度の政府予算も通っていない状態で、これでは公共事業もできない。大学の学費や学校の給食費を払えない家庭が増え、農業従事者の収入も減っている。私が総統をしていた時代の失業率は2・5%程度だったが、02年には5・3%まで上がった。統計数字では失業率は下がっていると言うが、どうも実情を表わしていない。台湾独立か中国との統一かで争っている場合じゃないのです。

そもそも私は、台湾はすでに一つの民主的な独立国家であるという立場に立っています。だから、今さら「台湾独立」を叫ぶ必要はない。今の台湾は独立した民主国家として要件が不足しているから、それをどう補充していくかを考えればいいのです。

井沢 そのお話の言葉尻をとらえて、「台湾独立などと言っていない」という見出しにつながったということですね。ただ、国名を中華民国から台湾に改める「正名(名を正す)」という問題はありますよね?

李 そうです。すでに国民の大多数が、この(中華民国という)名前はよくないと言っています。国連からも追い出されてしまったし、この名前を変えましょうと。そういうように一歩ずつ変えていけばいい。憲法の問題もそうです。中華民国の憲法を、現在の台湾に向いた憲法に変えようと。日本だって、マッカーサー司令部が手渡した英文の憲法を日本語に直して、日本の憲法にしている。日本から見れば、この憲法は子どもの時に作ったもの。今、もう大人になって使えないから変えますよと言えばいい。

井沢 憲法改正というより、新憲法の制定ですよね。

李 そういうことです。ところが、その「制憲」ができない状態になっている。05年に立法院の憲法修正案会議で、立法委員の4分の3以上の出席に3分の2以上の賛成で提起された上に、住民投票で住民数の過半数の賛成を得ないと憲法修正ができないとする憲法修正案が可決され、不足する要件を補充したくても現実的には憲法修正が難しくなってしまったのです。汚職や権力闘争もはびこり、台湾の民主化は後退していると言わざるをえない。

中国投資の一方通行で台湾国内はタンクがカラ

井沢 では、第二の「中国資本を受け入れろ」とは、どういう意味でしょう。

李 これは純粋に台湾経済の不況に関わる問題です。90年代に台湾では人件費が高騰し労働力が不足していたので、中国大陸で商売をやりたいという人がどんどん出てきた。その頃は、「匆忙未必真快」(急がば回れ)ということで、5000万ドル以上の投資については、有用な公共投資、科学技術が流出しないよう政府が審査していたのです。ところが、2000年以後のいまの政府になったら中国大陸への投資の積極的開放をやった。

7年目の今、どうなったかというと、中国大陸における外国投資の半分以上が台湾ですよ。総投資額は約2800億ドルで、これは台湾のGNPの約8割に相当する。しかし、経済というのはお金が出て行くばかりじゃダメで、戻ってこないといけないが、今は台湾から中国の一方通行になっている。タンクの中の水が流れ出てカラになっている状態。一部の電子産業が活況を呈しているだけで、ほとんどの産業が空洞化し、失業者が増え、人民が生活に困窮する事態になった。台湾はかつて「アジアの4匹の小龍」の中でもトップにいたのです。

井沢 4匹の小龍というのは、日本を龍として、それに続く台湾、韓国、香港、シンガポールの4つの小龍ですね。

李 昔は台湾は韓国より上だったんです。ところが、この7年間で台湾は4か国の中で一番下にまで落ちた。その大きな原因が中国投資です。なぜ台湾入が中国人陸に投資して、儲けたお金を台湾に持って帰れないのか。この仕組みを変える必要がある。中国大陸でも経済が伸びてきたのだから、中国人が台湾に来て投資してもいいわけです。一番手近なところでは観光を増やしたらどうかと思うのですが、許さないんだよ、観光を。観光客が1年間に数百万人も来れば、台湾のさまざまな業界は発展するんですよ。

井沢 中国大陸から台湾へは投資だけでなく、観光もできないのですね。ワン・ウェイをツー・ウェイにしなければならない。だから、「中国資本を受け入れろ」と。

李 そう。海外から資本を入れて産業の育成をやるべき。私は総統になる前、政務委員の任にあったときに、電子産業発展のための奨励政策を作ったのです。たとえば、アメリカや日本に住んでいる台湾人が台湾で投資をしたいというときに、技術と必要な資本の20%を用意できれば、残りの80%を政府が貸し付けるという制度で、台湾の電子産業発展の礎(いしずえ)になった。

