本日の産経新聞「正論」欄にこの見出しを目にしたときは、ドキッとした。本会会長でもある拓殖大学学事顧問のこの堂々たる指摘が何を意味しているかはあまりにも明らかだったからだ。台湾記述を誤りと断ずるこの説得力に富む指摘に、解説は蛇足というほかない。岩波書店に弁解の余地はないとも確信した。
これまで『広辞苑』第7版の台湾記述について、擁護する見解が出ているとは寡聞にして知らない。岩波書店は潔く白旗を挙げて、台湾記述を訂正するしか残された道はない。またしても解釈に逃げ込むような姑息なまねをすれば、『広辞苑』の生命は絶たれたも同然である。
広辞苑の台湾記述は誤りである 拓殖大学学事顧問・渡辺利夫
【産経新聞:2018年2月27日】
≪中国の26番目の省として記載≫
日本と中国の国交が樹立されたのは、1972年9月の日中共同声明によってである。この声明についての項目が岩波書店の『広辞苑』に掲載されたのは、91年の第4版第1刷においてであった。そこには「一九七二年九月、北京で、田中角栄首相・大平正芳外相と中国(中華人民共和国)の周恩来首相・姫鵬飛外相とが調印した声明。日中の国交回復を表明した」と淡々と書かれていた。
しかし、98年の第5版では「日本は中華人民共和国を唯一の正統政府と認め、台湾がこれに帰属することを承認し、中国は賠償請求を放棄した」と改訂された。台湾の帰属先を中国だと明記したのである。
台湾が中国に帰属するとは、日中共同声明のどこにも記されてはいない。「日本李登輝友の会」は記述に訂正を求め、岩波書店は2011年の第6版の重版で「中華人民共和国を唯一の正統政府と承認し、台湾がこれに帰属することを実質的に認め、中国は賠償請求を放棄した」とした。「実質的に」が挿入され、今年1月に発売された第7版でもこの記述が踏襲されている。
同版の「中華人民共和国」の項目には、中国の行政区分地図が付され、台湾が中国の26番目の省、「台湾省」として記載されてもいる。また同版の「台湾」の項目では「日清戦争の結果一八九五年日本の植民地となり、一九四五年日本の敗戦によって中国に復帰」したとある。『広辞苑』ほどの権威ある辞典は日本語の用語の原典的な意味をもつ。事実にそぐわない解釈がなされていいはずがない。
≪領土として承認も同意もせず≫
事実を振り返っておきたい。日中共同声明の第3項は「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」である。台湾が中国の領土の不可分の一部であるという中国の主張を日本は「理解し、尊重する」といっているのであり、中国側の主張を承認したのでも、それに同意したのでもない。
日中共同声明より一足早く、72年2月に米国が米中国交樹立に関する声明を発表しており、これが「上海コミュニケ」である。冷戦時代にエポックを画した声明である。この声明文の要は、「米国は、台湾海峡の両側のすべての中国人が、中国はただ一つであり、台湾は中国の一部分であると主張していることを認識している」である。ここで「認識」とは英語でいう acknowledge であり“事実として知りおく”である。承認でも同意でもない。
中国の主張を日本が「理解し、尊重する」は、米国の「認識している」に等しい。台湾が中国に帰属することを、『広辞苑』がいうように「実質的に認め」たのでは決してない。日本の歴代の首相が、この点を問われても中国の立場を「理解し、尊重する」という以上の発言をしたことはない。
問題があるとすれば、「理解し、尊重する」の後につづく「ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」であろう。ポツダム宣言第八項とは、「カイロ宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ」である。この宣言は、ルーズベルト、チャーチル、蒋介石がカイロで行った会談の後、1943年12月に発表されたものだといわれる。
≪国際法解釈から明らかに逸脱≫
カイロ宣言は「満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国ガ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スル」と記す。この宣言により日本が占領した地域全ての返還がうたわれたらしい。「らしい」というのは、カイロ宣言には日付がなく3首脳の署名もなく、公文書としては存在していないからである。日本がポツダム宣言を受諾したがゆえに、カイロ宣言が国際条約であるかのごとく「格上げ」されてしまったのであろう。
戦後日本が国際社会に復帰したのは、1952年4月に発効したサンフランシスコ講和条約によってである。その発効と同時に日本は、台湾に施政権をもつ「中華民国」との間で「日華平和条約」に調印した。その第2条は講和条約と同様の条文、すなわち「日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」であった。
サンフランシスコ講和条約ならびに日華平和条約で日本は台湾を放棄したのであり、『広辞苑』の「台湾」の項目のように、日本の敗戦によって台湾が中国に復帰したのではない。放棄した台湾がどこに帰属すべきかを云々(うんぬん)する立場に日本は立っていない。台湾の法的地位は未確定である。これが日本政府の変わらぬ立場である。
台湾が中国の一部であるかのごとき説明は、国際法解釈からの明らかな逸脱であり、台湾の当局と住民に対してのあからさまな非礼だという他ない。