参加メンバー(総勢13名)

青年部初めての日台交流事業となる、「第1回 日台青年交流会議(2004年8月21日~25日)」は無事に終了しました。

5日間の日程中、後半の2日間は台風に見舞われ、消化不良となってしまいましたが、参加者13名全員が無事に帰国することが出来ました。ご協力いただいた方々に心より御礼申し上げます。


「真理大学の学生や友愛会と有意義な交流 第1回・日台青年交流会議」

    青年部長 早川 友久

本会青年部は、初めての訪台交流事業である、「第1回 日台青年交流会議」を8月21日~25日にかけて実施した。結成された訪台団は総勢13名、そのうち大学生・大学院生が11名、社会人が2名であった。

昨今の歴史教科書において、日本と台湾の関係を示す記述はほんの数行と言っても過言ではない。しかし、表層には出なくとも、水量豊かに流れる地下水脈のように連綿と受け継がれてきた日台間の絆の深さを如何に日本の若者に知らしめるか、それが訪台団の一番の命題である。日程後半、台風禍で予定変更を余儀なくされ、消化不良となってしまったが、参加者たちが異口同音に「“良い意味で”未練が残った。もっと台湾のことを学んで、もう一度台湾を訪れたい」と言ってくれたのが救いである。

8月21日(土) 私たち訪台団を乗せた中華航空機は、定刻通り台北国際空港へ到着した。入国ロビーでは、受け入れ先となる真理大学の劉教授と應用日文系の趙華鈺君、陳淑☆さんが出迎えてくれた。大学側が私たちの世話役として派遣してくれた彼らは、これから5日間文字通り寝食を共にしてくれ、今ではかけがえのない友人である。淡水キャンパスへの車中、劉教授から丁重な歓迎の挨拶と説明を受けた。それによれば、宿舎となる国際交流棟は8月に竣工したばかりで、私たちが入居第一号ということである。真理大学は、今年度から国際交流や留学生受け入れの推進を図っており、そのための宿舎だという。9階の各部屋にはエアコン・バス・トイレ・机・ベッドが完備されており、窓からの眺望は、遠く淡水河の落日を愛でることが出来る贅沢な借景である。

入寮にあたっての注意事項を劉教授から伺った後、淡水の夜市へ食事に全員で繰り出す。台湾を初めて訪れる者は、夏祭りの縁日もかくの如しかと賑わう夜市の喧騒に目を見張って驚きの様子であった。

8月22日(日) 午前9時半、二二八事件の凄惨を今に伝える二二八紀念館を見学。ガイドを買って下さったのは総統府のボランティアガイドも務める林玉鳳さん。全島蜂起の発端となった闇タバコ殴打事件をその眼で目撃した林さんはまた、日本時代を良く知る生き証人でもある。「ここへ来ると辛いから」と、普段は2月28日以外、足を踏み入れることのない紀念館のガイドを私たちのために特別に引き受けてくれた。初めて目にする、台湾が歩んだ暗い歴史に皆一様に押し黙ったままだ。無理もないだろう。平和な戦後を歩んできた日本のすぐ隣に位置する島が、長い間「監獄島」であったことなど教科書には載っていない。

午後は、日本でもその名を知られる「友愛会」との交流会である。「美しい日本語を守る」ため、台湾人有志が集って12年前に創設された会で、月に一度、勉強会を開いている。会員は総勢200名余り、日本語族が中心だが、日本語を勉強中の若い世代も名を連ねており、最年少は26歳だとか。私が陳絢暉会長に交流のお願いをした際に申し上げたのは、「何故、台湾の方々が、かくも熱心に“美しい日本語を守るため”に活動されているのか、台湾の祖父母から日本から孫たちへ話していただきたい」ということであった。実際、私たちを迎えて下さった友愛会の方々の日本語は、紛うことなく美しき大和言葉であった。それに引きかえ、私たちの話す日本語のなんと薄っぺらなことだろう。どちらが本家かわからない。

簡さんがグラスに入った水をうっかりこぼして、「すまん」。すかさず隣の張さんが、「まったく、これで俺たちは水入らずってことだな」とやり返す。こんな機知に富んだ軽妙洒脱な会話がそこかしこで交わされているのを耳にするのである。「台湾の方々から直接お話を聞くことで、少しでも台湾の時間の流れや人々の気持ちに近づくことが出来るのなら、それは私自身が努力する意味のあることではないかと思う」、「“教育は怖いんだよ”という言葉が心に響いた。教科書では語りつくすことのできない深い歴史を直に聞くことができる私たちは、本当に幸運だと思う」。