井沢 素晴らしいですね。そういった奨励政策をどんどんやるべきだと。

李 そう思います。たとえばICチップの製造に使われる半導体ウェハーは現在主流の8インチから容量の大きい12インチに移行しつつありますが、政府は8インチの古びた技術を中国大陸にもっていって金儲けしようとしている。私は反対なんです。台湾には、5年間の免税と5年間の加速償却という制度があり、国内のほとんどの製造設備は償却が終わっていてコストはゼロになっている。それなのになぜ中国大陸で新たに工場を建てなければならないのか。古びた技術でも国内に残しておいた方がいいんです。

古い技術を国外へ持ち出すことばかり一所懸命になっている一方で、新しい技術の開発を進めているかというとそうでもない。たとえばテレビは今や液晶やプラズマが主流になりつつあり、青色レーザー関連の技術開発も重要になっています。こういった新技術の開発の奨励政策はほとんどやっていないのです。

井沢 台湾が今、凋落しつつあるのは、台湾の現指導部の問題なのか、それとも中国による何らかの謀略に引っかかっているということなのか、どちらですか。

李 台湾指導部の問題、能力の問題です。

井沢 そうですか。もう一つ、「中国大陸に行ってみたい」と発言された真意については?

李 これはねえ、今の共産党が支配する中国という国に行きたいという意味ではないんです。私は「一生涯のうちに、行ってみたい場所が4か所ある」と発言しました。そのうちの一つは、やはり日本。『奥の細道』の行程を歩いてみたい。ほかは『出エジプト記』(*1)と、孔子の辿った「列国周遊」(*2)の道程、そしてシルクロードを歩きたいのです。

*1…モーゼ自ら書き残したとされる『出エジプト記』には、モーゼがイスラエル民族の長として、エジプトから約束の地(カナン)への大遠征を指揮する様子が描かれている。李登輝氏が「台湾のモーゼ」と呼ばれたのは、台湾人を当時のイスラエル民族に、モーゼが渡る際に海が割れたという伝説を台湾海峡になぞらえたことによるもの。

*2…孔子は祖国の魯で政治に登用されるも失望し、門弟たちを引き連れ14年にもわたる諸国周遊の旅に出たとされる。

井沢 なるほど、そういう意味なんですね。しかし、こんな風に発言を歪めて「李登輝180度転換」などと伝える週刊誌の取材をなぜ受けられたのですか?

李 いや、わかっててやっているんです。大部数売れている雑誌にこういう記事が出れば、新聞やテレビが大騒ぎして私のところにやってくるでしょう。そこでいまのように、真意はこうだと、政府は経済政策を本気でやれという話をするわけです。こういうのは計算のうちです。

井沢 なるほど、世論を喚起するために逆に利用したんですね。恐れ入りました。

陳水扁政権には期待して裏切られた

李 先ほどの話の続きですが、『出エジプト記』には、エジプトの奴隷になっていたイスラエルの民をモーゼが引き連れて脱出するルートが書かれているので、同じ道、エジプトから紅海を渡りシナイ半島を回ってみたいですね。

井沢 先生は昔、“台湾のモーゼ”と呼ばれていましたね。

李 それは周りの人間が言ったことで、自分で言ったことはありません。「台湾でも『出エジプト記』をやらなければならない、奴隷の身に甘んじていてはいけない」と言っただけです。

井沢 モーゼは約束の地に到達する前に亡くなり、ヨシュアが継いで達成します。先生がモーゼなら、陳水扁はヨシュアですか(笑)。

李 いやいや。神様はいろいろなことをモーゼに命じるんですが、モーゼは精神的に弱い部分があった。だから、約束の地カナンに入る前に、神様はモーゼにシナイ山に隠居しなさいと言う。シナイ山の頂上からはカナンの地が見える。見えるのに入ってはいけない。非常に辛いことです。これはまあ、ある段階まで仕事が終われば、次の段階は他の人にやらせるべきだという神様の意志なんだろうね。

