【自由時報①】李登輝今晩七時返抵國門 台聯與正名聯盟動員接機

赴日觀光的前總統李登輝一行人今天傍晩將結束訪日行程返台,預計七點左右返抵國門,台聯、五一一正名聯盟今將動員超過二千名群集至中正機場接機,也呼喊民衆主動參與,接機隊伍傍晩六點將在中正機場第二航廈東側門停車場集合。台聯、五一一聯盟都表示,日本不畏中國打壓,發給李前總統觀光簽證,代表日本重視台灣的國際地位;李前總統赴日觀光,也展現台灣在國際社會的地位。

李前總統二○○一年四月曾到日本岡山縣接受心臟手術,這次是他睽違三年八個月後再度訪日。

【自由時報②】李登輝過日式新年 「初詣」渡岸寺

前台灣總統李登輝在二○○五年元旦中午過後,前往滋賀縣琵琶湖畔供奉日本國寶十一面觀音像的渡岸寺舉行「初詣」(年初祈願)。三十一日的除夕夜李登輝和他的家人以及一起由台灣來日本旅遊的朋友十多人,在坐落於滋賀縣東淺井郡湖北町今西的私人別墅中度過。據轉述,李登輝在除夕夜曾與家人一起欣賞除夕夜的NHK「紅白大對抗」節目,同時品嘗純日本式的年夜飯(OSECHIRYORI),越年蕎麺、新年糬,這兩樣都是日本象徴長壽的年節食物。

元旦中午,李登輝由住宿別墅出發前往琵琶湖畔的「渡岸寺」舉行「初詣」,此為日本人在新年到神社或寺院的「年初祈願」慣例。

渡岸寺内部供奉有日本國寶「十一面觀音像」,李登輝在渡岸寺内停留大約三十分鐘之後,由於下了大雪,取消原預定的附近名勝觀光,車隊直接開返京都,今天晩間李登輝與友人在京都名勝地嵐山吉兆高級料理亭用餐。

負責安排李登輝京都行程的滋賀縣台裔醫師大田一博今天在京都對媒體記者表示,李登輝原來也想到滋賀縣附近詩人「松尾芭蕉」墓看一看,但因交通不便與天候不佳而取消。

李登輝明天上午將參訪京都的清水寺,與在京都市西本願寺大谷本廟內的已故作家司馬遼太郎之墓。

司馬遼太郎為大阪市出身的日本著名歷史小說家,九六年去世,生前曾與李登輝對談,出版了膾炙人口的「台灣紀行」暢銷書,李登輝在與司馬遼太郎對談中,曾因「生為台灣人的悲哀」的名言而引起各種不同的解讀,司馬遼太郎同時也是對台灣、對李登輝個人最為理解的日本文化人之一。

李登輝將在元月二日搭乘日亞航於下午五點二十分起飛的二一七班機回台。

日本外務省曾對這次李登輝在日本與友人餐敘的名單一一加以過濾,據轉述,例如三十一日中午拜訪恩師柏祐賢之後,中午在京都大倉飯店與京大教授共餐的名單,都經過外務省過濾,其中原來預定出席的京大教授中西輝政,因被外務省點名為「色彩鮮明」而無法出席。

知情人士又説,希望與李登輝見面的教授非常多,而且不只是京大的教授,但都無法如願,「這次日本外務省好人只做一半」。

【時事通信】日本政府と国民に感謝=李前総統が帰台

観光目的で訪日した台湾の李登輝前総統は1週間の日程を終え、2日夜に日本アジア航空機で台北に到着した。台北国際空港には李氏を精神的指導者と仰ぐ政党、台湾団結連盟(台連)の支持者など多数の人が出迎えた。同氏は離日直前に「日本政府、国民、台湾の在日華僑の方々の親切なもてなしに感謝します」と述べた。

李氏は日本滞在中、曽文恵夫人らとともに名古屋、金沢、京都などの観光地を巡り、母校・京都大学の恩師と約60年ぶりの面会も果たした。

【日本経済新聞】李登輝前台湾総統、日本訪問終える

観光目的で来日した台湾の李登輝前総統(81)は2日午後、関西国際空港から日本アジア航空機で台北に向け出発した。離日に先立ち京都市内で談話を発表。日本政府や国民、台湾出身の在日華僑に向け「旅行中に与えてくれました親切なおもてなし、ご配慮に心から深く感謝の意を表します」と述べた。