シオランの言葉、「祖国とは国語」に準えれば、日本語を自由に操り、寝言を日本語でつぶやく彼らは日本人である。彼らの話す格調高い大和言葉、国を想う心を説き、歴史を語る真摯な眼差しは、抜け殻となった現代の日本人にとってどう映ったのだろう。台湾に生きる真っ当な日本人を合わせ鏡にして今の日本を顧みたとき、なんとも歪んだ形に見えると感じてくれただろうか。そして、かつてこの島に尽くした先人が遺したものの大きさを知り、日本人としての誇りを感じてくれたならば、「なぜ台湾で美しい日本語を守ろうとしているのか」、自分なりの答えが見えてくるであろう。

8月23日(月) 午前9時より、真理大学應用日文系の学生と、「日台関係における私たちの役割」と題しての討論会を開く。はじめに、葉能哲学長の代理で歓迎の挨拶に立った郭主任教授が、「台湾と中国は全く別の国です。そのことを是非理解してほしい」と熱弁を揮われた。象牙の塔の中で旗色を鮮明にされたことに一瞬驚きながらも、大学側が心底我々を歓迎してくれる気持ちが判り大変感激したと同時に、台湾の本流は我々の信ずる側にありと意を強くした次第である。

続いての討論会だが、国は違えど、同世代の学生たちである。すぐに打解けて賑やかな会となり、予定の2時間はあっという間に過ぎてしまったようだ。「日本語を学んでいる以上、私たちには日台関係に対して責任があります。今日は、日本人である皆さんに、私たちがこの台湾をどうしていきたいか聞いていただけて大変うれしいです」(鄭立民・真理大学)。男子学生には卒業後、徴兵が待っている。そもそも台湾は国造りの真最中である。少なからず国との関わりを意識せざるを得ない台湾の学生たちの、政治に対する関心は総じて高くかつ真面目である。私自身にとっても、日本側の参加者にとっても大変良い刺激を受けた討論会であった。

当夜、蔡焜燦・台北市李登輝之友会会長主催の晩餐会に御招待いただく。晩餐会には友愛会の面々もお出でいただき、日本からやって来た青年たちを奮励せんと益々意気軒昂である。「昨今の日本は落ちぶれたと聞いていたが、この若者たちを見て、日本はまだまだ大丈夫だと安心した」と、乾杯の音頭をとった元医師の柯さんの言葉に、余りにも違和感が無さ過ぎたからだろうか、迂闊にも気付かなかった。会も終わり頃になって蔡会長が言う。「乾杯の時、柯さんが言っただろう、“日本は大丈夫と安心した”と。私も同じ気持ちだ。だけれども、よく考えて欲しい。日本の将来は安心だと言ったのは台湾人だということを」。未来は若者のものであると同時に、重い責任を伴うことを痛感した。

そしてまた、ここでも私たちは、日本人以上に日本人らしい台湾人の姿を見ることになる。最後に記念品として蔡会長に靖国神社の御札をお贈りすると、ご夫妻で「靖国神社の歌」で返礼して下さったのだ。私はこうした場面に接する度、今は亡き日本が息づく台湾に改めて深い愛着の情を覚えるのである。

帰途、超大型台風が台湾北部へ接近中のため、翌日予定されていた李登輝前総統の講演会は中止との連絡が入った。残念至極であるがこればかりは仕方がない。ミーティングでは、翌日の予定を全て白紙にして宿舎待機とする旨を伝達した。

8月24日(火) 台北市および近郊は、警戒宣言を発令し、官庁・学校は全て閉鎖となった。大型台風が2つ台湾近海に発生しているとのこと。翌日の帰国が危ぶまれるが運を天にまかせるしかない。夜、嬉しいことに真理大学の学生たちが退屈する私たちのところへ雨風の中を遊びに来てくれた。

8月25日(水) 朝、目覚めると見たこともないような暴風雨。今日中の帰国を半ば諦めていたが、航空会社によれば天候回復次第、順次飛ばすとのこと。お世話になった宿舎の清掃を済ませ、暴風雨の中を見送りに来て下さった劉教授に御礼を述べる。結局、世話役2人は空港まで見送りに来てくれた。その義務感と責任感を見るにつけ、彼らのような青年が育つこの国の前途は決して暗くはないと感じる。午後10時、2時間遅れで参加者全員が無事に成田へ到着した。

紆余曲折しながら手探りの状態であったが、文字通りたくさんの方々に支えられての訪台であった。ご支援いただいた方々にはこの場を借りて厚く御礼申し上げる次第である。この「日台青年交流会議」は来年以降も実施していく予定であるが、願わくば、私たちの蒔いた小さな交流の種が近い将来、大輪の花を咲かせ、日台友好の証となることを願ってやまない。と、同時に、その花を咲かせるためには、水をやり続けるかの如く、小さな努力の継続が必要なことも我々は忘れるべきではないと肝に銘じる次第である。


ツアー終了後、参加者から寄せられたレポートの一部を掲載しています(50音順)。また、受入先となった真理大学日本語学科の学生たちからも感想文が送られて来ています。中には、日本語で書いてくれたものもありますので掲載いたします。