井沢 でも、李登輝モーゼが「ちゃんと民主主義をやれよ」とバトンを渡したのに、汚職だの何だのと。結局、中華民族には本当の民主主義の経験がないということが原因なんでしょうか。

李 う~ん。でも、台湾がまだ中国大陸に比べて進んでいるのは、市民社会という考え方が浸透しているところでしょう。市民社会がないところに近代政治や民主主義を持ち込むのは非常に難しい。責任を誰もとらない、法律を守らないではどうにもなりません。

私から見ると、まだ教育が不足しているのかなと。それで李登輝学校(*3)をつくったんです。我々自身の歴史を知る、台湾の内情も知る。白分たち自身に関する認識をまず高めなければ、海外の民主主義のシステムをアレンジして台湾に定着させられませんから。一歩ずつ今の若い人々を教育し直す必要がある。

*3…李登輝氏が設立した政治学校。政治思想や歴史学とともに武士道や日本精神についても李登輝氏が講義をするという。

井沢 先生は蒋経国(*4)から政権を受け継ぎ、その後、中華民族全体で考えたら歴史的に初めて平和裏に政権を交代したわけですね。ある意味で、民主主義とはこういうものだという模範を示されたと思うんですが、後を継いだ若い人間はその意志をくみ取ってくれなかった。陳水扁総統には非常に期待されていましたね。

*4…蒋介石の長男として78年から総統を務めた。88年に死去、当時副総統だった李登輝に職務が継承された。

李 期待してサポートしましたが、裏切られて汚職問題ばかり起こしている。まだ経験不足なんでしょうか。時々、私も少し早過ぎたかなと思うことがあります。

井沢 あ、やっぱりそうですか(笑)。

李 しかし、やはり若い世代に譲らないといけないのです。先日、日本の雑誌でも語ったことですが、私が考える指導者の条件には5つあります。第一には、自分なりの信仰を持つこと。私はクリスチャンだから、判断に迷った場合も最終的には「公義の精神」と「愛」という2つを原則に決断をしてきました。

井沢 神を信じない人間は畏れを知らないから、権力を握るととんでもないことをする。

李 第二には、司馬遼太郎さんにもお話ししたことですが、「私は権力ではない」と考えること。権力というのは人民が与えたもので、人民が必要なときに借りてきて使い、物事の処理が終わったら返すものです。司馬遼太郎さんは「ちょっと変わった権力理論だな」と思われたようですが、私はそう考えている。権力というのは恐ろしいもので、どんどん人が寄ってくる。相手の要求を権力でかなえてやれば、お金は入ってくるし、言いなりになるし、すぐに堕落します。だから、絶対にけじめをつけないといけない。

第三には公と私の区別をつけること。個人の問題で公に迷惑をかけるようなことがあってはならない。

井沢 陳水扁総統は権力と公私の区別の部分でしくじったということでしょうか。

李 そうですね。夫人とその親族の金銭スキャンダルの問題では、もう第6回目の公判になりますが、病気だの何だの理由をつけて出てこない。総統は刑事案件に顔を出さないとか、司法で処理できないとか、へ理屈をこねていたずらに長引かせている。そんなことをするなら、さっさとけじめをつけるべきだった。

私の父親は県会議員を務めたことかあり、私が総統になると、多くの人々が父を通じて口利きを頼んでくるようになった。そこで父に「お父さんが地元の人に世話になったことはよくわかっています。しかし、彼らの頼みを聞くことはできないので紹介しないでください」とお願いした。父はそれ以来、一切友人を紹介しなくなり、そのおかげで職務をまっとうすることができた。今でも感謝しています。

井沢 素晴らしいお父上ですね。では、指導者の第四の条件とは何でしょう。

李 人が嫌がる仕事、誰もやりたくないような仕事を喜んでやりなさいと。第五の条件は、自分のカリスマに注意を払うな、誠心誠意、人民に相対しろということ。カリスマをもつ指導者は楽ですよ。人民に呼びかけたらオーケーと答えてくれる(笑)。しかし、カリスマというのは幻想に過ぎず、人々の希望がかなえられないとわかった瞬間崩れ去るんです。