李氏は生前交流のあった作家、故司馬遼太郎氏の墓前で自筆のメモを取り出し、報道陣に向け読み上げた。今回の旅行について「日台両国の静かな強いきずなになれば、このたびの旅行は成功だと思います」と語った。

【毎日①】台湾:李登輝前総統、台北に帰着

年末年始を日本で過ごした台湾の李登輝前総統(81)は2日夜、関西空港発の定期便で台北に帰着した。李氏は日本入国査証(ビザ)の発給条件だった「観光目的の家族旅行」を守り、7日間の日本滞在中、政治的発言や目立つ行動を控えた。対中関係への悪影響を危惧していた日本政府は、安堵しているとみられる。

李氏は今春以降の再訪日を希望しており、次回の査証発給に向けて実績を積んだといえそうだ。関西国際空港旅客ターミナルの国際線出発口で、李前総統は大勢の見送りを受けた。「お元気で」と声をかけられると、「はい、ありがとう」と手を振り、飛行機に乗り込んだ。

【Taipei Times】Supporters welcome Lee’s return 写真

‘SUCCESSFUL’ TRIP: The former president said that Taiwan-Japan relations are strong and his trip was successful in bringing the two nations even closerTaiwan’s relations with Japan are quietly growing stronger, former president Lee Teng-hui (李登輝) said yesterday.

“My trip to Japan is an indication that Taiwan-Japan relations are at their best,” Lee told a huge crowd of supporters at CKS Airport yesterday after concluding a week-long visit to Japan.

Lee’s trip drew strong protests from China, but was hailed in Taiwan as a vital step in normalizing the nation’s relations with Japan.

The former president gave a brief speech at a grave site in Kyoto where a renowned novelist and personal friend of Lee was buried.

“Today I am going to finish this short seven-day trip. I want to thank once again the kind care given by the Japanese government and people and overseas Taiwanese in Japan,” Lee said.

“Although my stay is brief, I have learned a lot about the Japanese culture and life. To me, it is a rich harvest. Japan is a progressive country which is capable of retaining its tradition,” he added.

“My trip can be considered a success if Taiwan and Japan can establish stronger relations. Again, I want to pay tribute to the Japanese people and hope that Japan will further prosper and grow in Asia. Thank you all,” Lee told reporters.

Lee and his family visited the Kyoto Kiyomizudera, the most ancient temple in the city, before departing for Osaka from where he flew back to Taiwan.

Before boarding, a reporter asked Lee whether he would come back to visit Japan. Lee said, “I don’t know.”

Due to the sensitivity of the trip, the Japanese government required Lee not to be involved in any political activities or meet politicians during his stay. Though constantly followed by the media, Lee seldom talked to reporters apart from nodding to them and saying “thanks.”

Meanwhile, despite cold weather, Lee’s supporters gathered at CKS International Airport to welcome him back hours before he arrived yesterday.

Organized by the Taiwan Solidarity Union (TSU) and other pro-independence organizations such as the Alliance to Campaigning for Rectifying the Name of Taiwan and the Taiwan North Society, Lee’s supporters chanted, “Uncle A-hui” — Lee’s nickname — on their way to the airport.

The supporters, some of them traveling all the way from Kaohsiung to join the welcome rally, all wore jackets printed with a map of Taiwan and the words “Rectify the Name of Taiwan” and “Make Our Constitution.”

“Japan defied China’s oppression and issued former president Lee a visa. Lee’s trip to Japan displays to the international community the sovereignty of Taiwan,” said TSU Legislator Chen Chien-ming (陳建銘).

Lee’s flight arrived at CKS International Airport at 7:20pm. Minister of Foreign Affairs Mark Chen (陳唐山) and Lo Fu-chen (羅福全), president of the Association of East Asian Relations, were among the officials who welcomed the former president back.