「台湾感想文」 伊藤 あさぎ【慶應義塾大学文学部1年】
百聞は一見にしかずという言葉があるが、この日台青年交流会議ではそのことを身をもって実感できたと思う。このツアーに参加する前には私は台湾について特に興味もなく、台湾について知っていることなどほとんどなかった。歴史的なことに関しても、戦前日本が支配していたとか、戦後蒋介石が逃げ込んだなど習う程度で、そのことについても日本も蒋介石もろくなことをしないなという程度にしか感じていなかった。

そしてこのツアーに参加させてもらうことになり「台湾論」をはじめ数冊の本を読んで、日本が台湾で何を行ったかや二・二八事件などの国民党の仕打ちについて知った。たった二、三冊の本を読んだだけで、台湾について何かを理解することができたとは決して思ってはいなかったが、実際に二・二八記念館に行きその時代を体験した人たちのお話をうかがった時には、自らの想像の甘さを心から感じることになった。

二・二八記念館で何が印象に残っているかと問われたとき一番に頭に浮かぶのは、壁にところ狭しと並んだ犠牲者たちの写真群である。私は本で二・二八事件の犠牲者は二万八千人にのぼると書いてあるのを読み、その時にもそれ相応の恐怖は感じた。しかし、一人一人の存在を訴えかけるかのようなこの写真を見たときにはただの数字だけでは済まされない真に迫った恐怖を感じた。

それに何より恐ろしいと思ったのは、この事件が起きたことが外で取り沙汰されなかったことにあると思う。大陸では文化大革命が起き、ここでも知識人階級が犠牲になったが、当時は世界では共産党が何をしているか正確には分からなかったと聞く。しかし、今では私程度でも文革というものがどういうものだったのか大まかに知っている。

しかし、二・二八事件についてはかなり細かく習う現代史においても一言も習わなかった。いくら文革とは犠牲者の数が違うとはいえ、隣の台湾の歴史についてまったく習わないのはおかしいと思う。ただの私の邪推であるかもしれないが、世界を冷戦の構造で分けたときに、台湾は戦後直後では資本主義陣営に属する。これが二・二八事件が日本で大きく扱われず、一般的に知られていない原因はここにもあるのではないかと思う。このような事実があったことを後世に知らしめるのは重要なことであり、この建物がこの事件の証拠として大切に保存され、できるだけ多くの人が台湾で何があったかについて知ってくれるとよいと思う。

また二・二八記念館を案内して頂いた後に、妙にだだっ広い空間に連れて行ってもらい、ここが蒋介石の墓だと教えてもらった時には本当に唖然としたことを覚えている。敷地の端にいる人たちがあまりも小さく見え、思わず台湾も土地が余っているななどと場違いなことを考えてしまった。

だが、所狭しと屋台や食堂が立ち並ぶ熱気あふれる場所とこの場所との差を考えると薄ら寒さを感じずにはいられない。あの夜市などを見ていると、台湾は民主主義で資本主義の国なのだと感じることができる。しかし国民党以外の総統が出た今となっても堂々と存在する蒋介石の像に、台湾の暗い一面を見出してしまう。

たかだか四泊五日の旅ではその国についてほとんど何も知ることができない。今度の旅行で私は様々なことを学ぶことができたが、それでもそれは物事のほんの一面を見ているだけなのだと思う。これから少しでも広い見識を持つために、今度の旅行で感じたことを生かしていきたいと思う。

「ツアーを終えて」田中 英邦【法政大学法学部1年】
今回私は台湾に来るのは初めてでした。たしかに来る前に台湾に関する本を読んできましたが、それだけでは足りないわけで、生の話を聞いたり、実物を見ることによって私自身の視野も広げることができました。

当初台湾の歴史についてあまり知識がなかった私ですが、二・ニ八記念館と真理大学の校史館に入ってみて、改めて台湾という国は複雑で大変な時代を送ってきているのだなと思いました。特に二・二八記念館では、二・二八事件をきっかけに多くの人々の血が流れ、そして多くの知識人たちがどんどん闇に葬られていった話を聞いて、つらく悲しい気持ちになりました。さらに、遺品や亡くなった人々の写真みると本当になんともいえない感情におそわれました。こんなことが二度と起きてはならないと強く感じました。

さきほども述べましたが、台湾というのは戦前は日本、戦後は中国の支配を受けていたという歴史を持っている点で非常に複雑な国だと私は思っています。それはなぜか。私の見解としては台湾はもともとは中国の領土として扱われ、日清戦争を期に日本の領土として支配されて来ました。そして、第二次世界大戦が終了するとまた中国の支配体制の中に組み込まれてしまいました。政治体制の移行や新しい文化の流入が引き起こされました。それが原因で色々な問題もあったはずです。ほかにも色々理由があるでしょうが、これだけを見てもやはり複雑なところではないかと思ってしまいます。