井沢 実態がともなわない幻想だから、消え失せるのも一瞬ということですね。でも、実績を積み上げていくことで、先生もカリスマと思われているような気がしますが。

李 他人がどう思おうと、自分はそういう気持ちを持たない、カリスマを利用しないということです。

中国経済の発展を支える「新奴隷制度」

井沢 なるほど。その5つの条件を満たす指導者というのは確かに理想ですが、台湾だけでなく、世界を見渡してもいなくなりましたね。

では、胡錦濤という中国の指導者をどう見ておられますか。併せて、08年の北京オリンピック、10年の上海万博までの大陸情勢の予測をお聞かせください。

李 胡錦濤は江沢民に比べると、妙に落ち着いていて、口数も少ないが、やると言ったら一歩ずつ着実に実行するタイプですね。彼が一番困っているのは地理的な所得格差が広がっていること。これを何とかしないと共産党自体が危うくなる。どこで暴れだすかわからなくて、1年間に何万件も農民暴動が起きている。

井沢 解決できますかね。私は難しいと思っていますが。

李 今のところ中国人陸における現在の制度というのは、私が名付けたのですが、「新奴隷制度」で、土地が非常に安いから人民は奴隷に近い状態にあるのです。

井沢 昔のロシアの農奴と貴族みたいになってますね。

李 そう。労働者の賃金も1か月100ドルぐらい。この状況を天から授かった贈り物のようにとらえ、海外の資本家がどんどん資本と技術を投資している。それが続く限りは中国経済は伸びていく。問題はこれがアメリカにどういう影響を与えたかで、対中貿易が2000億ドルの赤字になっているわけです。

80年代に対日貿易赤字が莫大になっていたときにアメリカが何をしたか思い出してみればいい。国際金融を牛耳っているアメリカは、円高にしろと言い、1ドル80円まで円が上がった。日本には外貨がどんどん入ってインフレになり、投資先がないから株や土地がどんどん上がった。上がりすぎて緊縮財政をやった途端にバブル崩壊です。

井沢 外資は売り抜けて巨額の富を奪っていきましたし、日本の大企業がアメリカのロックフェラー・センターなどの不動産を買い漁っていましたが、結局、叩き売らなければならなくなりました。

李 全部アメリカに吸い取られた。アメリカ人というのは平気でこういうことをやるんだよ。今、中国大陸に対しては「人民元を引き上げろ」と言ってますね。同じことをやるんじゃないか。

井沢 なるほど。私は別の側面から崩壊を予測していて、中国はモラルで崩壊すると考えている。先ほど先生がおっしゃったように、地理的な所得格差が広がっている。しかし今の中国では都市部から高い税金をとって、地方のインフラ整備をするということができなくなっている。

李 海岸沿いの経済的に潤っている地域はみな反対します。

井沢 繰り返しになりますが、中国では平和裏に政権交代が行なわれる伝統がない。そうすると、農民たちの不満が鬱積(うっせき)し、団結して暴発する可能性がある。

李 今のところはあれだけの軍隊と公安が睨(にら)みをきかせていて、警察がインターネットのコントロールまでやっているなかでは、少し長い目で見る必要があるかもしれません。

井沢 もう一つ、中国の軍事的脅威についてお聞きしたいんですが、中国が行なった衛星破壊実験についてはどうお考えですか。

李 それは中国が世界に誇る、威張るための手段の一つ。

井沢 国威発揚ですね。

李 我々はこれだけ持っているぞ、アメリカはやれるのか、衛星を落とすだけのミサイルを撃てるのかと。

井沢 中国が台湾を併合する可能性についてはどう見ていますか?