Shortly after, Lee gave a speech to his supporters in an airport parking lot. According to organizers, more than 1,500 people attended the airport rally. Beforehand, a small group of male participants were sent to scout the parking lot, as rumors circulated that a group of pro-unification activists intended to disrupt Lee’s speech.

20050102-03Former President Lee Teng-hui yesterday waves to the public upon his arrival at CKS International Airport in Taoyuan, after he arrived back from his seven-day trip to Japan. Hundreds of Lee supporters went to the airport to welcome him back despite the cold weather.

【共同通信①】李登輝氏、日本訪問終える 恩師との再会果たし台北へ

20050102-04

司馬遼太郎氏の墓前に花を手向ける台湾の李登輝前総統(右端)=2日午前、京都市東山区

台湾の李登輝前総統(81)は2日午後、7日間の日本訪問を終え、関西空港から台北に戻った。

李氏は「家族旅行」の締めくくりとして同日午前訪問した西本願寺大谷本廟(京都市東山区)にある小説家、故司馬遼太郎氏の墓前で、報道陣に「わたしの日本訪問はこれで終わります」などと日本語であいさつ文を読み上げ、日本政府の対応などに感謝の意を表した。

さらに今回の旅行が「日台両国の静かで強いきずなになれば成功だと思う」と話し、「日本がますます国際的に、アジアで最も発展するような国になるよう祈っております」と締めくくった。

【朝日】李登輝氏が離日、政治的発言は控える 中国、言動を分析

台湾の李登輝前総統(81)は2日、1週間にわたる日本国内の旅行を終え、台湾に帰った。滞在中、「私人としての観光旅行」との前提に沿って、政治的な言動を控える姿が目立ったが、今回の訪日に絡んで「日台のきずな」を固める意向も示した。李氏を「台湾独立派の総代表」と敵視する中国は訪日の結果を分析し、日本政府や台湾への対応を決めるとみられる。01年の「医療目的」での訪日とは違って、李氏は今回、メディアの質問に随時応じられる形になった。同行の台湾メディアは約15社30人。日本メディアも数社が全旅程を取材したほか、中国の国営新華社通信の東京特派員も同行した。

李氏は、台北から27日に到着した名古屋で徳川美術館などを訪れて観光した後、金沢など石川県を回り、琵琶湖東岸で年を越した。京都では清水寺などを見たほか、京大農学部時代の恩師と61年ぶりに再会した。

その間、京都の銀閣寺で31日、報道陣の取材に応じ、「今回、日本を一層よく理解することができた。私にとっては文化の旅だった」「日本は秩序やいろいろな方面がみな良い国だ。台湾が新国家を打ち立てるうえで役に立つ」と述べた。

最終日の2日は、京都で、親交のあった作家司馬遼太郎さんの墓を参り、自ら書いた日本語の文書を墓前で読み上げた。その中で今回の訪日について「日台両国の静かな強いきずなになれば、このたびの旅行は成功だと思います」と語った。

日本の植民地統治下の台湾で生まれ育った李氏に対して中国は「日本との特殊な歴史的関係」も問題視している。日中間の摩擦の要因である「歴史問題」にもかかわる問題であるため、こうした李氏の言動の内容について中国側は分析を進めるとみられる。

ただ、政治絡みと取られかねない発言はこれだけで、それ以外では、台湾メディアが温泉などの感想を尋ねても断片的に答えるのみ。李氏に終始付き添った関係者によると、李氏は行く先々で、早世した一人息子が残した孫娘の李坤儀さん(23)に日本の歴史や自然などをていねいに教えていたという。

台湾メディアは「日本の冬景色をバックにした李氏」を撮影するなどしたが、李氏の発言が抑制的だったため「意外」との声も漏れた。台湾のテレビスタッフは「まるで観光番組だ」と話し、台湾紙の中には「沈黙の旅」と見出しを打った社もあった。

李氏は帰りの機中で、日本人記者たちが再訪日の予定について尋ねると、「未知数だ。いろんな状況を考えないといけない。(自分が)元気であれば、奥の細道を全部歩きたい」と語った。