二日目の友愛会の方たちとの談話会の場では多くの知的な方々にお会いすることができてよかったです。日本ではあまり聞くことの出来ない戦争や歴史の話をしていただいて、学ぶべきことが多く、嬉しく思いました。

私は談話会の場で主に台湾における政治の話をしていました。今度総選挙が台湾独立に大きな影響力をもたらし、その結果次第で今後台湾のあり方が決まってしまうといった話です。李登輝元総統から民主政治が徐々に浸透してきましたが、まだ完全ではないのは周知の通りです。だから、今度の選挙で民進党の勝利が独立へまた一歩大きく前進させるために重要なのです。

もともと、台湾は台湾人が大多数を占めているのになぜか国民党が政治を執り続けていました。台湾は大きく分けて独立派、反独立派そして無党派の三種類の人がいるということをいわれました。反独立派の中には昔から国民党の恩恵に被り続けたために、国民を支持する人もいるようです。しかし、最近はそのような恩恵を被ってきた人々の中でも自分の意思を持ち、独立したいと思うような人たちが民進党支持へ動いているというふうに聞きます。

独立派と反独立派はほぼ同じ勢力を保っているために、結局次の選挙でキーマンとなる人々はやはり無党派の人々の動向でしょう。全体の約三割の人々を占め、将来の台湾をこの人々によって大きく左右されてしまうと言っておりました。しかし、私は新しい若い世代の人々も出てきているわけですし、必ずいい方向に向かっていくのではないかと思っています。

三日目の真理大学の学生との交流では短い時間でしたが、有意義な時間を過ごすことが出来ました。みんな日本に関心を持っていてくれて、話をしていてのすごく楽しかったです。日本に来たことがある人もいましたし、かなり身近に感じられました。日本語も上手で、自分もしっかり語学の勉強しなければならないと思っています。来年までに少しでも上達するようにがんばり、そして、もっともっと色々話をして、お互いの仲を深めていきたいです。

交流会の時の話とは少しずれますが、対話の形式がすべて対面式の二者で話す形態をとっていたということです。どうでもいいことかもしれませんが、日本では集団で話いて、全体の話で和んだ後に個別で話をすることが多かったため、なんか違和感というか新鮮な感じがしました。

最後になりましたが、この五日間の旅で天候の関係で当初予定されていたことが中止になったり、残念なこともありましたが、真理大学の学生さんたちとも友達になれましたし、友愛会の方たちからも多くの話をお聞きすることが出来ましたので、大変満足でき充実した時間を過ごせたと思っています。

「台湾を訪れて」肥後 典代【上智大学法学部国際関係法学科1年】
台北の空港を一歩出た瞬間、日本とは何か違った湿っぽい暑さが体中を覆った気がした。今年の夏の日本が記録的な猛暑だったこともあってか、“日本よりも赤道よりに位置する台湾”に期待していた酷暑と言うものを新鮮に感じることはできなかったけれど、その独特のじめじめした空気に、亜熱帯の国に来たのだという実感を得ることができた。

最初の夜に訪れた淡水の市街は、一言でいって、とにかく活気に満ち溢れていた。たとえるなら日本の夏のお祭りみたいな感じだ。商店街の店には屋内と屋外を仕切るドアはなく、多くの人が気軽に出たり入ったりしている。それらの店の前の路上に軒を連ねる屋台では、店頭に色鮮やかに並べられた果物やジュースが、通る人の目を引き付けている。夏休み中ということもあってか、小さい子供の姿も多く見受けられたけれど、それにしても、夜の10時をとうに過ぎた時刻にも子供たちがはしゃいで走り回っている姿には正直驚いた。治安がいいということもあるのかもしれないけれど、私はそれ以上に、この街にあふれる人々の温かい活気というものを感じずにはいられなかった。

今回のこの台湾への旅は、私にとって驚きや発見の連続であったけれども、旅の間中を通して台湾の人々の温かさに触れ続けていた気がする。今考えればそれは、この淡水の街を訪れた時から始まったように思う。

台湾という地に対して、私はそれまでどれほどの知識を持っていたかというと、ほとんどないに等しかったと言って過言ではない。高校世界史程度のレベルでしか(といっても高校世界史で扱う台湾の歴史はごくわずかにすぎないのだが)、台湾については知らなかった。今回台湾を訪れる上で事前に下調べをした際、一番驚いたことは、台湾が思った以上に親日であるということだ。実際現地でも、漢字だらけの看板の中にふと平仮名を発見することも決して珍しくはなかったし、こちらが日本人だとわかると、片言の日本語で一生懸命説明してくれるお店の店員さんにも度々で出会うことができた。どうもその背景には、日本がかつて台湾を統治していた時代の出来事が深く関わっているというから、驚きだった。