李 中国の軍事的な台湾対策に対しては、彼らがどういうシナリオを持っているか、それを知らないといけない。たとえば96年に初の総統直接選挙があったとき、中国は台湾海峡にミサイルを撃った。何のために撃ったか。我々から見ると、あれは台湾をとるためじゃない。驚かすための心理的作戦なんです。これを、我々は絶えず知っておかなければいけない。

台湾併合のシナリオについては、3つ考えられます。1つは非常に親中的な政府を台湾につくる。事実上の属国にし、1日かそこらで攻め込んで併合を宣言する。2つ目は、アメリカが中国に妥協して、台湾を共同管理しましょうと提案する。中国との戦争を避けられるし、台湾問題も解決できるじゃないかと。3つ目はどうにもならないので、現状維持。

井沢 日本では今度の総統選挙で、親中派が勝つのか、独立派が勝つのかで、台湾の方向性が変わるんじゃないかという見方をしている人もいますが、その点はどうですか。

李 だから、台湾独立とか中国との統一だとかをテーマにして、選挙や権力闘争をやるなと言っている。やることは他にあるんです。

井沢 一昔前は、北京オリンピック直前に独立宣言してしまえという意見もありましたが。そんなときに軍事侵攻はできないだろうと。

李 ところが、台湾は独立宣言をする必要がないんです。もう独立国家なんだから。独立国家だから、中国との貿易もどんどんやればいい。三通(通信・通航・通商の開放)どころか、メディアも宗教も文化も含めて四通も五通もやればいい。先ほど大陸のインターネット規制の話をしましたが、交流して世界の情報をどんどん持ち込むことが大切。それが中国大陸自身を変えることになる。

井沢 台湾を中国化するのではなく、中国を台湾化するということですね。

【PROFILE】李登輝。1923年台湾生まれ。台湾前総統(1988-2000年)。1996年に初の総統直接選挙を実施して勝利するなど、台湾の民主化に努めた。日本統治時代は京都帝国大学に学び、戦時には学徒動員された経験を持つ。

「台湾の選択、日本の将来」後編
20070326-02

2007年3月14日発行(2月28日発売)SAPIO(第19巻第5号通巻411号)

前回は台湾の現状を厳しく批判し、民主国家確立への決意を改めて表明した李登輝・台湾前総統。

作家・井沢元彦氏との対談後編では、安倍政権をはじめとする現在の日本について鋭く分析してもらった。

李登輝氏および台湾にとって、いまの日本の政治、外交、そして国民はどう映っているのか。2人の提言から、21世紀の日台新友好時代への道筋を探る。

安倍総理は中国と対等に碁を打てるのか?

井沢 私は安倍総理と同い歳で、彼の考え方には共感できる部分が多くあります。だから、彼がやろうとしていることはよくわかるのですが、ただ、やり方が上手ではなく、国民の支持率も下がっています。台湾総統として一国のかじ取りをされてきた大先輩としては、安倍総理をどう評価されていますか。

李 私は日本での安倍総理に対する批判には疑問を感じますね。たとえば日本の雑誌には、彼の訪中は間違いだと書いてありました。

井沢 そうですね。「裏切り者」扱いされています。

李 日本がアジアの中で現在の地位を保つためには、中国という存在を無視するわけにはいかない。顔を出して、何か約束を取りつけてくることが重要なんです。彼は中国に行って「戦略的な信頼できる関係を築きましょう」と言った。こう言われたら胡錦濤は反対できないんですよ。

井沢 そうですね。「いやだ」とは言えません。

李 一般の国民にはなんでもないことのように思えるかもしれませんが、訪問してこういう約束を取りつけることが外交においては大事なことなんです。今まで中国は日本に対していろんなへ理屈をぶつけてきましたが、それを抑えるためにも必要なことです。

井沢 中国は、首相は靖国神社に参拝するなといった難癖をつけてきます。

李 国のために命を落とした人々を慰霊する施設は必要ですし、首相は一国の指導者として靖国に参拝しなくてはいけない。首相が靖国を参拝することに問題があるのだとしたら、法律的に解決すればいいこと。そもそも私は靖国を宗教法人にしたことが間違いだったと思います。

井沢 政教分離の原則を盾に、憲法違反と批判されますからね。

李 靖国神社というのは、明治時代は東京招魂社という名称だったでしょう。これは宗教法人ではなくて国の機関だった。戦後、宗教法人にしたがために、まるで政府と宗教が関係あるかのような言われ方をされる。