【東京新聞】日本への「家族旅行」終了

日本を家族で旅行していた台湾の李登輝前総統が2日夜、関西空港から日本アジア航空機で台湾に戻った。日本滞在中、一行は各地で大歓迎を受けたが、李氏は講演や記者会見などを一切行わなかった。年末から年始にかけて夫人、孫娘や親しい随行者とともに名古屋、金沢、京都などの旅を楽しみ、京都帝大(現京大)農学部生時代の恩師と61年ぶりの再会を果たした。

李氏は「家族旅行」の締めくくりとして2日午前訪問した西本願寺大谷本廟(京都市東山区)にある小説家、故司馬遼太郎氏の墓前で、報道陣に「わたしの日本訪問はこれで終わります」などと日本語であいさつ文を読み上げ、日本政府の対応などに感謝の意を表した。さらに今回の旅行が「日台両国の静かな強いきずなになれたら成功だと思います」と話した。

【読売①】李登輝前総統が離日、「旅行中のもてなし」に謝意

台湾の李登輝・前総統(81)は2日夕、7日間の訪日日程を終え、曽文恵夫人(78)らとともに関西空港から台湾へ帰った。空港では、見送りに来た台湾出身者ら約300人に笑顔で手を振った。李氏はこの日、京都市の清水寺を見学した後、交流のあった作家司馬遼太郎さんの墓がある同市内の大谷本廟を訪れ、墓前に花を供えた。

この後、今回の訪日について記者団に対し、「旅行中の親切なおもてなし、ご配慮に深く感謝の意を表します。『日台』の静かな、強いきずなになれば、旅行は成功だと思います」と語った。

【読売②】「奧の細道歩く」李登輝前総統が次回訪日に期待感

日本を訪問していた台湾の李登輝・前総統は2日夜、関西空港から台北に向かう民間航空機内で、読売新聞などに対し、次の訪日について「いつになるか分からないが、元気であれば、(松尾芭蕉の)『奥の細道』を全部歩こうと思っている。(全部歩くためには)1ヶ月ぐらいかかるかな」と期待感を示した。また、日台関係について李氏は、「(1972年の日台断交以来)一番いい状態だ。静かな強いきずなを作ることが安全(保障)のために大切だと思う」と述べた。

【産経】李登輝氏、司馬遼太郎氏の墓前であいさつ 日本訪問終える

20050102-05

日の丸が振られる中、帽子を取り笑顔で応える台湾の李登輝前総統=2日午後、JR関西空港駅

20050102-06

司馬遼太郎氏の墓前に花を手向ける台湾の李登輝前総統(右端)=2日午前、京都市東山区

台湾の李登輝前総統(81)は2日午後、7日間の日本訪問を終え、関西空港から台北に向け出発した。

李氏は「家族旅行」の締めくくりとして同日午前訪問した西本願寺大谷本廟(京都市東山区)にある小説家、故司馬遼太郎氏の墓前で、報道陣に「わたしの日本訪問はこれで終わります」などと日本語であいさつ文を読み上げ、日本政府の対応などに感謝の意を表した。

さらに今回の旅行が「日台両国の静かで強いきずなになれば成功だと思う」と話し、「日本がますます国際的に、アジアで最も発展するような国になるよう祈っております」と締めくくった。

今回の来日をめぐっては、中国政府が「言動を注意深く見守る」とけん制。李氏は日本側が入国査証(ビザ)発給の際に出した「記者会見しない」などの条件を守り、台湾メディアからは「沈黙の旅」とやゆされた。

李氏の来日は治療目的で大阪、岡山を訪問した2001年4月以来3年8ヶ月ぶり。12月27日に名古屋から入国し、金沢、京都、滋賀を回り、兼六園や母校の京大などを訪れ、京大時代の恩師とも再会した。

◆李登輝氏が2日読み上げたあいさつの要旨は次の通り。

一、帰国するに当たりあらためて日本政府、および国民の皆さまが旅行中に与えてくれました親切なおもてなし、ご配慮に心から感謝の意を表します。

一、短期間でしたが、日本の文化、国民の生活を実地に見ることができたこと、わたしにとってかなりの収穫が得られました。進歩の中に伝統が失われずに維持されているのを強く感じました。帰国してからゆっくり吟味し、勉強するつもりです。