戦時中に日本が侵略や支配をした国や地域として、朝鮮半島、満州、中国などと共に台湾を挙げた時、きっとその統治は極悪非道を極めたものだったのだろうというイメージが浮かびはしないだろうか。実際その時代に生きた人間ではない以上確かなことはわからなくても、昨今の歴史教科書問題や小泉総理の靖国参拝問題で必要以上に神経を尖らせている中国や韓国の様子を、連日のようにニュースで伝えられれば、日本がかつていかにひどいことをしたのかが容易に想像できてしまう気がする。けれども台湾について調べてみると、一概にそう決めつけてしまうことはできないのだと知った。確かに差別があったことは事実だが、法の整備、治安の改善、教育の普及、インフラ整備などの点で、日本は特筆すべき成果をあげたのだという。

ツアーの2日目に、日本の統治を経験された友愛グループの方々とお話できる機会があるということだったので、実際の当時の様子を是非聞いてみたいと思っていた。しかしそこでは、また思わぬことを伺うことができた。それは、蒋介石や国民党に対する批判である。日本が敗戦し台湾から撤退した後台湾へ入ってきた国民党の蒋介石の時代、それは、弾圧の歴史だったという。お話を伺った方は、自由な発言すら許されなかった当時の様子を淡々と語ってくださった。それらのことは、私にとっては非常に衝撃的な事実だった。冷戦史を学ぶ中で、共産主義イコール悪という系図が、どこか頭の中で出来上がってしまっていた気がする。自由な資本主義こそが、正しいとまでは言いきれなくても、あるべき社会のあり方だと考えていた。それゆえ、反共を掲げて共産党と戦った国民党の敗北は私には何か不可解なものに思えたし、たとえ負けても、その後国民党は西側諸国のバックアップのもと、台湾でそれなりにいい統治をしたのだろうと勝手に思い込んでいた。話を伺った方がおっしゃった、「教育は怖いんだよ。」という言葉が心に響いた。

戦争を知らない私たちの世代が戦時中を知る唯一の方法が教育だとしたら、教育の責任は重い。事実に反したことを教えるわけではなくても、偏った事実ばかりを教えてしまったら、それこそ偏った考えを持った人間になってしまう。日本統治の悪いところばかりを教えられたら、個人的に何の恨みもなくても反日感情を抱いてしまうのは当然の流れだろうし、西側諸国の視点から歴史を教えられたら、共産主義に対して少なからずの悪いイメージを抱いてしまうものなのかもしれない。今までの自分が、知らず知らずのうちにまさにその偏った考えを持ってしまっていたことを、ふと実感した瞬間だった。

その国には、教科書数ページくらいでは語りつくすことのできない様々な深い歴史、背景があるということを、忘れてはいけないのだと改めて思った。激動の時代を実際に経験した方々の話を直に聞くことができる私たちは、本当に幸運だと思う。このことを胸に留めて、これからも多くのことを広い視野を持って学んでいきたいと思うと同時に、今度は次の世代に偏りのないありのままの歴史を伝えることが、私たちのなすべきことなのだと強く感じた。

3日目に、真理大学の応用日本語学科の学生との討論会があった。その前日に先に述べたような衝撃を受けたばかりだった私は、ついつい歴史的なことに興味が行ってしまって固い話を切り出してしまったのだけれども、向こうの学生の方は、歴史的なことに関してはいい意味でそこまで深刻に考えてはいないような印象を受けた。その日はずっと、大学生活のこととか、日本や台湾それぞれの文化のことの話で盛り上がった。私はまったく中国語がしゃべれず、スピードをゆっくり、ちょっと言い回しを変えてみたりと試行錯誤して日本語をしゃべるのを、向こうの学生さんが一生懸命読み取って応えてくれたのが純粋にすごく嬉しかった。こんなにも日本に対して興味を持ってくれて、友好的に接してくれる人がたくさんいるにもかかわらず、今まで台湾についてほとんど何も知らなかったばかりか、誤ったイメージすら抱いてしまっていた自分が、ひどくもどかしく、恥ずかしく思えた。

今回のツアーは、私にとって初めての台湾訪問であると同時に、初めての海外旅行でもあった。高校時代に世界史を勉強し、そのスケールの大きさと、人間が今日まで紡いできた歴史の奥深さに魅せられてから、いつしか世界をこの目で見て回ってみたいと思うようになって、そして大学生になって初めての夏、私はその念願の1歩を踏み出すことができた。4日目と5日目は、思わぬ台風の到来で残念な思いをしたけれども、それ以外の3日間で本当に沢山のことを学べたと思う。得られた中で何よりも大きいものは、自分がまだいかに無知か身をもって知ることができたことだ。大学に入って1年目の夏にこのような経験ができたことを非常に嬉しく思う。同時に、このツアーの企画に尽力してくれた李登輝友の会のスタッフの方々、お世話になった真理大学の皆さま、そして共に旅をしたツアーのメンバーに、深く感謝したい。