*靖国神社は明治2年6月29日に「東京招魂社」として創立され、同5年に社殿が落成、同12年、「靖国神社」に改称されている。

井沢 台湾にも革命や戦争で亡くなった志士や軍人が祭られている忠烈祠(ちゅうれつし)という施設がありますね。入り口には儀杖兵が立って護衛しています。あれは国家機関なんですか。

李 もちろんそうです。台湾総統は1年に2回、春季と秋季に礼拝に行きます。日本はそういう部分も含めてちゃんとしていく必要はあると思います。

中国大陸と碁を打つには、布石を打たなくてはいけない。安倍総理がまず中国に足を運んだのは、布石として非常にいい。

井沢 安倍総理の中国訪問を評価されているのですね。

李 彼は非常に考えて物事を進めています。多くの人々は「中国に行かない方がいい」と言っていたし、実際に行ったら批判されたわけです。しかし、それがわかっていながらあえて行った。

温家宝首相が4月に日本を訪問するでしょう。いろんな話は出るだろうけど、安倍総理は就任してすぐ挨拶に行ったのだから、温家宝は高圧的な態度をとれず、対等な立場で話ができるんです。

井沢 そこまで見越しての中国訪問だったと。

李 私はそう見ます。昔の日本の外務省は、中国大陸が何か文句を言えば、駐日大使のところへ飛んでいってペコペコ頭を下げていた。一体、何をやってるのかと。

私は日本の官僚や政治家を批判する立場にはないとは思いますが、あえて言わせてもらえば、彼らの頭の中には個人の出世しかなく、国家という概念がない。国、人民が頭にないから、せっかく必死に勉強して東大出て官僚になったのに、中国人にペコペコするだけ。対等な関係を築くための戦略がない。お互いを尊重して話し合える関係をつくるのが外交でしょう。

中国には倫理観なき愛国心しかない

李 もうひとつ、安倍総理は教育基本法の改正に取り組んだ。これも大事なことです。「日本の教育と私」の中で書いたのですが、昔の日本のエリート教育で重視されていたことがふたつあります。第一に「教養」。自分の専門分野だけでなく、歴史、哲学、芸術、科学技術なども勉強して身につける。第二に重要なのは「愛国心」。政治家になるために必要なのは、国を愛すること、人民を愛することです。それが何より大切で、先ほども言いましたが、国や人民のことを考えないエリートはダメなんです。

井沢 中国ではさかんに愛国教育をやっていますが、自国さえ良ければいいという歪んだ愛国心につながっている。倫理観なき愛国心と言いますか――。

李 愛国心と倫理観は本来直結するものです。だから、中国大陸に本当の意味の愛国心なんてない。あるのは愛国主義や民族主義で、こういうのは結局、権力者がする遊び、民衆をあやつる遊びなんです。

井沢 確かに、中国のエリート層は、庶民のことをまったく考えてませんね。

李 庶民の生活を考えるのではなく、庶民をごまかすことばかり考える。だから、庶民が暴れだすことを非常に恐れる。中国では、朝廷が武力で討伐されて入れ替わるということがさんざん繰り返されてきたでしょう。

井沢 都市のエリート層が農民を苦しめ、農民が怒って反乱を起こし、その後天下を取った「元農民」がエリートとなって農民をいじめる。その繰り返し。

李 エリートが愛国心をもっていないと、そういう国になるということです。日本は戦争に負けたことで、戦前の制度をすべて否定し、経済さえ良ければいいと60年間やってきました。だけど、振り返るべき時期に来ているんですよ。でないと、日本はアジアにおいても世界においても主導権を握れない。

井沢 なるほど。

李 安倍総理が「国家安全保障会議」(NSC)(*1)を創設したことも私は評価しています。

* 1・‥これまで外務省、防衛省などが個々に行なってきた外交・防衛など安全保障政策に関して、首相のもとに戦略や対応を一元的に決定することを目的として組織され、来年4月に発足が予定される。米国では「National Security Council」と呼ばれる。

井沢 日本版NSCですね。首相を中心に官房長官、外相、防衛相の計4人が外交・安保政策の意思統一をはかり、リーダーシップを発揮すると。私も非常に重要だと思います。今まで日本は外交ではやられっぱなしでしたからね。