一、日台両国の静かな強いきずなになれたら、このたびの旅行は成功だと思います。日本がますます国際的に、またアジアでも最も発展するよう祈っています。さようなら。

◆≪李登輝氏訪日中の足取り≫
20050102-07
2004年12月27日 名古屋空港へ到着

28 李氏が学徒出陣で陸軍に入隊し、終戦を迎えた思い出の地、名古屋観光

29 金沢観光、和倉温泉(石川県)泊

30 能登半島めぐり。西田幾多郎記念哲学館を見学、台湾の水利施設建設に貢献した故八田与一氏の生家訪問

31 京都で京大生時代の恩師柏祐賢氏と61年ぶりに再会

2005年1月1日 琵琶湖湖畔観光

2 京都で司馬遼太郎氏の墓参り、関西空港から離日

◆台湾の李登輝前総統(81)は2日、中国の圧力に屈せず来日を認めた日本政府の「誠意」に応え、一切の政治活動を控えたまま1週間の来日日程を終えた。離日前「日台両国の静かな強いきずなになれば、今回の旅行は成功」と強調し、日台関係強化への決意を新たにした李氏。ただ、日本政府の対中配慮から、李氏が望む将来の「東京訪問のハードルは高い」(関係者)。今後も度々来日し「日台関係の春」(側近)を招き寄せることができるのか。李氏の「旅」はまだ始まったばかりといえそうだ。

▽台湾人意識

「進歩の中で伝統を失っていない日本社会に強く何かを感じている。帰ってから、じっくり勉強する」「日本の秩序は優れており、台湾が新たな国家をつくる際に(モデルとして)大きな助けになる」。李氏は京都でのメディアとの短い懇談でこう語り、日本社会を高く評価し、「台湾国づくり」のモデルとする考えを示した。

「単なるセンチメンタルジャーニーではなく、思索の旅だった」。敬愛する哲学者の西田幾多郎や鈴木大拙の出身地、石川県や母校の京大がある京都を訪ねた李氏の旅行を側近はこう表現した。「22歳まで日本人だった」という李氏は自らの思想形成の原点を訪ね、持論である「台湾のアイデンティティー確立」の重要さをあらためて認識したという。

ある日本側関係者は「李氏は治療目的に限定された2001年の来日に比べ自由な旅で、青春時代を過ごした日本の良さも再認識した」とみる。

▽元首並みの警護

台北から名古屋への機中、中国の王毅駐日大使の李氏に対する「戦争メーカー」発言について「中国は強国だから大きなことを言ってもいいと考えているが日本人や国際社会はあざ笑っている」と痛烈に批判したが、到着後は政治的発言を控え、台湾紙に「沈黙の旅」と酷評された。

訪問先の各地で、台湾出身の在日華僑や留学生のほか、李氏を支持する日本人グループの歓迎を受けた李氏だが、日本政府の出した来日の条件(1)記者会見しない(2)講演しない(3)政治家と会わない-の「3つのノー」を固く守り続けた。

日本側もまた、李氏をまるで「国家元首」のように手厚く警護、突撃取材を試みる台湾や日本のメディアをシャットアウトした。「滞在中の政治的活動を許さない」とくぎを刺した中国側が、派手な報道に反発し「二度と来日できなくなる事態を避ける」(関係者)ためだった。

中国側は「滞在中の言動を注視する」と強くけん制していたが、李氏の慎重な対応から、対日報復措置はとれず、訪日批判も収束せざるを得ないだろう。

▽再来日に意欲

小泉純一郎首相の靖国神社参拝への中国当局の非難などで”嫌中感情”を強める世論を背景に李氏を「対中牽制カード」にしようとの日本側の思惑もちらつく。国際社会での存在感向上を目指しながら、切り札に欠ける台湾にとっても、知名度が高い李氏の訪日を恒常化させ、日台関係強化につなげたいとの思いがある。

李氏もそうした政治的効果を計算に入れているようで、離日を前に「日本がアジアで最も発展する国になるよう祈っている」とエールを送るとともに「近いうちに再訪日か」との記者団の質問に日本語で「そうね。できたら」と答え、次回の来日に意欲を示した。