「フォルモサの旅を終えて」藤生 麻衣子【東京大学教養学部2年】
フォルモサ-かつてのポルトガル人は台湾を目にし、こうもらしたという。そして今、その「美しい島」は私たちの目にどう映るのだろうか。距離的には近いものの、個人的には決して身近に感じる機会が多いとはいえなかった台湾を始めて訪問することとなり、李登輝友の会青年部はじめ、今回この貴重な機会を与えてくれた皆様に本当に感謝したい。

今回の訪台における私の目的は、台湾人との交流、であった。台湾の政治的、国際的立場を勘案した上での意見を交換する、というよりもむしろ、一台湾人として人々が何を考え何を希望するのかについて聞く、感情的かつ個人的な生きた台湾人との交流ということである。そのような交流の機会は、普通のツアーであれば得られることはできなかったと思う。今回は特別に手配をいただき、①友愛会の方々との交流会、②真理大学日本語学科の学生との交流、③蔡焜燦氏との会食会、という3つの機会を得ることができた。

訪台2日目、二二八紀念館見学後昼食をすませ、友愛会の方々の待つホテルに向かい、部屋に入ると私たちからするとおじいさんおばあさん世代の方々が笑顔で私たちを迎えて下さった。彼らの話す日本語は自然であり、台湾人だということに違和感を覚えるほどであった。60年以上前に習っていた日本語を、今も守り続けているということは私たちにとってこの上なく嬉しいことであった。自己紹介をすませ、各々に会話を始めると、皆さん私たち学生に自分達が経験してきたこと、日本統治時代と国民党が台湾に来た後の違い、二二八事件についての悲しい記憶など、ありありと話してくださった。彼らがその肌で体験してきた台湾における歴史的な激動の時代を私たちに本当に伝えたいと思ってくださっているのがひしひしと伝わり、またその語り口に引き込まれてしまった。私たちが学校でならってきた歴史では、日本が台湾を植民地として統治してきたという事実はやはり侵略であり詫びるべき過去であるというものであり、彼らが私たちに語ってくれた日本統治はそれに反する面もはらんだものであった。日本時代のインフラの整備、教育の普及が今の台湾を支えている-日本人はもちろん台湾人に対して酷いことをしたかもしれないが同時にその功績を正当に評価する、という彼らの公平な姿勢に日本人として嬉しいと思うと同時に、同じように台湾に対して日本人はもっと公平に、かつ誠実に対応しなければならないのではないかと思った。彼らは日本を祖国と同じように愛し、気にかけてくれていた。台湾にはかつての日本がそのまま息づいているような感じさえ覚えた。

3日目は真理大学日本語学科の学生との交流会が行われた。同じ世代の台湾人の学生が日本に興味をもち日本語を勉強してくれているのは本当に嬉しいことであり、また彼らの「日本通」っぷりには驚かされた。熱心に日本語を学んでくれているようで一生懸命に話をしてくれるのを聞いていると自分の勉強に対する地位いい刺激にもなったと思う。日本にはない徴兵とそれに対する学生の意見、政治に関しての意見も少しながら利く事ができ、有意義な時間が過ごせた。また彼らの中には一日買い物や食事に付き合ってくれる人もおり、彼らとともに話し、笑い、友達になれたことは台湾を身近に感じる大きな理由になっている。

そして真理大学の学生の中でもずっと案内をし、私たちの旅行が円滑に進むよう手伝ってくれた趙くんと陳さんには本当に感謝している。彼らと過ごした時間は楽しく、様々な話をすることができた。こうして築けた友情はずっと心に持ち続け、連絡を取り続けていきたいと思う。

3日目の夕方には蔡焜燦さんの待つホテルに行き、伝統的な台湾料理をいただいた。蔡焜燦さんのお知り合いのたくさんの方がいらしており、日本語を交えてお話を伺うことができた。台湾人としての誇りをもつ彼らのお話は、私たち日本人にとっての愛国心とは何かというものを考えさせられた。私たちは日本人としての誇りを失いつつあるのではないだろうか。日本を絶賛するというわけではないが、もっと日本に誇りをもち、日本を愛し、また日本の悪いところを認め、日本の将来を考えていかなければならないのではないだろうか。そして彼らもまた、友愛会の方々と同じく日本をわが国のように思い、愛国心を失いつつある日本の現状を憂いて下さっている。そんな彼らが私たち学生に対して「君達のような学生がいるのをみて安心した。日本の将来をしっかり考えていってほしい」と言ってくださったのを私は忘れられない。歴史的知識も乏しく、日台関係ひいては東アジア情勢を勉強し始めたばかりの私にとってそれは余りある言葉であり、しかしそれは同時に私たちに失望せず期待し、激励の意味を含んだ言葉であったと感じている。その言葉に恥じぬよう、自分達の過去、現在の状況、そして将来を考えていかなければならないと痛感した。