李 そう。「総理の独裁になる」という批判があがっているが、それは間違い。むしろ今までは、大臣が勝手なことをやってきたわけでね。こういった組織を中心にして、閣僚が話しあって考え方をひとつにしなければいけない。中国と対峙する上でもね。

私の場合も総統時代は、NSCのような組織(国家安全会議)をうまく使いました。国家指導者は部下である大臣の意思統一をはかることが大切です。そういうことをしないから、あの厚生労働大臣みたいに失言をしてしまうようなね……。

井沢 よくご存じで(笑)。スキャンダルが次々に起きて、民心が離れています。

李 確かに、総理、少し脇が甘いなと。ただ、私も「人を見る目がない」とか「なんであんな人間を使ったんだ」と批判された経験はあります。それはわからないですよ。信頼してても裏切られることは誰だってあるでしょう。まさか大臣が「女性は子供を産む機械」だなんて言うとは予想できないですよ。

井沢 まあそうですね。でも、安倍総理はちょっと優しすぎるんじやないかと。さまざまな意見を吸い上げようとして、意見の合わない人も内閣に入れて苦労している。「切るべきは切る」と言っていたはずですが、徹底していない。

李 総理になったばかりだからですよ。切れないものを無理して切る必要はないと私は思う。

井沢 そうですか。指導者の立場にあった方にしかわからないこともあると。私は少し性急すぎたかな(笑)。
では、布石の次は、どこに定石を打つべきか。大先輩として、安倍総理にアドバイスをされるとしたら。

李 安倍総理にはすべての資源と権力が与党にあるということを認識してほしい。国会も与党が過半数を握っている。だから、国会ですべての問題を処理できるよう運営する術を身につけることが重要です。

政治の世界では権力争いが必ず起きます。裏工作で政権を握った人は、しがらみを引きずりながら政治を行なうことになる。しかし、安倍総理は権力争いをせずに政権を握った人です。ですから、日本国民の皆さんにも、もう少し寛大な気持ちで見守ってあげてほしいと思います。

井沢 今の時点で安倍総理を叩かず、長い目で見たほうがいいということですね。

李 私は安倍総理は、政治家の家庭で生まれた人としては悪くないと思いますね。決してお坊ちゃんみたいに感情に流されたりせず、自制力もある。彼はお祖父さんが苦労されていたのを見てるし、さまざまな問題をどう処理すべきか自分なりの回答をもっているはずだと思います。

台湾の日本精神が薄れ中国的になりつつある

井沢 安倍総理を高く評価されていることがよくわかりました。では、対談の最後のテーマとして、今後の日台関係はどうあるべきかをお伺いします。

李 日台関係というのは、台湾に経済面や安全保障の面で問題が起きれば、即、日本に響くという関係です。台湾は日本の生命線です。その台湾をどういう方向にもっていくかについて、今まで台日米の3か国で共同で考えてきた。しかし、私の実感としては、戦後、日本はあまり台湾をかばってくれなかった。

井沢 おっしゃる通りです。台湾は日本の生命線であるということが、まだ日本人には理解されていないですね。
李 たとえば、96年に中国が撃ったミサイル。どこに落ちたかというと、与那国と台湾の中間です。もし中国が台湾を併合すれば、すぐに沖縄も併合します。中国人の考え方からすれば、台湾だけでなく、沖縄も朝貢していたから中国の領土だったということになるし、後漢の光武帝の頃から日本は朝貢していたから日本も領土ということになる。

井沢 台湾が併合されれば、地政学的に見て日本は非常に危険な状態に置かれると。

李 そうです。安全保障の面だけでなく、経済の面でも非常に密接な関係があり、運命共同体の関係にあるのです。なのに、日本人は台湾をあまり身近に感じてない。だから、まずは相互交流を活発にやるべきなんです。

台湾では戦後に中国式教育が導入されてから、日本の統治時代を暗黒の時代として教えてきましたから、日本に悪いイメージをもっている人もいる。だから、台湾人の日本留学を大いにやるべきだと思います。

井沢 台湾には“哈日族”(ハーリーズー)という日本文化に憧れをもつ若者がいますが、表層的な部分しか見ていない。これから日本語世代が引退していくと日本との友好関係が保てるか不安があります。