これに加え本来ならば李登輝前総統の講演を拝聴する予定も組まれていたのだが、4日目5日目に台湾を襲った2つの台風のために、中止となってしまった。めったにない機会であり、大学の中国語テキストに李登輝前総統の著作「台湾人の悲哀」が載っているのを読んで以来、ぜひお会いしたいと思っていたので、本当に残念であり悔やまれるところである。代わりにできるのかわからないがこれから李登輝前総統の著作をもっと読んでその考えや生き様を知りたいと思う。

こういった交流の機会は決して簡単に得られるものではなく、伺うことができた貴重な話の一つ一つを記憶しておきたいと思う。それと自分が学んできたこと、中国や他国との関係をも踏まえた上で、台湾の抱える問題、日本との関係を自分なりの判断をもって考えていきたい。

これら交流の機会のほかにも台湾人と触れ合う機会は多々あった。お店の店員の方やお寺で出会った日本語を話せる台湾人の方、みなさん本当に親切で、台湾が大好きになってしまった。食べ物は本当においしく、総統府をはじめ今回見られなかった名所はまだまだあり台湾に対する興味は尽きない。日台関係への興味も深まり、台湾に訪ねるべき友もでき、台湾が距離的なだけではなく意識的にも本当に近く感じられるようになった。近いうちにこの美しい台湾をまた訪れたいと思う。台湾は自然や風景が美しいだけではない。温かく前向きな人々の心が美しい国であったのである。台湾を訪れたことは決してそれで完結することではなく、私のこれからの指針にもなりうるものとなった。最後にもう一度、手配をしてくださった皆さんに感謝すると同時に敬意を表したいと思う。

「今回の訪台で得たもの」水野 貴允【早稲田大学商学部3年】
今回の台湾の訪問で、友愛会の方々や、真理大学の方々との交流を通して、感じたことが二つあります。

一つ目に台湾には多くの親日の方がいることが、私にとっては非常に驚いたことでした。今回訪問する前は、第二次世界大戦での日本のふるまいによって、台湾はもとより東アジアの国々の日本に対するイメージはけっしていいものではないと思っていたからです。しかし、戦時に日本がした事に対して、評価し、親しみをもって接してくださったことは、わたしにとっては非常におどろいたとともに、うれしいことでした。しかし一方で中国との関係については思わしくないとの話もあり悲しい事実でした。また、その原因をさぐってみれば、少なからず戦時中日本のふるまいも関係していますし、日本人としての責任を感じずには入れませんでした。

二つ目に国と国との問題を解決することは、今まで自分が思っていたよりむずかしいということです。友愛会の方と話をしているときに、「国と国との問題はむずかしい。個人と個人がつきあうことは上手くいくのに。」という話になりました。確かに個人で付き合う分にはうまくいくのだから、なぜ国と国になるとうまくいかないのだろうと。しかし、日本人でも身近な例を考えてみればやはり難しいものであるということがわかります。たとえば、関西と関東。お互いに対してステレオタイプをもってはいないでしょうか?この例だけでなく、地方と都心部であるとか、イメージや、歴史的なことだけでとらえてしまうことはやはりあるものです。ではどうすれば、こういった問題は解決できるのでしょうか?それはやはり、今回の訪台のように実際のその国の方と話をすることが、最善の方法ではないかと思います。近年ではインターネットなど、交流のためのツールは飛躍的に向上していますので、ますますステレオタイプにとらわれないような交流がすすめばいいと思います。

なにはともあれ、今回の訪台で得た最も大きなものはやはり現地の方との交流です。いろいろな意見はありますが、みなさん温かい方ばかりで、今後もこの良好な関係を維持できればいいと思いますし、維持していこうと思います。


真理大学日本語系(日本語学科)の皆さんからの感想文

・來自日本的友人,態度友好親切。很抱歉的是這次沒做好充分的準備,能好好接待他們。由於時間的限制相處短暫,希望以後能多交流,互通有無。也希望他們能玩的開心!【 藍雯馨】

・這次真的很高興能認識☆們。雖然只有短短的幾天,卻是個難忘的回憶。有機會一定去日本找你們!!【余姿瑩】

・雖然只有短短一天的相處,可是對我來?是一個很好的學習機會。並且從中了解到了許多有關於日本的一些風俗習慣。希望下次有機會的話一定要再來台灣,隨時歡迎你們!【廖信翔】

・這次時間短暫,覺得很可惜。關於視訊會議的事情很有趣,但想必要付諸實行的話也必須付出很大的心力和辛苦?!希望大家都能一起加油,來達成這目標。【陳佩琪】

・雖然只跟大家(日本的各位)相處只有短短的半天時間,但也稱的上相談甚歡。唯一覺得遺憾的是,各位只來短短的幾天裡竟然遇到了颱風,錯過了很多很好的行程,有機會請各位一定要再來台灣玩,我們大家也很願意帶大家再去玩~~~【王奕力】

・很感謝學校這次舉辦的李登輝之友招待會,從早上的研討會,中午的吃飯時間到下午陪他們逛街這短短的一天當中讓我學到很多課堂上不會教到的單字,既實用又生活化,讓我印象深刻.不過很可惜的是,因為颱風影響到他們的自由活動時間,也讓我錯過了一次發揮所學的機會.【林艷春】

・ こんにちは、曾です。
今度の交流会は皆に出会えたことがよかったと思います。でも、台風のせいで、どこへも行かれないで、それはとても残念だと思います。台湾について聞きたいことがいっぱいあるのに、自分の日本語の会話力はまた下手なので、きちんと答えられないで、本当にごめなさい。
日本のメンバーの中に、中国語でしゃべることができる方がいます。日本語より中国語の発音や文法などもっと難しいと思います。でも、彼らはそんな程の中国語で話すことができて、偉いですね。だから、私ももっと一生懸命に勉強しようとします。また会える日があれば、ぺらぺれしゃべりましょう。ありがとうございました。【曾有慶】

・ 很高興有這次的機會可以在淡水和來自日本的大家做交流,而日本的成員當中有中文流利的朋友酌時令人大吃一驚。這次的時間比較短暫,希望有機會的話可以再來台灣,無論是遊玩或是學術上的交流。【李宛如】

・ こんにちは、鄭です。
日本語学科の学生として、もちろん台湾と日本の関係に責任があると思います。
それは、橋のように、台湾のことを紹介したり、日本のことを分かったり、互いに学習したりすることです。
今度の交流会のおかけで、日本人である皆さんに台湾に対する考えなどを聞いていただき、いい勉強になったと思います。それに、自分の日本語の会話能力はまだまだということも分かっているのです。普通は日本語で話さないから、いくら文法などが分かっていっても、ぺらぺらに日本語で話すことはぜんぜんできませんでした。
これから、もっと一生懸命に勉強しようとすることも決めています。そして、皆さんともう一度会うときも待っています。【鄭立民】

・今度の交流会に参加できて、日本からの学生と交流できることはよかったと思います。いい勉強になった上に、同じ大学生である皆さんの口から本当の日本の様子を聞けるのは特別な経験でした。
今度の交流会のテーマ、「私たちが台湾と日本の関係に対する責任」については、私たちは一番大切な責任は、外国人の皆さんにテレビで一方的な台湾のことを聞けるだけでなく、台湾のほかの声も聞かせようとしていると思います。私たちは、まだ社会に出ないので、利益関係を考えず、最も素直な心の声の考え方が話せるのです。【無記名】


【日程】(当初の予定です。実際の活動(4日目・5日目)は台風の影響により中止になっています)

☆8月21日(土)・1日目(昼食:機内 夕食:○)

1230 成田空港第2ターミナルCカウンター前集合

1415 成田空港発(中華航空CI017便)

1645 台北国際空港着

1800 バス(真理大学手配)にて真理大学淡水キャンパスへ

1930 淡水のレストラン「翠園」にて真理大学主催の歓迎会
(真理大学側からも出席者)

2200 入寮およびオリエンテーション

☆ 8月22日(日)・2日目(朝食:○ 昼食:各自 夕食:各自)

0730 朝食(淡水市街にて)

0900 MRTを利用して台北市内へ

0930 二二八紀念館見学

1200 昼食(台北駅南側にて)
1330 友愛グループとの談話会
(中山北路 老爺飯店)

1700 解散後、市内散策(自由行動)および夕食

2200 門限、ミーティング
☆8月23日(月)・3日目(朝食:○ 昼食:各自 夕食:○)

0730 朝食(淡水市街にて)

0900 真理大学学生と討論会
1、訪台の趣旨説明
2、自己紹介
3、討論会「日台関係における私たちの役割」
4、グループごとに意見を発表
5、各グループの意見に対して質疑・討論
6、総括

1230 真理大学学生と昼食(淡水市街にて)

1400 真理大学学生と淡水市街散策(希望者)

1800 蔡焜燦氏(資料B参照)主催の晩餐会(兄弟大飯店)

2200 門限、ミーティング
☆ 8月24日(火)・4日目(朝食:○ 昼食:各自 夕食:各自)

0730 朝食(淡水市街にて)

0930 大学寮集合・バスにて淡水総合研究院へ

1000 李登輝前総統講演

1100 バスで大学寮へ

1200 昼食(各自)

1300 烏来訪問(希望者)

2200 門限、ミーティング
☆25日(水)・5日目(朝食:○ 昼食:各自 夕食:機内)

0700 朝食(淡水市街にて)

0800 退寮、バスにて台北市内へ

0900 総統府見学

1200 昼食(西門町近辺にて各自)

1330 バスにて台北国際空港へ

1630 台北国際空港発(中華航空CI106)

2040 成田空港着、解散