李 今の若い人は、自己を律するとか正直であるとか日本的な精神には注意を向けていない。
だから、人的交流の強化で、初めて築けると思うのです。
私は日本から台湾に戻ったときにびっくりしたんですが、中国人というのは口がうまい。ところが何ひとつ実行しない。口だけ。それと、信念のようなものがなく、精神面が弱い。今の台湾でも日本的な精神が薄れてきて、中国的になりつつあるんです。

井沢 その流れを止めるために留学など人的交流が必要だということですね。

李 ええ、そうです。もうひとつ大事なのは経済的な提携。たとえば、日本では労働者の賃金の問題でできないことを台湾でやる。あるいは定年でリタイアしたさまざまな分野の技術者を台湾が受け入れる。

井沢 今は定年を迎えた技術者が中国にけっこう流れていますからね。

李 確かに経済協力の部分では難しい問題もあります。台湾新幹線(*2)が経済協力強化のきっかけになると期待していたんですが、現状では日本側に不満が高まっています。JR側はこうすればうまくいくとわかっているのに、こっちの連中が言うことを聞かない。運転士の訓練からマニュアルまで、問題が山積です。

*2…台北~高雄間(345km)を最短90分で結ぶ台湾高速鉄道。東海道・山陽新幹線の「700系のぞみ」をベースとした車両を採用したことから、台湾新幹線とも呼ばれる。

井沢 今のところうまく運行できてないようですね。

李 駅は駅、金融は金融、土木工事は土木工事とみんなバラバラで勝手なことをやって、他の分野は我関せず。チケット販売にしても飛行機と同じシステムにしようとしてうまくいってない。だいたい、鉄道のことを熟知している台湾鉄道の人間を採用しないというのがおかしい。

井沢 台湾鉄道というのは、日本統治時代に国鉄の薫陶を受けてできたものですね。

李 そう、まだみんな生きています。

井沢 ものすごく鉄道に詳しい人がいるのに、それを使わないのはもったいない。

李 私のところへも「一度乗ってくれないか」と依頼が来たんだが、お断わりしますと。

井沢 あ、まだ乗られていないんですね(笑)。

李 私が乗ったら大変なんだ。人がどんどん乗ってきてしまう。

井沢 それで事故でも起こったら大変ですからね。

李 経済協力は難しい面がたくさんありますが、それでも進めていかないと。あと、他では観光をどんどん増やすといい。台湾人の日本への旅行は、今はもうノービザだから、今年から増えているんです。

井沢 先年、札幌へ行ったら、ちょうど雪まつりの時期で、台湾の人ばっかりでした。

李 ああ、そうですか。雪を見てみたいという台湾人は多いからね。金沢に行くチャーター便も増えていて、加賀屋という旅館には、年間で1万人以上が泊まっているんです。

井沢 そんなに。

李 金沢だけじゃなくて、北海道にも秋田にも岩手にもチャーター便が出ている。

井沢 日本の風景を味わいに来られているんですねえ。

李 逆に日本の人々にも台湾に来てもらって、八田與一(はった よいち)さん(*3)など、昔、台湾で大きな仕事をした日本人のことを紹介できると面白いと思う。

*3…台湾の農業水利事業に貢献した技術者。台湾総督府内務局土木課に所属し、当時アジア一といわれた烏山頭ダムと1万6000kmにおよぶ灌漑用水路の建設にあたった。

井沢 私も彼が建設した烏山頭ダムを見に行ってきました。八田記念館もありましたね。

李 八田さんは金沢のご出身で、それで台湾と金沢の交流が盛んになっているんです。

井沢 ああ、なるほど。それはとてもいい話ですね。

李 ですからね、安倍総理には日中友好路線を進めながら、同時に日台関係の強化も進めていただきたい。日本、台湾、中国の三角関係をバランスとってうまくやることを期待している。胡錦濤は非常に戦略的なので、対日友好への転換をどう見るか難しい部分はあるけれど、少なくとも2010年までは攻め入ってくることはない。その間に日本が中国との間で対等な関係を築ければ、台湾と友好を深めることに問題はなくなるでしょう。

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